07年4月8日・私の誕生日
考えると地方政治を託せる人物は見当たらないが、とにかく投票はすませてきた。地元より東京の結果が気にかかる。
今朝の2001では,高校の歴史教科書の検定について討論していた。
対談している人々は私よりは若いので、さきの戦争の日本の状態も見ていないかたがたばかりな様で、私は知ったかぶりな感じて好きなことをいっているなと感じる人物も居たが時代の流れなんだろうか。
なぜ戦後半世紀もたってその記述を変えるのか不思議に思っていたが。
テレビを見ていると元、座間味島守備隊長の梅澤少佐が自分は自決せよとの命令絶対出していないとして出版社に対して訴訟を起こしたのが発端のようだ。
之は、私見だが、当時の軍人でもいろいろな考え方がいたので、彼は命令は出していなかったから訴訟を起こしたのでしょう。
しかし彼の部下がどの様な行動をしていたかそれを考えたことがあるのだろうか。
現在社会を見ても、上層部の知らないうち中間管理職で処理される物事が多々ある。私は自決の命令は中間管理職に当たる小隊や班でもあり得る。部下が市民に命令してもそれは軍の命令なのだ。だからこの少佐さんも、部下の行動をよく査証して訴えたのだろうか。
この番組で、お二人の当時の体験者がお話をされていた。おそらく編集をされていて全文ではないと思うが,そのまま聞き取って書き留めてみた。
渡嘉敷島
小嶺正雄さん77歳
親戚・親族陣を作ってね、語り合ってた。泣きながらね、なんで我々は死ななければいけないちゅんだ早まったことやってしまったのだよ。後から考えれば。
あの当時の子供から大人まで、死ぬ前のわめき声まで、いまだに頭から抜けきれないですよ。
次に
沖縄キリスト短期大学名誉教授・金城重明さん78歳
加害者の意見だけを聞いて、それで国が教科書を変えるというのは、これは酷いこと、無茶なことですよ。
軍から命令があったか、実際誰が聞いたのか、そんなもんではないですよ。必然的に(集団自決に)追い込まれた。実際、米軍上陸一週間前に軍の兵器の係官が大体十数名に十名近くの村の男性青年を集めて一人二個ずつの手榴弾を配る。その時に彼等が何を言ったかというと、一発は敵に遭遇した時に投げ込んで、残りの一発で自決しろと言う。米軍の上陸以前に命令を出しているのですよ。これははっきり。
沖縄戦のキーワードは「軍官民の共生共死」軍の命令を待つというじ容態で、我々は村長のもとに結集したわけですよ。
村長が「天皇陛下万歳」と三唱する。あれはもう「これから死ぬんだよ」と云うことですよ。自決の命令と一緒です。
渡嘉敷ではありとあらゆる手に取るものはみんな凶器になるわけですよ。石で頭を叩いたり、それからカミソリとか鎌で頸動脈や手首をきったり。
私も自分の手で母親に手をかけた。私は号泣したし母親も泣いていた。追いつめられて、決して殺したくて殺したいんじゃない。だけど殺さざるをえなかったし生きるのが恐かった。
戦争の悲惨さを、戦後、中高生が殆ど教えられていない。過去の戦争の悲惨さを教えなければ、平和のことも真剣には考えない。
お二人の話を聞くと同年代の私は当時の日本の状況を思い出す。
現在、日本は改憲論が頭を持ち上げている。そして戦争の無惨な体験をなさった方々が年々少なくなり、飽食のに馴らされてはしまった国民は、防衛庁が防衛省になってもだれもなんとも感じなくなっている。
私はこの軍が自決を促したという項目は、国家として削除したかったと思うのだ。
と言うのは、以前、石破元防衛庁長官が「軍隊は国民をまもる」と言った言葉に「教科書に軍が命令して集団自決を命令した」があれば彼の言葉が嘘になる。だから、その項目を削除するきっかけを探していたと思う。
だからこの元少佐さんの訴訟が良いきっかけになったのだと、この番組で感じた。
兎に角、軍事特に戦争を遂行するには、国民には秘密が多くなると言うことは分かっている。だから私は庁が省に昇格した時から、もう日本は後戻りはできないと危惧したが、今回の教科書問題でそれが大きく踏み出したと思わざるを得ない。
これを阻止できるのは、今日の東京都知事選や地方選の結果で判断できると思う。
その結果次第では、日本はまたぞろ血の池地獄の奈落に落ちるかも分からない。
考えると地方政治を託せる人物は見当たらないが、とにかく投票はすませてきた。地元より東京の結果が気にかかる。
今朝の2001では,高校の歴史教科書の検定について討論していた。
対談している人々は私よりは若いので、さきの戦争の日本の状態も見ていないかたがたばかりな様で、私は知ったかぶりな感じて好きなことをいっているなと感じる人物も居たが時代の流れなんだろうか。
なぜ戦後半世紀もたってその記述を変えるのか不思議に思っていたが。
テレビを見ていると元、座間味島守備隊長の梅澤少佐が自分は自決せよとの命令絶対出していないとして出版社に対して訴訟を起こしたのが発端のようだ。
之は、私見だが、当時の軍人でもいろいろな考え方がいたので、彼は命令は出していなかったから訴訟を起こしたのでしょう。
しかし彼の部下がどの様な行動をしていたかそれを考えたことがあるのだろうか。
現在社会を見ても、上層部の知らないうち中間管理職で処理される物事が多々ある。私は自決の命令は中間管理職に当たる小隊や班でもあり得る。部下が市民に命令してもそれは軍の命令なのだ。だからこの少佐さんも、部下の行動をよく査証して訴えたのだろうか。
この番組で、お二人の当時の体験者がお話をされていた。おそらく編集をされていて全文ではないと思うが,そのまま聞き取って書き留めてみた。
渡嘉敷島
小嶺正雄さん77歳
親戚・親族陣を作ってね、語り合ってた。泣きながらね、なんで我々は死ななければいけないちゅんだ早まったことやってしまったのだよ。後から考えれば。
あの当時の子供から大人まで、死ぬ前のわめき声まで、いまだに頭から抜けきれないですよ。
次に
沖縄キリスト短期大学名誉教授・金城重明さん78歳
加害者の意見だけを聞いて、それで国が教科書を変えるというのは、これは酷いこと、無茶なことですよ。
軍から命令があったか、実際誰が聞いたのか、そんなもんではないですよ。必然的に(集団自決に)追い込まれた。実際、米軍上陸一週間前に軍の兵器の係官が大体十数名に十名近くの村の男性青年を集めて一人二個ずつの手榴弾を配る。その時に彼等が何を言ったかというと、一発は敵に遭遇した時に投げ込んで、残りの一発で自決しろと言う。米軍の上陸以前に命令を出しているのですよ。これははっきり。
沖縄戦のキーワードは「軍官民の共生共死」軍の命令を待つというじ容態で、我々は村長のもとに結集したわけですよ。
村長が「天皇陛下万歳」と三唱する。あれはもう「これから死ぬんだよ」と云うことですよ。自決の命令と一緒です。
渡嘉敷ではありとあらゆる手に取るものはみんな凶器になるわけですよ。石で頭を叩いたり、それからカミソリとか鎌で頸動脈や手首をきったり。
私も自分の手で母親に手をかけた。私は号泣したし母親も泣いていた。追いつめられて、決して殺したくて殺したいんじゃない。だけど殺さざるをえなかったし生きるのが恐かった。
戦争の悲惨さを、戦後、中高生が殆ど教えられていない。過去の戦争の悲惨さを教えなければ、平和のことも真剣には考えない。
お二人の話を聞くと同年代の私は当時の日本の状況を思い出す。
現在、日本は改憲論が頭を持ち上げている。そして戦争の無惨な体験をなさった方々が年々少なくなり、飽食のに馴らされてはしまった国民は、防衛庁が防衛省になってもだれもなんとも感じなくなっている。
私はこの軍が自決を促したという項目は、国家として削除したかったと思うのだ。
と言うのは、以前、石破元防衛庁長官が「軍隊は国民をまもる」と言った言葉に「教科書に軍が命令して集団自決を命令した」があれば彼の言葉が嘘になる。だから、その項目を削除するきっかけを探していたと思う。
だからこの元少佐さんの訴訟が良いきっかけになったのだと、この番組で感じた。
兎に角、軍事特に戦争を遂行するには、国民には秘密が多くなると言うことは分かっている。だから私は庁が省に昇格した時から、もう日本は後戻りはできないと危惧したが、今回の教科書問題でそれが大きく踏み出したと思わざるを得ない。
これを阻止できるのは、今日の東京都知事選や地方選の結果で判断できると思う。
その結果次第では、日本はまたぞろ血の池地獄の奈落に落ちるかも分からない。