07年08月15日・水曜日 ごまめのブログ その1
敗戦の日
老いてしまった.62回目の敗戦の日を迎えたが、あの日の思い出は,講堂の中で、聞こえにくい放送を聞いていたが、説明を聞くまで日本の負けたことが現実として捉えられなく、アメリカ兵が進駐してから敗戦を現実としてとらえるようになった。
今朝の放送で、全国戦没慰霊者祭には、「戦没者の妻」の出席が110人と過去最低だと言うことは、其れだけあの戦争が、遠くなったということなのだろう。
「国民保護法」も何となしに聞いてみると何ともない法律の様に感じられる。しかし国民は自分達の何を保護してもらうか分からない法律なのが、よく見ると、私たちがその昔防空演習などしたものが「国民保護法」なのである。
我々、特に沖縄やサイパン、満州で戦闘に巻き込まれた人々は、戦争になれば、国家は国民を守ってもらえないと言うことは、体と心の中に叩き込まれているので、「国民保護法」とは平時の演習の時だけ通用する。ということは分かっている。
また今日は、みのもんたが、何故,現憲法を大切にするかという理由を特集していた。
彼は昭和19年生まれで、自分が母のおなかの中にいる時に、3歳の兄が死亡、そのお通夜に父の元に1銭五厘の赤紙の召集令状がきて、翌日、入隊して行ったのを、母が何時までたっても,「なぜ、あの様な時に国家は召集令状をよこすのだろう。入隊を待ってくれないのだろう」と言っていたのが頭の中にこびり付いて、職業柄、沖縄などの取材に行くたびに、国家の方針で戦争に巻き込まれることだけは避けたい。ただそれだけだと言っていた。
召集令状といえば、多くの友のお父さんの出生を見送りにいった、武運長久を書いき、多くの名前を書いた日章旗、今になると空しい。
またその裏返しで、親の戦死の広報が届き、涙を浮かべながら慌てて学校から走って家へ帰る友、この様な姿を何人見ただろうか。いま再軍備論者はこの姿をみたことがないから言えるのだ。
戦争を行うには軍人は必要だ。だから徴兵制度は必要になる。
当時は何も感じなかったが、一家の主人を軍にとられた家庭の生活はどうだったのだろう。里(日本の親元)に帰っていく友の後ろ姿は寂しそう。
軍という階級制度の確立しているところは初年兵はゴミ扱いだとよく聞いていた。
因に軍ではないが師範学校の寮生活では軍隊式で一年生は、上級生からゴミ同然の扱いだった。それが、軍国主義だったののろ。
ちなみに当時の兵の給料は
【兵卒】
(伍長勤務者は、五十銭加算)
上等兵 一圓(傭人、海軍一等兵) ・
一等卒 五十銭(傭人、海軍二等兵) ・・・・・
二等卒 四十銭(傭人、海軍三等兵)
伍長
一等給 二圓六十銭
軍曹
一等給 六圓・・・・
二等給 五圓・・・・・
三等給 四圓・・・・
四等給 三圓
大尉
一等給 四十四圓
大将 百五十六圓
因に昭和の5年頃の
総理給料は・800円 公務員の初任給 75円 銀行初任給 70円
下世話な話だが芸者の玉代が 3円 だそうだ。
桁が違うので現代人には分からないかも知らないが、二等兵の手当が40銭
と言うことは、銀行員の初任給の175分の1で、国家は徴兵される国民を人間扱いにしていなかった証拠だ。
因に、海外や戦地に出ると手当が加算される。それがもしかすると慰安所に消えるのだろうか。
旧軍人の給料は・レミニア陸軍 詳説
総理の給料は等は、週刊朝日・値段史年表
敗戦の日
老いてしまった.62回目の敗戦の日を迎えたが、あの日の思い出は,講堂の中で、聞こえにくい放送を聞いていたが、説明を聞くまで日本の負けたことが現実として捉えられなく、アメリカ兵が進駐してから敗戦を現実としてとらえるようになった。
今朝の放送で、全国戦没慰霊者祭には、「戦没者の妻」の出席が110人と過去最低だと言うことは、其れだけあの戦争が、遠くなったということなのだろう。
「国民保護法」も何となしに聞いてみると何ともない法律の様に感じられる。しかし国民は自分達の何を保護してもらうか分からない法律なのが、よく見ると、私たちがその昔防空演習などしたものが「国民保護法」なのである。
我々、特に沖縄やサイパン、満州で戦闘に巻き込まれた人々は、戦争になれば、国家は国民を守ってもらえないと言うことは、体と心の中に叩き込まれているので、「国民保護法」とは平時の演習の時だけ通用する。ということは分かっている。
また今日は、みのもんたが、何故,現憲法を大切にするかという理由を特集していた。
彼は昭和19年生まれで、自分が母のおなかの中にいる時に、3歳の兄が死亡、そのお通夜に父の元に1銭五厘の赤紙の召集令状がきて、翌日、入隊して行ったのを、母が何時までたっても,「なぜ、あの様な時に国家は召集令状をよこすのだろう。入隊を待ってくれないのだろう」と言っていたのが頭の中にこびり付いて、職業柄、沖縄などの取材に行くたびに、国家の方針で戦争に巻き込まれることだけは避けたい。ただそれだけだと言っていた。
召集令状といえば、多くの友のお父さんの出生を見送りにいった、武運長久を書いき、多くの名前を書いた日章旗、今になると空しい。
またその裏返しで、親の戦死の広報が届き、涙を浮かべながら慌てて学校から走って家へ帰る友、この様な姿を何人見ただろうか。いま再軍備論者はこの姿をみたことがないから言えるのだ。
戦争を行うには軍人は必要だ。だから徴兵制度は必要になる。
当時は何も感じなかったが、一家の主人を軍にとられた家庭の生活はどうだったのだろう。里(日本の親元)に帰っていく友の後ろ姿は寂しそう。
軍という階級制度の確立しているところは初年兵はゴミ扱いだとよく聞いていた。
因に軍ではないが師範学校の寮生活では軍隊式で一年生は、上級生からゴミ同然の扱いだった。それが、軍国主義だったののろ。
ちなみに当時の兵の給料は
【兵卒】
(伍長勤務者は、五十銭加算)
上等兵 一圓(傭人、海軍一等兵) ・
一等卒 五十銭(傭人、海軍二等兵) ・・・・・
二等卒 四十銭(傭人、海軍三等兵)
伍長
一等給 二圓六十銭
軍曹
一等給 六圓・・・・
二等給 五圓・・・・・
三等給 四圓・・・・
四等給 三圓
大尉
一等給 四十四圓
大将 百五十六圓
因に昭和の5年頃の
総理給料は・800円 公務員の初任給 75円 銀行初任給 70円
下世話な話だが芸者の玉代が 3円 だそうだ。
桁が違うので現代人には分からないかも知らないが、二等兵の手当が40銭
と言うことは、銀行員の初任給の175分の1で、国家は徴兵される国民を人間扱いにしていなかった証拠だ。
因に、海外や戦地に出ると手当が加算される。それがもしかすると慰安所に消えるのだろうか。
旧軍人の給料は・レミニア陸軍 詳説
総理の給料は等は、週刊朝日・値段史年表