母の命日は12月10日。
この日はインフルエンザ騒動で家にじっとしていたので
やっと19日の今日、東上野にある実家のお墓に1人でお参り。
墓石に水をかける時、昨年も今年も(なんで私が水をかけるの?)と思います。
何時もは娘と一緒の墓参りで、墓地の入り口で娘が手桶を持ち
父母の墓石に水をかけるのに、昨年から私一人。
水をかけ、煙を上げる線香の束を立てて、お参り。
娘が私の隣に立って父母にお参りしている姿が目に浮かび
やっぱり一緒にいるんだね、と優しい気持ちになれました。
その後、いつものお決まりのコース。
東上野から歩いてかっぱ橋商店街を通り抜け、浅草寺まで。
19日は浅草の羽子板市の最終日です。
まず仲見世通りを行きます。
私にとっては久し振りの宝蔵門の小舟町の大提灯。
一年半くらい? 工事のため白い幕に覆われ閉鎖しておりました。
宝蔵門の見えない仲見世はうら寂しくもの足りない感じでしたが
今年の6月にやっと修理を終わって復帰。
平日とはいえ、羽子板市も開けれていることから人出は多めのよう。
華やかです
本堂を見る
本堂に入ってお参りし、おみくじを引いたら吉でした。
本堂より宝蔵門方面を見る
突然お腹が空いてきました。
先ほど母や娘とよく入った「梅園」でお汁粉を食べようと
店に行きましたが満員。
待つのも面倒で帰りにでもと我慢をしていたらもう夕方の4時。
浅草寺の境内に何時もの日より何倍も屋台が多く出ていて
焼きそばの良い匂いが漂い出していました。
テントもあります。
その前に立ち、
「焼きそば下さい。」
やわらかな笑顔の青年がやって来て、
「たくさんオマケするよ。」
と容器に焼きそばを大盛りに盛ってくれましたが、
私は あっ、ダイエット中・・・と声無き叫び!
どうせもうお客さんは少ないからだろうと、
ひねて思いつつも好意が嬉しくて。
テントの中には練炭の焚いてあるバケツやドラム缶がところどころに置いてあり
本物の火の威力はうんと暖かくて。
焼きそば食べていると その屋台の青年は
「ほら、こっちの湯気、シャッターチャンスよ!」と
呼んでくれました。
何がシャッターチャンスなのかと思ったら、お好み焼きの湯気が
竜巻のようにクルクルと巻いていたのだそうです。
もう普通の湯気に戻ってしまいましたが・・
とても雰囲気がやわらかくて優しく
言葉が日本人の発音じゃない。
顔の表情も違うのはすぐに分かりました。
彼はきっと韓国人。
それも在日の方ではないような気がしました。
とても素朴で優しくて。
この雰囲気は今の日本人の青年とは違います。
韓国ドラマに嵌る気持ちが少しづつ分かってきました。
「美味しかったわ。」と屋台を出ると、テントの外はもう夕暮れ
仲見世にも明かりが入りました。
もう、帰りの時間です。
この日はインフルエンザ騒動で家にじっとしていたので
やっと19日の今日、東上野にある実家のお墓に1人でお参り。
墓石に水をかける時、昨年も今年も(なんで私が水をかけるの?)と思います。
何時もは娘と一緒の墓参りで、墓地の入り口で娘が手桶を持ち
父母の墓石に水をかけるのに、昨年から私一人。
水をかけ、煙を上げる線香の束を立てて、お参り。
娘が私の隣に立って父母にお参りしている姿が目に浮かび
やっぱり一緒にいるんだね、と優しい気持ちになれました。
その後、いつものお決まりのコース。
東上野から歩いてかっぱ橋商店街を通り抜け、浅草寺まで。
19日は浅草の羽子板市の最終日です。
まず仲見世通りを行きます。
私にとっては久し振りの宝蔵門の小舟町の大提灯。
一年半くらい? 工事のため白い幕に覆われ閉鎖しておりました。
宝蔵門の見えない仲見世はうら寂しくもの足りない感じでしたが
今年の6月にやっと修理を終わって復帰。
平日とはいえ、羽子板市も開けれていることから人出は多めのよう。
華やかです
本堂を見る
本堂に入ってお参りし、おみくじを引いたら吉でした。
本堂より宝蔵門方面を見る
突然お腹が空いてきました。
先ほど母や娘とよく入った「梅園」でお汁粉を食べようと
店に行きましたが満員。
待つのも面倒で帰りにでもと我慢をしていたらもう夕方の4時。
浅草寺の境内に何時もの日より何倍も屋台が多く出ていて
焼きそばの良い匂いが漂い出していました。
テントもあります。
その前に立ち、
「焼きそば下さい。」
やわらかな笑顔の青年がやって来て、
「たくさんオマケするよ。」
と容器に焼きそばを大盛りに盛ってくれましたが、
私は あっ、ダイエット中・・・と声無き叫び!
どうせもうお客さんは少ないからだろうと、
ひねて思いつつも好意が嬉しくて。
テントの中には練炭の焚いてあるバケツやドラム缶がところどころに置いてあり
本物の火の威力はうんと暖かくて。
焼きそば食べていると その屋台の青年は
「ほら、こっちの湯気、シャッターチャンスよ!」と
呼んでくれました。
何がシャッターチャンスなのかと思ったら、お好み焼きの湯気が
竜巻のようにクルクルと巻いていたのだそうです。
もう普通の湯気に戻ってしまいましたが・・
とても雰囲気がやわらかくて優しく
言葉が日本人の発音じゃない。
顔の表情も違うのはすぐに分かりました。
彼はきっと韓国人。
それも在日の方ではないような気がしました。
とても素朴で優しくて。
この雰囲気は今の日本人の青年とは違います。
韓国ドラマに嵌る気持ちが少しづつ分かってきました。
「美味しかったわ。」と屋台を出ると、テントの外はもう夕暮れ
仲見世にも明かりが入りました。
もう、帰りの時間です。
浅草は高校生の修学旅行で行ったきりですが、仲見世を歩いたことが思い出されます。
羽子板は今では飾り物ですが、私たちの子どもの頃は正月に羽根つきをするので、必ず自分用の羽子板を持っていましたね。もっとも絵が描いてある安物でしたが…。負けると顔に墨を塗られて、なんて懐かしいですね。
あと10日、何だか気分だけが年の瀬で、しなければならないと思いながらコタツの守りばかり、ダメですねー。
そのときの浅草は工事中のところがあって、白い布がかぶさっていました。
そのときは浅草にしては人通りも少なくて、
えっと思っていましたが、
もう、すっかり化粧直しがおわったようで、
いつもの賑わいを取り戻していますね。
焼きソバの大盛り?美味しかったですか。
やはり、屋台のお兄さんのやさしさが、味を何倍もよくしてくれますね。
たしかに、彼の笑顔、いい顔してますよ。
なんだか 一緒に 浅草を 歩いたような 気持ちになれました。
もっと 子供たちが大きくて 自分だけの時間がたくさんできたら
ばーばさんの 隣を一緒に歩けるのに・・・
そう 思った 春堤でした。
年の瀬の独特の雰囲気が感じられました。
昔と同じ、絵が描いてある羽子板と羽、売っていましたよ。
羽子板はたしか一枚700円、羽は5個くらいで1000円かな?
私も子供の頃、家に飾ってある歌舞伎絵の布張りの羽子板を見て「あれで羽根突きしたい!」とごねたものでした。でも使い勝手は最悪でしたね(^^)
そういえば墨を塗られて顔を洗うのが大変でした。
懐かしい正月風景です
私もあれもこれもと気分は焦れども・・・
やっと浅草らしくなりましたよ(^^)
焼きそば 美味しかったです。
完食してしまいました。
やはり人が満足するのは、人との触れ合いですね。
優しい笑顔で親切にされれば国境など無いですよね
味気ないものも美味しさ倍増は間違いなしです
さすがそういう行事が有ると一段と賑わいますね!
幾ら以上の羽子板かな?
売れると威勢の良い手締めと声が響き渡って
暮れていく年の瀬の景気付けにもなっています。
年の瀬の浅草に来たっていう感じですね。
行く時は目的意識だけで何も考えなかったのですが
帰りに「春堤さんのお勧めのお好み焼きの店どこだろう?ブログ読み直してくれば良かったな。」と今更の後悔をしていました。
お子さんが大きくなって手が離れたら・・・
嬉しいこと聞けて、ジーン
わたくしの体が丈夫で、家族揃ってこんな
暮れの街を歩いてみたい。
人と出店で賑わう暮れの街で、羽子板を
どれにしようかあれこれ見たり、焼きそばも
立ち止まって食べてみたい!
「こぼしちゃダメよ」なんていいながら・・ね!
素敵なお写真のおかげで、ひとときの夢物語を
見せていただきました。
ほんのひとときで、わたくしは十分幸せ。。。
有り難うございました
暮れの浅草の賑わいは、ひときわ年の瀬を感じます。
私も1人で歩きながら、色々思いを馳せていました。
幼い頃、浅草の遊園地の花やしきに、
何度も母に連れられて来たらしいこと。
母はこの近くで生まれ育ったので、年取ってからは
なお更、浅草は懐かしい場所だったろうと思います。
浅草は江戸の賑わいを残していますね。
もう少し、その場の状況を書けば
もっと「らしさ」を感じていただけたかと・・
最近、文章が中々出てきません。
写真の助けがなければ
とても嬉しく思います。
教養深く、文才の素晴らしいばーば様のお話に
いつも、とても元気を頂戴しました。
有り難うございました。
来年も、また、どうぞ仲良くしてくださいませ
お疲れがでませんように。
ブログのお付き合い、ありがとうございました。
来年がすばらしい年でありますように。
ご家族皆様のご健康とご多幸をお祈りいたします。