護憲+グループ・ごまめのブログ

護憲+・現憲法を守るグループの一人して、今後の社会の状況を戦時を経験した一人として社会を見つめていきたいと思います。

私の過ごしてきた朝鮮時代の体験記  第三部 吉州編

2007年08月12日 18時04分27秒 | 戦前・戦中・戦後を語る
私の過ごしてきた朝鮮時代の体験記

第三部 吉州編 その一

 次に移った都市は、吉州です。
 ここは、巨大なパルプ工場があり中くらいの都市だった。日本人の居住者はパルプ工場せいか多かったようです。
 父は、ここの銀行の支店長代理で赴任しました。そして此所の支店長は東大卒の朝鮮の方なので朝鮮人でも支店長になれるのだと日本人の子供としてはびっくり。
 また、邑長(郡長だと思います)も朝鮮民族でした。なぜに覚えているかといいますと。護憲+の戦時中を語るにも書いていますが、出征兵士を送る時、神社に壮行会に集まった時に、「天皇陛下ばんざい」を「でんのうへいがぱんちゃい」と訛ったので、それを真似して一斉に「でんのうへいがぱんちゃい」と全生徒がやらかして、大爆笑。その為、学校へ戻ってから長い間、説教と講堂に正座させられたので、今もって忘れられない思い出として残っています。

 ここでは私たち家族の住居は、日本民族と朝鮮民族が混在している場所で、朝鮮人の出産に産婆さんが間に合わず、近所の朝鮮の方が母に助けを求めてきて無事出産を終えてからは、我が家と、ご近所の朝鮮民族の家族の関係は、以前にまして、ものすごく良くなったと言うことは、民族間でも人間同士の付き合いをしていると、個人個人の間では何の垣根もないと言うことの証明だと思います。

 母は、ここでキムチやカクテキの付け方を教わって、朝鮮民族と同じように大きな土瓶を土中に埋めてキムチを漬けていました。
 キムチはヤンバンサラミ(お金持ち)ほど高級材料を使うのでおいしいキムチができるそうです。

 転勤で次の都市の城津に行く時は、近所のオモニ(おばちゃん)は喜んで母のつけたキムチを分けていました。
 
 ここで、見た光景の一つは、この(町内)の中で娘さんが売られていきました。冬休みの出来事です親子ともども泣いていましたが、やはり生活に困窮していたのでしょう。
 連れていった女衒は日本人ではありません。朝鮮民族の男でした。






 第二部 ごく最近の物語

2007年08月12日 15時36分11秒 | 朝日新聞切抜とテレビの切とりと庶民の疑問
07年8月12日・日曜日  第二部 ごく最近の物語
 
 今朝の朝日の社説でTBSと「みのもんた」をぼろくそにいっていた。
 私は、この番組は歯に衣着せない処があり、聞いていて?と思うことがある。不二家の問題もそこからきているのだろうが、メディアに関わるものは気をつけて発言してほしい。
 だが、最近のメディアは「歯に衣着せてばかり」の発言が多いので、この番組は必要かも分からない。

 世の習いとして、有名になるほど敵が増えるのは当たり前だろう、テレビ番組の場合は文字の羅列だと分かりにくいがテロップにすると頭の弱い私には分かりやすくて好きだ。

 昨日、TBSのサタデーすばっと、でテロップを多用して或る財団法人宿舎に入居していた新参議院議員の問題を物語式にテロップを紹介する。少し文字が分かりにくいと思うが、ご勘弁を。

 財団法人・地方財務協会の職員宿舎「地財ハイム」に財団職員ばかりでなく、総務省現役職員OBまでも低家賃で入居している話をしていました。
 そこに、先日、当選した礒崎参議院議員が居住していますので取材をした報告がありました。

 テロップを多用しますので画像を呼び出しながら御覧下さい。

1・東京豊島区に激安物件の財団宿舎がありました。その名は「地財ハイム」 (ここをクリック)

2・財団法人・地方財務協会のお仕事は「出版物のはんばい」で会費は47都道府県と17政令都市が納入しています。 (ここをクリック)

3・そこに先日、当選した礒崎参議院議員が居住していました。 (ここをクリック)

4・番組が礒崎参議院議員に「どのような手続きで地財ハイムに入居したのですかと聞きますと。 (ここをクリック)

5・議員として財団の職員宿舎に総務省現役職員ばかりでなく、OBも入居していることをどう思うか聞きました。 (ここをクリック)

6・そのお答えがこれでした。 (ここをクリック)

7・今日はどこにかえるのですかにお答えは、悪びれもせず。 (ここをクリック)

8・そして菅総務大臣のお答えは。 (ここをクリック)


 番組では、以前から議員宿舎や職員宿舎問題をやっていますが、彼等は余りにも野方図すぎて、彼等の感覚は私たちと全く違う質の人間が形成されているとしか考えられない。

 日本の財政が黒字の場合だと多少の浪費も許されるのだが、一般家庭だと夜逃げをしなければ成らないほどの借金を抱えながら、己たちは平然と無駄遣いをする。宿舎問題ではこの番組はよく追跡していると思う。


 第一部  戦場からの便り

2007年08月12日 13時42分44秒 | 朝日新聞切抜とテレビの切とりと庶民の疑問
 07年8月12日・日曜日 第一部  戦場からの便り

 今日の朝日の社会面にアメリカのアンドリュー・キャロールさんが「兵士の見た歴史」を残そうと便りの収集を始めて、日本の元軍人の便りも紹介していた。
 私が一番目に付いたのが記事の頭の四行だった。

 拡大記事はここをクリック
 
  

 私の一つ上のクラスには少年兵で戦死している先輩もいるが、私は戦場行ける年齢ではないが、戦後復員してき兵隊さんに興味を持って当時の戦場の話を聞いたり、質問したりした一番年下の年代だろうと思う。

 私は、戦時中を語るにも書いているが、いろいろ話を聞いた中で感じていることは、軍隊と言う処は色々な性質の者が集まっているので、中には変わり者も居たようだ。

 しかし、一つだけ戦場で正面向かっての殺しあいでは、精神状態は正常では戦えないと言った方が何人もおられた。
 戦後、日本兵の事を悪くいわれる人々が居るが、その人々でももし戦場で命のやり取りをすることになれば元日本兵と同じだということ。勝ち戦の国家の人間は口をつぐんでいるが、戦争とはいかに残酷なものかなのだ。

 今日の新聞記事の頭の「赤枠で囲んだ」4行は此の事を顕著に物語っている。(ここをクリック)


 そして、このことを書いた海兵隊員は、人間として一番的もな人間らしい正常人だと思う。

 もう一つ、イラク・アフガンから「赤枠で囲んだ」(ここをクリック)


 の中に、「私たちが遭遇した敵は、民衆の中に身を隠し」
 はこれと同じことを、複数の復員軍人から聞いた。以前、石破元防衛庁長官が、「近代戦は科学戦だから地上軍は必要はないから、徴兵制度は絶対ない」と馬鹿なことをいっていたが、地上を治めるのは人の手は絶対に必要だということも分からない人間が政治家とは情けないのである。

 戦時を語ってくれた復員軍人の中にも、手柄を得々と語る人間もいたが、アメリカ人で、広島・長崎の原爆を正当化している人間と同じだということで、日本人の中に軍隊あり戦争ありの人物がいるのが証拠かも分からない。

 人の命のやり取りは、人の心を狂わしてしまう。だから絶対に戦争という行為はしてはいけないのだ。と言うことは、綺麗ごと言っていては戦争はできないと言うこと。

 以前、テレビ番組でアメリカ人の元硫黄島で戦った軍人が、
「大統領や政治家が戦場で戦ったら、戦争に対する認識がかわるだろう。自分達は安全なところに居るから好き勝手なことを言えるのだ」
と言っていたのを世界で軍事行動を起こしている国家の指導者にそっくりそのままお渡ししたい。