夜になって、やっと孫が帰りました。
孫の訪問は
「来てくれてありがとう」
「帰ってくれてありがとう」だと何処かに書いてありましたが、そのとおり。
さすが”クーくん大好き”の私でも帰り際にはそのセリフを言いたくなります。
第一体力が違いますからね。 子どもは尽きせぬ体力で私たちを圧倒します。
ウチを(際限なく甘えて良いところ)と認識していて思いっきり甘えてきます。
後ろから飛びついて抱きついたり、オンブオンブとふざけたり、座っていると強引に肩に乗って、「ばーば、立ち上がって。」と言ったり。
先週は出来ても今週はもう出来ない、という事があるのを言って聞かせても、相手はそう簡単には納得してくれないのです。
そう認識させてしまったのは私ですが、だんだん体力的に劣勢になりつつあるのに、向こうは上り調子。 その差を最近はつくづく自覚するようになりました。
パパやママのいるところで、そんな甘え方をしたら、「年寄りに何てことするんだ!」と孫はうんと怒られてしまいますが(失礼な。大声で年寄りとは何事よ。)、金曜の夜から日曜日の夕食までは殆ど孫とばーばの二人だけなのです。
”週末はばーばの所”で、の習慣は重度の障害を負っていた下の孫が退院してきた頃からでした。
24時間体制の在宅看護を必要とする子だったので、ママは常に付き切りでした。
だから元気なクーくんを、専業主婦になったばーばが専任のように面倒見たのです。
ママのお母さんも勿論協力してくれましたが、お仕事を持っていたのでクーくん係りは私が主でした。
何とかして孫を喜ばそうと近くの公園を駆け回ったり、室内プールに連れて行ったり、小動物のいる公園で遊ばせてモルモットを抱っこさせたり。
小さくて稚い孫を愛し、心から信頼される関係は私たちをとても癒してくれて、日常生活に無くてはならない存在になりました。
そんな時、障害を負った孫が突然、昨年亡くなって・・・
悲しみと絶望が家族を打ちのめし・・・
重度の障害を負って苦しみながらも生き続け、笑顔を見せてくれるその子の為に、少しでも自分も役に立てたらと、家族の誰もが思っていました。何度か死に瀕しても不死鳥のように生き返り、その度に機能を少しづつ失いながらも家族の元に帰って来てくれた下の孫。 だから決してこの子は死なない・・と思っていた矢先に、呆気なく旅立ってしまったのです。
以心伝心、協力して良い家族の輪が出来ていました。でもその死以来、爺婆でさえ目的を見失い、迷路の中に入り込んでしまいました。 クーくんは目の前で弟に死なれ強いショックを受けたからこそ、よけい家族に癒され愛されたがっていました。
それを心から理解してやれるのは、その時は爺婆だけでした。
パパやママはまだまだ、暗闇の中にいて・・・
そして孫が来る習慣が、そのまま続いているのです。
「ばーば、そっちに行って良い?」
「うん。来てくれるの?嬉しいね。喜んで待っているよ。」
「今日は来られるかな?」
「今週は予定が有るのです。」とママ。
寂しいけれど、ほっとするばーば。
孫の訪問は
「来てくれてありがとう」
「帰ってくれてありがとう」だと何処かに書いてありましたが、そのとおり。
さすが”クーくん大好き”の私でも帰り際にはそのセリフを言いたくなります。
第一体力が違いますからね。 子どもは尽きせぬ体力で私たちを圧倒します。
ウチを(際限なく甘えて良いところ)と認識していて思いっきり甘えてきます。
後ろから飛びついて抱きついたり、オンブオンブとふざけたり、座っていると強引に肩に乗って、「ばーば、立ち上がって。」と言ったり。
先週は出来ても今週はもう出来ない、という事があるのを言って聞かせても、相手はそう簡単には納得してくれないのです。
そう認識させてしまったのは私ですが、だんだん体力的に劣勢になりつつあるのに、向こうは上り調子。 その差を最近はつくづく自覚するようになりました。
パパやママのいるところで、そんな甘え方をしたら、「年寄りに何てことするんだ!」と孫はうんと怒られてしまいますが(失礼な。大声で年寄りとは何事よ。)、金曜の夜から日曜日の夕食までは殆ど孫とばーばの二人だけなのです。
”週末はばーばの所”で、の習慣は重度の障害を負っていた下の孫が退院してきた頃からでした。
24時間体制の在宅看護を必要とする子だったので、ママは常に付き切りでした。
だから元気なクーくんを、専業主婦になったばーばが専任のように面倒見たのです。
ママのお母さんも勿論協力してくれましたが、お仕事を持っていたのでクーくん係りは私が主でした。
何とかして孫を喜ばそうと近くの公園を駆け回ったり、室内プールに連れて行ったり、小動物のいる公園で遊ばせてモルモットを抱っこさせたり。
小さくて稚い孫を愛し、心から信頼される関係は私たちをとても癒してくれて、日常生活に無くてはならない存在になりました。
そんな時、障害を負った孫が突然、昨年亡くなって・・・
悲しみと絶望が家族を打ちのめし・・・
重度の障害を負って苦しみながらも生き続け、笑顔を見せてくれるその子の為に、少しでも自分も役に立てたらと、家族の誰もが思っていました。何度か死に瀕しても不死鳥のように生き返り、その度に機能を少しづつ失いながらも家族の元に帰って来てくれた下の孫。 だから決してこの子は死なない・・と思っていた矢先に、呆気なく旅立ってしまったのです。
以心伝心、協力して良い家族の輪が出来ていました。でもその死以来、爺婆でさえ目的を見失い、迷路の中に入り込んでしまいました。 クーくんは目の前で弟に死なれ強いショックを受けたからこそ、よけい家族に癒され愛されたがっていました。
それを心から理解してやれるのは、その時は爺婆だけでした。
パパやママはまだまだ、暗闇の中にいて・・・
そして孫が来る習慣が、そのまま続いているのです。
「ばーば、そっちに行って良い?」
「うん。来てくれるの?嬉しいね。喜んで待っているよ。」
「今日は来られるかな?」
「今週は予定が有るのです。」とママ。
寂しいけれど、ほっとするばーば。
の心の中には、子供のころ肌で感じた優しいばーばの
思い出が・・・。
2年生まではまだ甘えてくれるかな?と期待しますが、自立心が強くなるとソロソロ寂しいことになる可能性が出て来ますね。そしたら嬉しかったり悲しかったりと複雑な気持ちになると思います
投稿記事がだいぶ増えました。今までの原稿をコピーしてワードに貼り付け、そして投稿写真を貼り付け、A4サイズの本に製本してみませんか。クー君への良い贈り物になると思います。その時にイラストや色々な書体を使って...
ブログの記事をワードに移したいけれど、文字がきちんと納まってくれたかと思うと、次の記事では一段おきになったりして上手くいかないので、2~3の記事以外保存するのを止めてしまいました。ちょっと今未だ頭が整理出来ていません。
アドバイスよろしくお願いします。