【】日本の自衛隊やアメリカ軍を含む、12ヵ国の軍のトップなどが共同で非難声明を発表しているという報道もあります。日本の場合は統合幕僚長でした】
★自衛隊は水面上の米軍との連携言動か>
【丸山大使という方がいますが、この人は外務省随一のミャンマーの専門家なのです。アウン・サン・スー・チーさんとも姉と弟のような関係で話していました。頑張っていただきたいと思います。】
★丸山市郎大使は軍=ミン・アウン・フライン上級大将=との水面下で建前と本音交渉を継続か>
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By - NEWS ONLINE 編集部 公開:2021-03-29 更新:2021-03-29
ニュース飯田浩司のOK! Cozy up!飯田浩司兼原信克
《》日本は「本音と建前」を分けて交渉するべき~ミャンマーで治安部隊が114人殺害《》
ニッポン放送「飯田浩司のOK! Cozy up!」(3月29日放送)に元内閣官房副長官補・同志社大学特別客員教授の兼原信克が出演。ミャンマーで抗議デモを行った市民に治安部隊が発砲し、1日で114人が殺害されたニュースについて解説した。
■ミャンマーで1日114人殺害~茂木外務大臣が強く非難
ミャンマーで3月27日、軍の記念日に合わせて抗議デモを行った市民などに治安部隊が発砲を繰り返し、地元メディアによると、少なくとも114人が死亡した。茂木外務大臣が状況を「強く非難する」と抗議するなど、国際社会からの非難の声が強まっている。
飯田)日本の自衛隊やアメリカ軍を含む、12ヵ国の軍のトップなどが共同で非難声明を発表しているという報道もあります。日本の場合は統合幕僚長でしたが、軍のトップが声明を出すということは珍しいですよね。
兼原)軍というのは通常、職業軍人の集まりなので、政治指導者に絶対に従うのですが、途上国に多いのですけれど、軍が政治化しているところがあります。日本の戦前の軍部も政治化していました。ここは軍が政治を仕切っている国なのですが、民主正規指導者のほうに政治を返さなくてはいけないと思います。
飯田)そうですよね。
兼原)軍の人は妥協できない人たちなので、言うことを聞かないとこうやって攻撃するのですよ。これが怖いのです。それで黙る国民もいますが、ミャンマー人は仏教徒でやさしいのですけれど、チベット~モンゴル系で気性が激しいので、怒るとサムライになってしまいます。もう市民も収まらなくなっています。
■突き放してしまうと中国側に行ってしまう~腰を据えて民主化に持って行くしかない
飯田)日本はODAなど、さまざまなつながりが軍政時代からありますが、逆にいまはスタンスを取りづらくなっているのですか?
兼原)日本は一貫してミャンマーエンゲージャーなのです。アウン・サン・スー・チーさんが帰って来てからアメリカが入って来ました。それで「よかった」となっていたのですが、スー・チーさんと軍がうまく行かなかったのだと思います。それで軍が切れたというのが今回のクーデターで、そこを中国は「しめしめ」と思っているでしょう。この軍の革命は認められないのですが、彼らが権力を持ってしまっているものですから、どうやって元に戻すかということを真剣にやらないとなりません。「叩けばいい」とやると、中国が獲ってしまいます。
飯田)その空いたところは。
兼原)ここは腰を据えてやって行くしかないと思います。民主化へ向けて説得して行くしかないと思いますけれど、なかなか難しいですね。
飯田)アメリカもそうとうお金を入れたということですが、日本も経済特区であるティラワにメーカーが入っています。その辺が糸口になって行きそうですか?
兼原)軍というのは、経済があるから手加減する組織ではありません。ミャンマーはASEAN最後の西側の砦で、あそこをバングラデシュ、インドにつないで西アジアと東南アジアの回廊にして、ベンガル湾の交通もよくする「自由で開かれたインド太平洋」というのが日本側の構想なのですが、ここがひっくり返ってしまうとそれが切れてしまうので困るのです。発展したければ民主化の方に持って行かないとならないのですが、民主化するには妥協が必要です。軍人さんは妥協するのが下手ですからね。どこの国でもそうですが、困ったものですね。
■アウン・サン・スー・チー氏の人気と強い態度に切れた軍部
飯田)テイン・セインさんが軍政をやりつつ民主化を進めた、スー・チーさんの前の大統領でしたが、あの人はその辺りの妥協をうまくやったということですか?
兼原)頑張って前に出て来たと思うのですが、外国人が家族だと大統領になれないなどという、アウン・サン・スー・チー条項のようなものをつくりました。そして一定の議席を必ず軍人が持っていなければならないなど、若干インチキ民主主義だったわけです。そのなかでスー・チーさんも、ロヒンギャなどの少数民族の問題では軍の方に立ったわけです。
飯田)それなりに妥協した。
兼原)協力したのですが、やはりアウン・サン将軍のお嬢様なので、「私がトップだ」となってしまうわけです。それで人気が大きかったので、軍が切れてしまったということだと思います。
飯田)あそこは多民族国家でもあるということですね。
兼原)スー・チーさんはビルマ族の多数派の方に舵を切ったわけです。少数民族は泣いているのですが。そのかわりビルマ国内での人気は跳ね上がって行ったのです。そうすると今度は軍を脅かします。そこで軍がスー・チーさんに意地悪をする。しかし軍が意地悪する度に彼女の人気が上がってしまうのです。そこで「グサッ」とやったのが今回だと思います。
■建前と本音をうまく使い分けて粘り強く交渉する
飯田)自由で開かれたという旗を日本も立てているだけに、建前の部分と本音の部分を……。
兼原)分けると。表の世界では「いい」とは絶対に言えないですからね。今回のクーデターに対しては怒らなくてはいけないのですが、そこで足蹴にして突き放してしまうと中国側に行ってしまうわけです。それは下手な外交なので、裏で「きちんとしなくてはダメではないですか」と言わないと意味がないのですけれどね。その辺りが外交の技の問題で、難しいところではあると思います。丸山大使という方がいますが、この人は外務省随一のミャンマーの専門家なのです。アウン・サン・スー・チーさんとも姉と弟のような関係で話していました。頑張っていただきたいと思います。
https://news.1242.com/article/281354?_ga=2.23531834.1856523347.1616827196-315269226.1564971501
丸山市郎
丸山 市郎(まるやま いちろう)は、日本の外交官。外務省外交政策調整官等を経て、2018年から駐ミャンマー特命全権大使
人物・経歴[編集]
宮城県仙台市出身。宮城県仙台第二高等学校を経て[1]、1978年中央大学経済学部卒業、外務省入省。ミャンマーの専門家となり[2]、外務省総合外交政策局外交政策調整官[3]、外務省総合外交政策局安全保障政策課海上安全保障政策室長等を経て、2011年在ミャンマー日本国大使館参事官。ミャンマーの国家顧問であるアウンサンスーチーと近く、異例の人事により公使参事官としての定年延長などを経て、2018年から駐ミャンマー特命全権大使を務めている[4]
ミン・アウン・フライン上級大将との会談[編集]
2018年7月30日、丸山大使はネピドーのバインナウン邸(ビルマ語: ဘုရင့်နောင်ရိပ်သာ、英語: Bayint Naung Guesthouse / Bayintnaung Villa)を訪問してミン・アウン・フライン上級大将と会談。自衛隊とミャンマー国軍の関係強化や、日本のミャンマーに対する経済支援、ラカイン州ブティダウン(ビルマ語版、英語版)・マウンドー地域の問題解決に向けた日本の援助、ミャンマーで起こっている事態を正しく国際社会に伝えるための要件などについて協議した[13]。
2018年8月28日、丸山大使はネピドーのバインナウン邸を訪問して応接室でミン・アウン・フライン上級大将と会談。ラカイン州で発生した問題に関する日本からの支援や、全国停戦協定(ビルマ語版、英語版)(NCA)を受け入れてミャンマー国軍と和睦した地域の開発と支援、日緬関係や自衛隊と国軍の関係の強化などが主な議題となり、この会談には日本大使館の関係者やソー・トゥット(ビルマ語版、英語版)中将ら国軍の将校が同席した[14]。
2019年4月21日、丸山大使はネピドーのバインナウン邸を訪問して応接室でミン・アウン・フライン上級大将と会談。ラカイン州ブティダウン・マウンドー地域で発生した問題に対してミャンマー政府と国軍が尽力している旨を国際場裡で共有できるよう日本が支援すること、ベンガル問題(いわゆる「ロヒンギャ」問題)に関する独立調査委員会(ICOE)を設置することなどについて意見交換が行われ、この会談には日本大使館の関係者やソー・トゥット中将ら国軍の将校が同席した[15]。
2020年3月18日、丸山大使はネピドーのバインナウン邸を訪問して応接室でミン・アウン・フライン上級大将と会談。国には政治と治安の安定が必要不可欠であること、各国がそれぞれの国に適した形で民主主義を実践する必要があること、独立調査委員会(ICOE)の報告に対する取り組み、ミャンマーの内戦終結に向けた国軍の尽力などについて胸襟を開いて話し合われ、この会談には日本大使館の多久島容子一等書記官やイェ・ウィン・ウー中将ら国軍の将校が同席した[16]。
2021年2月1日にミャンマーで事実上のクーデターが遂行された後、丸山大使とミン・アウン・フライン上級大将の間で公式の会談は持たれていないが、2月5日に開かれた記者会見で茂木敏充外務大臣が「日本は国軍を含めミャンマー側にさまざまな意思疎通のルートを持っている。民主的な政治体制が早期に回復されることを国軍に強く求めていく」と述べており、丸山大使がミン・アウン・フライン上級大将と非公式で接触ないし接触を模索していることが示唆された[17]。