孫がこの写真の頃、生後5ヶ月ごろだったろうか?
神秘的な体験をした。
まだ自分でお座りも出来ない孫を座布団を背当てにして座らせていた。
そのまま座って部屋を片付けていると視線を感じた。
それは生後5ヶ月の孫だった。
孫は笑いを含んだ好奇心満々の目で私を見詰めていた。
大きな黒目がちのオメメが、瞬きもせずに私を観察している。
ジロジロと、ほとんど不躾に・・・
失礼な感じはしなかったが、大人は決してしない事だと思った。
普通こんなに長い間、人をじーっと見詰めることはしない。
そしてその眼には高度の知性が宿っていると感じた。
まだ生まれて5ヶ月の赤ちゃんがこんな眼で私を見る!?
孫の眼を借りて別の知性に視られているのかも、とも疑った。
私は改まって彼の前に謙虚な気持ちで座りなおし、
(どうぞ、あなたの観察眼に耐えられるような私でありますように。)
と願ってかしこまっていた。
手足も自由に動かせず、背当てに寄りかからせなければ
お座りも満足に出来ない丸々太った赤ちゃんの姿と
高度な知性を宿した瞳との対比が、とても可笑しかった。
今になっては、多分2~3分の出来事かと思うが、
それでも孫の長い観察に合格点がもらえたのだろうか?
と今でも時々思い出す。
というよりその時の事が忘れられない。
以来、赤ちゃんは高い知性と感性を持っているのを疑ったことはない。
大人になるに連れ、雑な知識が入ってきて曇るのかも知れない。
それとも・・・
ある時、遺伝的に持ってきた(本能)と呼ばれる知性と
現世を体験した知識とが、前後に入れ替わる時が有るのかも、
と考える今日この頃である。
このスピチュアルともいえる体験を話したくて
「孫との出会い」を書いた。
些細な事なのかも知れないが、私にとっては
大きな忘れられない出来事であった。
その日から全ての赤ちゃんの知性に対して敬意を払っている。
そして彼とはその日から「対等な人間」としての敬意を持った
付き合いが始まったと思っている。
7月末、軽井沢にて 私に抱っこされるくーくん。
神秘的な体験をした。
まだ自分でお座りも出来ない孫を座布団を背当てにして座らせていた。
そのまま座って部屋を片付けていると視線を感じた。
それは生後5ヶ月の孫だった。
孫は笑いを含んだ好奇心満々の目で私を見詰めていた。
大きな黒目がちのオメメが、瞬きもせずに私を観察している。
ジロジロと、ほとんど不躾に・・・
失礼な感じはしなかったが、大人は決してしない事だと思った。
普通こんなに長い間、人をじーっと見詰めることはしない。
そしてその眼には高度の知性が宿っていると感じた。
まだ生まれて5ヶ月の赤ちゃんがこんな眼で私を見る!?
孫の眼を借りて別の知性に視られているのかも、とも疑った。
私は改まって彼の前に謙虚な気持ちで座りなおし、
(どうぞ、あなたの観察眼に耐えられるような私でありますように。)
と願ってかしこまっていた。
手足も自由に動かせず、背当てに寄りかからせなければ
お座りも満足に出来ない丸々太った赤ちゃんの姿と
高度な知性を宿した瞳との対比が、とても可笑しかった。
今になっては、多分2~3分の出来事かと思うが、
それでも孫の長い観察に合格点がもらえたのだろうか?
と今でも時々思い出す。
というよりその時の事が忘れられない。
以来、赤ちゃんは高い知性と感性を持っているのを疑ったことはない。
大人になるに連れ、雑な知識が入ってきて曇るのかも知れない。
それとも・・・
ある時、遺伝的に持ってきた(本能)と呼ばれる知性と
現世を体験した知識とが、前後に入れ替わる時が有るのかも、
と考える今日この頃である。
このスピチュアルともいえる体験を話したくて
「孫との出会い」を書いた。
些細な事なのかも知れないが、私にとっては
大きな忘れられない出来事であった。
その日から全ての赤ちゃんの知性に対して敬意を払っている。
そして彼とはその日から「対等な人間」としての敬意を持った
付き合いが始まったと思っている。
7月末、軽井沢にて 私に抱っこされるくーくん。
私も新生児に対しては当初かわいいとか正直あまり思えないというか、ほんとうにかわいらしい見た目になってくるのは少し育ってからと思っていました。でも子持ちになると急に自分の子は世界一かわいく思えてしまって 遺伝子の思惑にもはや深々はまっています・・・。
赤ちゃんてきっと誰かの生まれ変わりで、その目はずっと色々なものを見てきたのかな、前は同じまなざしのどんな人だったの?って時々ふと聞いてみたくなる私です。
ブログ、私も拝見させていただいています。
ちょこさんのお子さんの表情がとても素敵だなと
私も思っているんですよ!
小さいお子さんを見るのは大好きですから。
それに地震が怖いから参考にさせて頂いています(笑)
竹内久美子の「利己的遺伝子」や他の人の遺伝子関係の本、結構なるほどと感心したりして・・
面白いです。
でも、あの体験は中々のものでしたよ。
一体なんだったのだろうと今でも不思議ですが、でも
気付かない内にもっと不思議体験をしているのかも知れないですね。
自分が体験しなければ解らないこと沢山ありますね。
ずっと子供はどちらかと言うと苦手だった私ですが、不思議に自分の子供は絶対欲しいと思っていました。
生まれてみたらなんて可愛い事!(笑)その後は他人のお子さんを見る目も変わりました。
赤ちゃんには無条件に微笑まされるし、癒されます。あの澄んだ瞳は何よりも尊いものですね。
そして、こちらで意外な方のお名前発見!(笑)
なるほど私の好きな御二方が繋がっていたのには、何だか妙に嬉しく納得です。
私はお二人のブログから、同じような優しさと暖かさをいつも感じさせて貰っています(^-^)
雲や耳鳴りと地震が関係あるだなんて、以前の私なら笑っていたに違いない事態ですが、家族を守りたくて真剣に観察を続けています。
Jさん、私Jさんのブログでばーばさんをお見かけして、それでこっそりお邪魔させていただくようになりました、ご縁をありがとう
Jさんのお子さんのお宮参りも同じく明治神宮でしたか。
家も娘や息子のお宮参りも明治神宮でした。
森が深くて静寂で、神宮と名のつくところは良い場所ですね。
長い参堂の大きな玉砂利が玉に傷!?
私も20代の後半までは子どもは大の苦手でした。
生まれてみたら大忙しで、年子で下の子が
生まれたものですから新米ママは益々忙しく
眠っている時が一番可愛かったです
それまで子どもが苦手でも自分に子が出来たら
周囲のお子さんに対する眼も180度変ってきますね。不思議!
ちょこさんには良いアドバイス頂きました。
それで、ゆっくり拝見させていただいてたのですよ
報告遅れましたがアドバイス頂いて私も少し変りましたよ。
ありがとうございます。
お子さんの表情の豊かさ、私も見ていて飽きませんでした。
小さな大人、その通りですね。
孫の言動に接していると私も敵わない非常に大人なところがあります。
良い年齢して私が子どもなだけかも知れませんが。
違った個性というのでしょうか、
舌を巻くこともしばしばで、とても新鮮です。
そういう風に客観的に見られるようになったのも
一世代越えた「祖母」だということが大きいのです。
地震雲はけっこう有名ですが、他には耳鳴りですか。
私は3~4年前の7月に東京の震度5の地震の時に
スーパーの3階に居たのですがゴウーという地鳴りを感じました。
何か起きるというのはすぐに分かりました。
2度目の余震もゴーという地鳴りを感じたので、
すぐ近くの何かにしがみ付き、しゃがみ込みました。
ゴウーというのが地震波なのですね。
耳というのは何かと敏感なのですね。
大地震の周期が30年の宮城県に住むご苦労、お察しします。