今日、近くの集会所で午後から歌を歌ってきた。
私の住んでいる地区から「童謡をご一緒に歌いましょう」という
小さいチラシが入ってきたのが2年ほど前。
いつか仲間に入れていただこうとチラシを大事に取って置いた。
すると今年、自治会の掲示板に同じ会からのお誘いが載っていたので
それをきっかけに Tちゃんと一緒に入会。
月一回で、4回目の月曜日、参加費が一回500円。
『「こどものうた」童謡と唱歌』の本は630円、
会の都度、幾つか増える季節の歌の楽譜は1枚10円と安価。
満員の盛況で熟年女性ばかり、60人以上の集まりである。
私は今日で3回目だった。
最初の30分、幼稚園のお遊戯会のように簡単な踊りを踊る。
輪になって手を繋いだり、2人一組になってフォークダンスのように踊ったり
まず身体を動かす。
私は踊りには参加せず、真ん中に設けられている椅子に座って腕と手で参加。
足の悪い方は他にも4人くらいいらして、その方達も腕と手だけで参加。
終わると立ち上がって発声練習。 椅子に座ったままでもOK。
まるで小学校の合唱団に戻ったような気分で声を出す。
何度も発声練習をすると、若い頃の透き通った声になる気がするので
小中学生に戻った気分になった。
ここで突然、小学校時代の思い出に脱線してしまって恐縮だが・・・
昭和だと26年頃になるだろうか?
小学校高学年の頃 クラスから4人、合唱団に選ばれた。
私もその中の一人で、毎日4時過ぎまで音楽室で合唱の練習をした。
歌が好きだったので練習は辛くは無かったが、まるで喉が
張り裂けそうになるまで歌わされ、声が出辛くなるほどの猛特訓だった。
こんなに練習して声が嗄れるといざコンクールの時に声が出なくなる
と小学生の私が心配するほどの半端じゃない練習量だった。
小柄な身体いっぱいに情熱を漲らせて、タクトを振る音楽の教師
「佐藤先生」は、初めからハッキリとコンクールを目指していた。
たぶん彼は赴任したばかりだったような気がする。
だから我が小学校としてもコンクールは初挑戦だったと思う。
「そこはピアニッシモ、ピアニッシモ!
ここはフォルテ。強く、強く!」
熱っぽく指導している先生の声と姿が遠い記憶の中から
浮かび上がってくる。
弱くなった陽の入ってくる音楽室の壁を思い出す。
4年生から6年生の合唱団で、人数は2~30人だったろうか?
コンクールには出たが、もちろん選には外れた。
小学生でも情熱のある授業を受けると、精神が高揚して
戸惑いながらも、目指す高みに近づこうと努力するものだ。
結果は如何あれ、その努力の思い出が楽しい。
「全国小学校合唱コンクール」(←正式名称は知りません)
に挑戦するなんて、無謀な夢、と思って、もうその事は忘れ果てていた
ある日・・・
それは私の高校の時だったろうか?
ラジオから聞こえて来たニュースは。。
私の出た小学校が音楽コンクールの合唱で全国優勝したというニュースだった。
そして指導者は私の時と同じ「佐藤先生」だった。
あの熱心な先生は、私達を指導したずっと後に夢を叶えたのだと
賞賛の気持ちが湧く一方で、優勝したのが自分達じゃなかった事を
残念がっていた。
でも最初から優勝できるはずも無い。
私達が初めの一歩だったことを誇りとしよう、と思う。
なんと不思議! ひとつのことを思い出すと遥か昔のことで
もう思い出せないと諦めていた記憶が、次から次へと
芋づる式に戻ってきてしまった。
一生懸命練習に励んだ 小学生だった頃の私に エール!
また、ここで現在の平成20年10月に戻るが、熟年も盛りに差し掛かると
幼稚園のお遊戯会の様な踊りでも小学唱歌でも、楽譜を見ながら
声を一生懸命に出して歌うことは、身体の健康にも認知症予防にも
良いことじゃないかと、何となく寂しさを感じながら
自分に言い聞かせている。
今日歌った歌で題名が分るものは
故郷の廃家
もみじ
真夜中のギター
今日の日はさようなら
もっと歌ったのに。。
あ、日記の代わりなのでつづきがある。
27日月曜日は、童謡唱歌の会の後で
久し振りにミシンを出して枕カバーを5枚、縫った。
枕カバーは厚手の綿である。
近ごろ店で多く見かける枕カバーは、高価なブランド品を除いて、
薄手が多かったり化学繊維が入っていたり、安眠できそうにない
個性的な柄の枕カバーが多いので、購入意欲はわかない。
それでしっかりした綿の生地と安らぐ柄を選んで自分で作ろうと思った。
生地を買って直線縫いで出来上がる。
知人や親族に枕のサイズを聞いて、枕カバーをみんなに送りつけようかと
変なものに張り切っている。
昔の松葉ぼたんに似ている写真なので 昔の懐かしんで↓
私の住んでいる地区から「童謡をご一緒に歌いましょう」という
小さいチラシが入ってきたのが2年ほど前。
いつか仲間に入れていただこうとチラシを大事に取って置いた。
すると今年、自治会の掲示板に同じ会からのお誘いが載っていたので
それをきっかけに Tちゃんと一緒に入会。
月一回で、4回目の月曜日、参加費が一回500円。
『「こどものうた」童謡と唱歌』の本は630円、
会の都度、幾つか増える季節の歌の楽譜は1枚10円と安価。
満員の盛況で熟年女性ばかり、60人以上の集まりである。
私は今日で3回目だった。
最初の30分、幼稚園のお遊戯会のように簡単な踊りを踊る。
輪になって手を繋いだり、2人一組になってフォークダンスのように踊ったり
まず身体を動かす。
私は踊りには参加せず、真ん中に設けられている椅子に座って腕と手で参加。
足の悪い方は他にも4人くらいいらして、その方達も腕と手だけで参加。
終わると立ち上がって発声練習。 椅子に座ったままでもOK。
まるで小学校の合唱団に戻ったような気分で声を出す。
何度も発声練習をすると、若い頃の透き通った声になる気がするので
小中学生に戻った気分になった。
ここで突然、小学校時代の思い出に脱線してしまって恐縮だが・・・
昭和だと26年頃になるだろうか?
小学校高学年の頃 クラスから4人、合唱団に選ばれた。
私もその中の一人で、毎日4時過ぎまで音楽室で合唱の練習をした。
歌が好きだったので練習は辛くは無かったが、まるで喉が
張り裂けそうになるまで歌わされ、声が出辛くなるほどの猛特訓だった。
こんなに練習して声が嗄れるといざコンクールの時に声が出なくなる
と小学生の私が心配するほどの半端じゃない練習量だった。
小柄な身体いっぱいに情熱を漲らせて、タクトを振る音楽の教師
「佐藤先生」は、初めからハッキリとコンクールを目指していた。
たぶん彼は赴任したばかりだったような気がする。
だから我が小学校としてもコンクールは初挑戦だったと思う。
「そこはピアニッシモ、ピアニッシモ!
ここはフォルテ。強く、強く!」
熱っぽく指導している先生の声と姿が遠い記憶の中から
浮かび上がってくる。
弱くなった陽の入ってくる音楽室の壁を思い出す。
4年生から6年生の合唱団で、人数は2~30人だったろうか?
コンクールには出たが、もちろん選には外れた。
小学生でも情熱のある授業を受けると、精神が高揚して
戸惑いながらも、目指す高みに近づこうと努力するものだ。
結果は如何あれ、その努力の思い出が楽しい。
「全国小学校合唱コンクール」(←正式名称は知りません)
に挑戦するなんて、無謀な夢、と思って、もうその事は忘れ果てていた
ある日・・・
それは私の高校の時だったろうか?
ラジオから聞こえて来たニュースは。。
私の出た小学校が音楽コンクールの合唱で全国優勝したというニュースだった。
そして指導者は私の時と同じ「佐藤先生」だった。
あの熱心な先生は、私達を指導したずっと後に夢を叶えたのだと
賞賛の気持ちが湧く一方で、優勝したのが自分達じゃなかった事を
残念がっていた。
でも最初から優勝できるはずも無い。
私達が初めの一歩だったことを誇りとしよう、と思う。
なんと不思議! ひとつのことを思い出すと遥か昔のことで
もう思い出せないと諦めていた記憶が、次から次へと
芋づる式に戻ってきてしまった。
一生懸命練習に励んだ 小学生だった頃の私に エール!
また、ここで現在の平成20年10月に戻るが、熟年も盛りに差し掛かると
幼稚園のお遊戯会の様な踊りでも小学唱歌でも、楽譜を見ながら
声を一生懸命に出して歌うことは、身体の健康にも認知症予防にも
良いことじゃないかと、何となく寂しさを感じながら
自分に言い聞かせている。
今日歌った歌で題名が分るものは
故郷の廃家
もみじ
真夜中のギター
今日の日はさようなら
もっと歌ったのに。。
あ、日記の代わりなのでつづきがある。
27日月曜日は、童謡唱歌の会の後で
久し振りにミシンを出して枕カバーを5枚、縫った。
枕カバーは厚手の綿である。
近ごろ店で多く見かける枕カバーは、高価なブランド品を除いて、
薄手が多かったり化学繊維が入っていたり、安眠できそうにない
個性的な柄の枕カバーが多いので、購入意欲はわかない。
それでしっかりした綿の生地と安らぐ柄を選んで自分で作ろうと思った。
生地を買って直線縫いで出来上がる。
知人や親族に枕のサイズを聞いて、枕カバーをみんなに送りつけようかと
変なものに張り切っている。
昔の松葉ぼたんに似ている写真なので 昔の懐かしんで↓
はい、その時のこと、誇りに思います。
Jさんは子育て真っ最中ですよね。
現代の子どもだって、本当の情熱に支えられる厳しい指導を受け取る用意が出来ていると思うのです。
それが中途半端だと、子どもも中途半端に終わってしまうような気がします。 未来のある子ども達、ぜひ教育に情熱のある先生に出会って欲しいものです。
枕カバー、全部で6枚作ったのです。
最初の一枚は、チクチクと手縫いでしたよ。
半返しで縫っていきました。 明日はユザワヤに生地を買いにいってきます。 ダブル幅の気に入った柄が見付かれば嬉しいのですけど・・
未だに頭のどこかの貯蔵庫(海馬?)に隠されていて、時が来て呼び出しが掛かるのを待っているようですね。 記憶は失われた訳じゃないってことに気がつきました。印象的なキーワードでピカッと頭のランプがついて又次々がついて、記憶が表面にでてくるのでしょうか?
実は春さんもここで「体育館で取っ組み合いの喧嘩した」と書いた後に、その時代の光景を思い出したのではないでしょうか。 いかにも男の子らしい光景です(笑) うちの孫も取っ組み合いの喧嘩くらいできれば良いのに。
童謡は叙情歌でもあるのですね。
鮫島有美子さん、その方のCDに出会ったら、ぜひ購入したいものです。
童謡の良いところは思い出と繋がっているからですよね。
童謡唱歌の本の中には今になっても覚えている歌が
並んでいて懐かしいです。 童謡の会がなければ、二度と歌うチャンスが無かった歌です。 歌うと甘酸っぱい思いが喉に痞えます。
私の声はソプラノではなくてアルトなのです。
ですから合唱では本筋のメロディーは歌えませんでした。
低音部ばかり歌わせられて、ちょっとばかし悲しかったです。
今はアルトで良かったと思っていますが、小学生の時はソプラノの声を出せる人を羨んでいましたよ。
今はもう、美声どころか普通の声を出すのにも苦労する有様です
その初めの一歩だったばーばさん達生徒さんは、当時の頑張りと煌きに誇りを持って良いと思います!
がっかりするような先生が多い昨今、子供の記憶にいつまでも残るような方の存在が増える事を切に願います。
枕カバー、私も安価で質の良い気に入るものをなかなか見つけられずにいたのですが、自分で作ってみようとは思ってもみませんでした!(笑)
ミシンはどうも相性が悪くて苦手なのですが、好きな生地を買ってきて自分で縫うのも良いかもしれない・・と、ばーばさんのブログを読んで思いました。
好きな柄なら何とか気合が入るかもしれない(笑)頑張りますp(^-^)q
やはり、精一杯頑張ったことなので心の奥深くそれが刻み込まれていたのでしょうね。
なんといってもいつも一生懸命なばーばさんのエピソードであります。
わたしの小学校時代の記憶はかなり薄れていて、
まあ体育館で取っ組み合いの喧嘩をしたことだけは忘れませんが・・(笑)
童謡など叙情歌はわたしもすきです。
鮫島有美子さんの歌がよくて、彼女のCDを4~5枚もっています。
60年過ぎてもあの頃に覚えた歌を忘れないで歌えるなんて不思議ですね。
昔の歌を歌うと、必ず何かの思い出につながりますね。
ばーばさんは美声だったのですね。私はだみ声とまではいかないけど、低音で合唱なんて無理でした。
テープに入って自分の声にショックを受けたことを思い出しました。
何でも夢中になれるものがあると楽しいですね。