<転職がよくて、いくらでも中途採用で新しい会社が見つけられる社会制度設計が必須か>
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By - NEWS ONLINE 編集部 公開:2020-11-18 更新:2020-11-18
ニュース飯田浩司のOK! Cozy up!飯田浩司佐々木俊尚
「大学生就職内定率が70%割る~「雇用の在り方」への疑問」
ニッポン放送「飯田浩司のOK! Cozy up!」(11月18日放送)にジャーナリストの佐々木俊尚が出演。2021年卒業予定の大学生の就職内定率が69.8%となり、前年比で7ポイント下がったというニュースについて解説した。
〇大学生の就職内定率が前年比で7ポイント低下
〇頑張れない人には平等を与えられないのか~新卒の就職で人生が決まってしまう
黒人であろうがヒスパニックであろうが白人であろうが、頑張れば偉くなれるのは、素晴らしいリベラリズムだと言います。そこでは黒人、ヒスパニック、白人は平等ですが、一方で「頑張れない人には平等を与えられないのか」という問題が常に残ります。
結果的に頑張れない人たちが置いて行かれたから、貧困白人層の問題が生まれ、トランプ大統領の誕生につながり、これを引きずっているではないですか。それを無視していると、リベラルの理想は実現しないのではないかと思います。普通の平凡な人が、普通に地味な仕事をして、それでもそこそこ暮らせる社会がいちばんいいのです。昔の日本はそうでした。クレヨンしんちゃんの野原ひろしの設定は、普通の平凡なサラリーマンです。
でも、いま観るとエリートで上流階級ですよね。
飯田)春日部に一戸建ての家を持ちと、確かにそうですね。
佐々木)サザエさんのお宅は桜新町に一戸建てを持っていますから。
いまや億単位のお金を持っていないと住めません。
飯田)世田谷区の一戸建てで相続税はいくらになるのかとか思います。(注ア)
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(注ア)
亡くなった八千草薫さんの豪邸(3億円)は
東京の世田谷区にある為、
相続するとなると莫大な金額がかかりそうですし、
維持していこうと思えば
高収入でない限り…無理でしょうね。
そんな事もあり、
2020年10月の中旬に
豪邸の解体工事が始まったとの事です。
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〇ハイパー・メリトクラシー~学歴以外の部分も求められる
佐々木)昭和の時代は、学歴に応じて、それなりの就職先が用意されていました。いまはそうはいきません。「ハイパー・メリトクラシー」という、過剰な実力主義と言われていますが、学歴だけではダメで、学生時代にボランティア活動をしたとか、サークルの代表をしていたとか、スポーツをやっていたとか、勉強以外のいろいろな評価基準を持ち出されてしまって、それも頑張らないといい会社に入れません。貧困の家に生まれて、ミカン箱で勉強していい大学に入った人には、そういうものがありません。文化的な豊かさが実家にないと、学歴以外の部分は手に入らないので不平等です。これがハイパー・メリトクラシーの問題点だと言われています。そういうものが求められて、いま就職活動が大変です。昔は東京大学に入れば、どんな会社にも入れる力を持っていましたが、いまは東大を卒業しても、コミュニケーション能力が低ければ、まともに就職できないと言われています。学歴偏重社会から脱したと言えるかも知れませんが、身分や実家の豊かさのようなものが逆にまた浮上してしまっています。アメリカでもアイビー・リーグに入ろうとすると学費の高さに加え、高校時代の文化的な豊かさを求められてしまう問題があります。
〇リベラルの欺瞞~頑張らない人が悪い
飯田)欧米でもこれが議論になっていて、合法的、社会的に許された最後の差別なのではないかと。「これは頑張ったからこうなったのであって、頑張らない人が悪いのだ」というようなことを言われます。
佐々木)それがリベラルの欺瞞だと思います。生活保護を受けている人を、「パチンコばかりやっていてけしからん」と言う人がいますが、パチンコばかりしかできないような精神状態に追いやられているから貧困なのです。それを否定したら人生救われません。
飯田)アメリカの民主党で言われますが、多様なエリートの政党になってしまっています。多様性と言っても、多様という言葉がそもそも持っている意味が変わって来ています。
佐々木)多様性に頑張った白人やLGBT、黒人は含まれていますが、頑張っていない白人、黒人、LGBTは含まれていません。
飯田)これが分断を産んでしまいますね。
佐々木)日本で大学生の就職に文化的なものまで求めると、また分断がますます広がってしまう。確かに学歴社会が行き過ぎたとは思いますが、逆に振れ過ぎだとも思います。もう少し、平凡な人でも生きられる社会をつくって欲しいと思います。
飯田)日本の場合はそれに加えて、大学を出たところでの就職が一発勝負で、その後の再チャレンジが難しい。「就職氷河期をつくらないように努力する」と加藤官房長官も言っていて、卒業後3年以内は新卒扱いにするということですが。
〇職人的な人生
佐々木)職人的な人生がいいのではないかと思います。必ずしも現場の職人ではなく、私の知り合いにデザイナーがいますが、専門学校を出て、腕一本でいろいろな会社を渡り歩いて優秀なデザイナーになりました。そういう生き方の方が、いまは健全なのではないでしょうか。若い人には、職人的な技を磨くことを考えて欲しいと思います。
飯田)それを受け入れる社会をつくって行かなければなりませんね。
佐々木)転職がよくて、いくらでも中途採用で新しい会社が見つけられる社会にして欲しいです。(注1)、(注2)
(注1)マイスター制度と技能伝承 ― ドイツ木工マイスター学校の職業教育から―
平成 24 年 11 月 9 日受理
●小松裕子/富山大学芸術文化学部、 小郷直言/大阪大学大学院経済学研究科、小松研治/富山大学芸術文化学部
本稿では、木工マイスター学校の調査をもとにドイツの マイスター制度を技能の育成・伝承面から捉えようとした。 得られた特徴には、職人育成の教育制度、資格の社会的 評価、作業環境や教育環境の重視、自立を後押しする経 済的仕組みなどがある。ドイツ社会で、熟練した技能者は 労働と教育の中にしっかりとした足場を持ち、社会環の中 で重要と認められた存在である。マイスター制度は一朝一 夕で出来上がったシステムではなく、過酷な歴史の試練 を必要としてきたことは想像に難くない。いずれ技能の国 際化の波は伝統的な職業分野にも押し寄せてくると思われ る。それに備えて我が国が準備すべきヒントをマイスター 制に見ることができた。
http://www.tad.u-toyama.ac.jp/outline/research/pdf/bulletin07/p106.pdf
(注2)西浦 博(にしうら ひろし、1977年 -43歳。 )は、日本の医師、医学者、保健学者(理論疫学・医療管理学・衛生学)。学位は博士(保健学)(広島大学・2006年)。京都大学大学院医学研究科教授。
生い立ち[編集]
1977年、大阪府にて生まれ、兵庫県神戸市にて育った。幼いころから、ロボットコンテストやソーラーカーの開発に興味を持っていた。そのため、神戸市立工業高等専門学校に進学し[1]、電気工学科にて学んだ[2]。
しかし、兵庫県南部地震によって引き起こされた阪神・淡路大震災に罹災し[1]、被災者を救助するAMDAの医師の姿に心を打たれ、一転して医学の道を志す[2]。1996年(平成8年)4月、宮崎医科大学に進学し[註釈 1]、医学部の医学科にて学んだ[3]。学生インターンとして発展途上国での麻疹とポリオの予防接種対策に参画したところ、医学者のロイ・アンダーソンらの著した『Infectious Diseases of Humans -- dynamics and control』[4]を紹介され、感銘を受ける[2]。2002年(平成14年)3月、宮崎医科大学を卒業した[註釈 1][3]。2002年5月から2003年(平成15年)3月にかけて、東京都立荏原病院にて内科や感染症科の臨床研修医として非常勤で勤務した[3][註釈 2]。
その後、タイに渡り、2003年(平成15年)4月より同年10月までマヒドン大学の熱帯医学校の大学院にて学んだ[3]。2004年(平成16年)4月、広島大学の大学院に進学し、保健学研究科にて学んだ[3]。大学院生として「Mathematical and statistical epidemiology of emerging/re-emerging infectious diseases with particular emphasis on inference of key parameters」[5]と題した博士論文を執筆した。また、その間、2004年(平成16年)4月から2005年(平成17年)3月にかけて、イギリスのインペリアル・カレッジ・ロンドンの医学部にて客員研究員を務め[3]、かつて感銘を受けたロイ・アンダーソンから直接指導を受け[2][6]、感染症疫学について研究していた[3]。2006年(平成18年)3月、広島大学の大学院における博士課程を修了し[3]、博士(保健学)の学位を取得した[5]。
医学者、保健学者として[編集]
まだ大学院生だった2005年(平成17年)4月から、ドイツのエバーハルト・カール大学テュービンゲンの医系計量生物学研究所にて研究員となっており、2007年(平成19年)8月まで勤務した[3]。その傍ら、2006年(平成18年)4月から2007年(平成19年)8月にかけて、長崎大学の熱帯医学研究所にて特任准教授を兼任した[3]。2007年(平成19年)9月より、オランダのユトレヒト大学にて博士研究員となり、理論疫学を研究した[3]。その後、さきがけ主任研究者となり[3]、2011年(平成23年)3月までユトレヒト大学に在籍した[3]。2011年(平成23年)4月、香港特別行政区の香港大学に転じ、2013年(平成25年)4月まで公衆衛生大学院の助理教授を務めた[3]。
2013年(平成25年)6月には東京大学に転じ、大学院の医学系研究科で准教授に就任し、国際社会医学講座を受け持った[3]。2016年(平成28年)3月まで東京大学に在籍し[3]、翌月より北海道大学に転じ、大学院の医学研究院にて教授に就任し、社会医学分野を受け持った[3]。
3つの密[編集]
2月25日、押谷との議論の中で、クラスターの共通項を見つけて、類型化すれば、より有効な行動変容を呼びかけることができるはずだと認識を共有した。そして、多くの人に感染させた人は「密閉」された環境にいたことが分かったこと、患者の集積が起きる環境では人が「密集」していること、「密接」した関係で発話があることから、のちに「3つの密(3密)」と呼ばれる条件を特定した[1
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E6%B5%A6%E5%8D%9A