ばーばの独り言

愛する娘へ。孫と過ごす喜びと身辺の出来事

☆  昔話し 

2007-07-30 01:51:53 | よもやま話

テレビはどの局に回しても選挙速報が盛んに流れてきます。
まだ開票中ですが今回は出口調査によると
自民党惨敗 民主党躍進 という事になるそうです。
出口調査という言葉は聞くけれど、この漢字で良いのかどうか。
それさえも知らないのですが。

安倍さんは小泉さんの下で拉致被害者の為に一生懸命努力
していた時は良い顔をしていましたが、徐々に彼の顔の印象が
変わって行くのが気になりました。
鬱屈を抱えた暗い印象が強くなり、それは私だけが勝手に
感じる印象なのか、他の人にはそれが見えないのか?
それは総理になってからではなくこの2~3年前からのことでした。 
だからどうした! と言われても困ることなんですが・・・


あ、そんな印象の為に書き始めたのではありませんでした。
テレビを観ていて思い出したのは竹下登さんの写真が出て
島根が映ったからでした。



今からお話しするのは40年以上も前のことです。
思い違いも有るかも知れません。わかったらご指摘ください。

私はむかし、20代半ばの頃、勤めた会社を辞めて北海道の札幌に
半年間住んで居たことがあります。 
半年後、家に戻ってから職を探すので何気なく新聞広告を見ていたら
「議員秘書募集」と書いてあり、多少の野次馬根性と怖いもの見たさから、
応募すると採用になりました。
自民党の新潟県選出の議員でした。

出勤するとそこは第二議員会館にしては古く貧しそうな事務所。
国会議員がこんなところにいるのかと驚きましたが、後で聞くと
新しい議員会館を建設中で、ここはそれが出来るまでの仮住まいで、
事務所は建設省の古い建物を借りているとのこと。

第一議員会館はもう出来上がっていて先輩議員諸氏が入っていて
ピカピカの近代的な建物でした。

私の仕事はお茶汲みでした。 
うちの議員の先生は防衛庁の政務次官に任命されたので防衛庁に登庁中。
議員の居ない事務所は閑で気が抜けていました。
たまに陳情の方がみえて年配の古武士風の公設議員秘書が応対していました。

私は2日で(ここは私のいる所ではない)と悟り1週間目に
正式に「辞めさせて下さい」とお願いしましたが、
強く引き止められました。
仕事で閑なのは嫌いです。 
自分の存在意義を見付けられないし、時間が経つのが遅いから。

私の前の「私設秘書」の役名の女性にも短期間で逃げられたばかりの
ような気がしました。
「今度も逃げられては堪らない!」そういう気配が伝わってきました。
大抵の場合自分の意志を通すのですが、この場は相手に説得されました。
「長い目でみてくれ、忙しくなるときは必ずあるから」と。

急に手厚く遇される事になり、政務次官をしている防衛庁にも
連れて行かれました。
うちの議員は普通の小太りの人で特に強い印象は受けませんでした。

防衛庁の長官にも紹介されました。
その人は背は高くないけれど、色の黒い引き締まった顔、
鋭い眼光の良い男でした。
名前は小泉純也、純一郎さんのお父さんです。
私が先の首相を見て「このヘナヘナ男め!」と内心思うのは、
父親の純也の印象が格段に強くて、その外見の落差からかも。

私の議員会館の毎日の主な仕事はお茶汲みだったことは触れましたが
薄い壁一枚を隔てたお隣は竹下登さんの事務所でした。
私の記憶ではその頃は竹下登さんと他に男性秘書2人だけ
だったような気がします。
(後で考えましたが、うちの事務所でも男性秘書3人と私と運転手さんが
 居たので、竹下事務所ももっと多い筈ですが常時事務所に居たのは
 このお2人でそれで強く記憶に残ったのだと思います)

毎朝、別室の湯沸し場で竹下事務所の男性秘書2人のどちらかと会い
「おはようございます」と挨拶を交わしていました。
彼らもお茶の用意をしているのです。
2人とも非常に大人しく静かな印象で好感をもちました。

廊下ですれ違うと、うかつな私よりいつも先に「おはようございます」
の挨拶をしてくれるのは、議員では竹下登さん1人でした。
他の議員先生はみんな偉そうな方たちで、こちらが挨拶しても
無視される(別の事考えていて気が付かない?)のが多かったのですが
竹下先生は違いました。
その頃の彼は新人の部類で、優しい眼をした爽やかな印象の小柄な方でした。
私をお隣さんだと認識していて一言二言、何かを訊ねられた事も。
総じてお隣の竹下登事務所の3人は静かな印象でした。

冬場は小さい電気ストーブで暖を取り、夏場はクーラーが有ったのかどうか?
小さい議員事務所は各部屋のドアを開け放っていましたから中は丸見えで、
竹下さんが机に向って執務している姿を度々見かけました。

秘書仲間では竹下先生は将来有望な方だと言われていましたが
その内、官房副長官になり、それ以来竹下事務所は人の出入りが多く
忙しくなっていったようでした。

私の仕事は、選挙区から来た人たちを国会見学に案内する、とか
陳情の人たちを接待するとか、予算が決まったら各関係部所に
連絡する等でしたが選挙区の人間でない私には気疲れのする仕事でした。

うちの議員が中曾根派でしたので郷里の選挙区から後援会員が
バスを連ねてやって来たとき、中曾根先生の講演もお願いしました。

時間が迫っても中々到着しないで気を揉みましたが、時間少し前に到着。
派閥の領袖の中曾根康弘はタクシーでひとり、秘書も連れずに現われました。
日曜日でした。この講演を私用として運転手を使わなかったのでした。
うちの関係者は恐縮し、冷や汗を掻いたようです。
我が方がお迎えにあがるのが礼儀でした。

それだけの出来事ですが私の中では 公私の区別のしっかりした人、
部下への思いやりのある人 の印象を持ちました。

議事堂の中には議員専用のエレベーターがありました。
うちの議員は防衛庁に行っているので乗る機会はありません。
その日は他の秘書と一緒に、何故か乗った記憶があります。

近くに誰も議員はいなかったのでこっそり乗ったつもりでした。
ところが、秘書をたくさん引き連れて河野一郎がやってきました。
エレベーターの扉は閉まらず、彼らが乗り込んできました。
私たちは竦み上がり小さくなっていました。
咎められはしなかったけれど 眼光炯々、恐ろしかった!
こちらも、現議員の河野洋平とは比較にならない迫力でしょう。
河野太郎さんには期待していますが。

そのうち、私はやはりこの仕事は性に合わないのを益々自覚し
キッパリと辞めさせていただきました。
秘書仲間の交流はありましたが男性が圧倒的で、仲間に女性が
居なかったのも寂しかった原因の一つでした。

辞めてから、何年経ったのか・・・
物静かで真面目な感じだった竹下登さんは総理大臣になり、
しばらくするとリクルート事件で騒がれ・・・
金庫番だったという青木秘書が自殺しました。
その日の新聞の大きな見出し、忘れもしません。
新聞を開いたまま、呆然としていました。

それは毎朝、湯沸し場でお茶の用意をしていた竹下さんの2人の
秘書のうちの1人の青木さんでした。

世の中は怒涛のように流れ、人の仕事の質も変わって行くのだと衝撃でした。
どんなに竹下さんが出世して怪物と言われても私の中では若い議員の竹下登は
そのままだし、青木さんはいつも静かにお茶の用意をしている青木さんで
総理大臣になった竹下登と金庫番の青木秘書とは別に存在しています。

ずっと防衛庁に居た為、私が馴染まなかった議員も早くに亡くなりました。
私も変わり、みんな変わり、時は流れてその内 私も過ぎ去ります。



のんびり書いている間に選挙も自民党が惨敗したようです。

「安倍さんは惨敗するような失政をしていない」という意見もあるようですが
原因があり、結果があるのですよね。
原因という根っこは結果よりずっと前に作られて、それが野放図に育ち
大きな結果として現われるのではないですか。
安倍さんだけが原因じゃない、彼の判断が追い撃ちを掛けたのは確かですが、
自民党が国民の大半を置き去りにした政策をとって来た結果がこういう事に
なったのだと思います。
みんな苦しい。良いのは一部の人だけ。
地方と弱者切捨ての結果です。

民主党も充分解っていると思いますが、自民党の失点での大勝です。
私は民主党は幹部を総入れ替えして若い人に任せれば良いと
思いましたが、今回の小沢さんは以前の小沢一郎とは随分印象が
変わりました。 格差是正を訴えるソフトな語りかけ。
豪腕と言われ続けた彼とは大違い!
選挙戦後に体調を崩したそうですが、小沢さんは元々体調が悪いはず。
重い心臓の持病をもっていると聞いています。
今回の選挙にもしかして命掛けた?

民主党の嵐の中の難破船で3人が舵を放してしまうコマーシャルには
呆れてものが言えませんでしたが、次の格差をテーマにしたものは
今の時勢にピッタリでした。
その後のコマーシャルも良かったと思いますが、コマーシャルだけに
しないで実践してください。

政治の暴走にストップ掛けるのは、やはり二大政党しかありません。
選ぶのは私たち。
政治は台所に、自分たちの生活に、直ちに響くようになりました。


慣れない政治の話しをしてしまいました。


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10 コメント

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慣れない政治 (春堤)
2007-07-30 13:06:19
民主党は 「勝った!」と 喜んではいられないと思います。
「試してやってみろ!」 と 国民が 背中をおしただけで、
これからが 大変なんだと思います。
「なんだ・・・大したことやらないじゃないか!」
というようなことになれば、
すぐにでも みんな 背中を向けることがあると 思います。
しっかりと 見張っていかなければいけない・・・
私達の 目も 試されているのだと 思います。

夏休みでもあるし
なかなか ゆっくり パソコンと向き合えません。
一生懸命入力して 消えてしまったときは ショックでした。
これからは ゆっくり 下書き投稿して 消えないように・・・。
あの 沖縄ツアー日記は 10回くらい 下書き投稿しています。(笑)
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本当にそうですね! (ばーば)
2007-07-30 13:57:14
私もこれからがお互いに正念場だと思っています。
人間てそう変われるものではないので、本当に阿部さん変われるのかな?と思いますし、民主党にしても烏合の衆の感じがあって、いざとなったら腰が引けて何も出来ないじゃないか、と言われる可能性があります。いたずらに対立するだけではなく、切磋琢磨して良い政策は協力しあってやっていって欲しいと思います。
ただ今朝の阿部さんの顔、暗い影が消えて見えました。
さっぱりした気さえ感じるほどに・・・拳は震えていたようですが。言葉では言わずに映像で見せている!

夏休みでお子さん達家に居るのですよね。
男の子さん2人で!それは大変

10回の下書きで!?
消えたショックは大きいですよね。2度と書けない熱の入った文章もありますものね。あの体験読んで文と写真に作り上げるのはさぞや大変だったろうと苦労が察しられました。その分立ち直るのに時間が掛かるのわかります。私も今回は途中で何度もメールの方にコピーをして消えた時の保存対策をして置きました。投稿押す前も!


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Unknown (うらら)
2007-07-30 21:12:04
この話はとても興味を持ってよませていただきました人生って無駄という事がないのですね
何かに関わってそれが思わぬ時につながった時の驚きやショック…
国政に携る人間のサマを身近に体験されたことは一寸オーバーですがドキュメントですね
今回は政権交代ではないですが日本も動かないと鈍ずまりになる寸前ですね
ここでガス抜きは必要です、そうでないと日本人は何のポリシーも持たないふわふわと宙に浮いた風船みたいです、小泉劇場のような馬鹿馬鹿しい選挙結果ではなくて、日本人を見直した感じです
世界に顔を向けるように評論は言いますがヤッパリ自分の足もとが大切です
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うららさんへ (ばーば)
2007-07-31 01:05:25
仕事ということを考えると、寄り道の感じの一年弱でしたが、後に良い経験をしたのだと気が付きました。こうして改めて書いてみると、また少しずつ記憶が蘇って来ます。自民党の代議士は全員金持ちだと思っていたのに、ほとんどの人が貧乏で金策に苦労しているのも知りましたから。

この何年か、日本人は随分大人しい飼い慣らされた国民になったなとか、こんなに踏みつけにされても無反応かと不気味な感じさえしましたが、やはり爆発しましたね! 小泉さんの時は自分達の既得権益ばかりを守る旧自民党が嫌で小泉さんに応援していましたが、途中から独裁政権のようになり、今最短距離で良いことをやっている様に見えてもそれが前例になって将来に禍根を残すと懸念しました。その強引な遣り方を阿部さんが踏襲してNOを出されたのですよね。やっぱり人間だったと、私もほっとしています。
そう、まず足元ですよね。 あと財源・・・難しいけれどある程度は覚悟しなければいけないでしょうね。私まで頭が痛いです!



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バランス ()
2007-07-31 22:51:37
若きときの竹下登さんのお話しは興味深く拝読いたしまいした。
見かけ?によらず、腰の低いかたのようですね。
田中角栄~経世会~竹下登、この図式はいまの若い人には遠い時代となりました。
防衛庁にいらしたのですか。
わたしの姉も市ヶ谷の本部(というのでしょうか)で働いていたことが
あるといってました。

民主党の圧倒的な勝利で、政治が一党独裁でなく、バランスのとれた
拮抗したものであってほしいと願っています。
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春さんへ (ばーば)
2007-08-01 00:10:53
あの時の竹下さんは腰が低くて清潔な感じでしたが、人は立場を得ると大きく変わるものですね! 特に男性は。 田中さんが病気倒れ、竹下さんが裏切る形で経世会を立ち上げ、田中邸に挨拶と見舞いに行くのかどうか、世間は息を詰めてみていましたが、暫くしてようやく出向いて門前払い、のひとコマは今でも忘れられません。防衛庁には議員が政務次官をしていた関係で使いで時々行った程度です。
市谷の自衛隊本部にお姉さんがいらした!では三島由紀夫の乱入の時にも在籍していらした? あの日は生まれて1ヶ月の娘を連れて病院から帰宅の為タクシーで市谷を通りかかると、何故かみんなビルの屋上に総立ちで自衛隊方向をながめていました。何事だろうと運転手さんが慌ててラジオを掛けると、三島由紀夫が日本刀を持って乱入したというニュース!「ああ、この中にあの小説家の三島がいるのか?」と俄かに信じ難いことでしたが自衛隊方向を見ながら車で通り過ぎました。家に帰って直ぐテレビに釘付けになりました。凄惨な結果に終わりましたね。

政治、春さんのおっしゃるとおり、私もバランスの取れた良いものであってほしいと願っています。

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こんにちは (ルンバルンバ)
2007-08-02 19:43:29
ばーばさん、こんにちは。いつもコメントをくださりありがとうございます。
こちらはこれから台風の直撃を受けそうな状況です。はるか東南の海上にいたのに、わざわざわが町をピンポイントで狙ったかのごとく来なくても良さそうなものです。被害が出ないことを祈るばかりです。店の方は修理したばかりですし。
それにしても昭和の激動の時代に政治の中枢に身を置かれていたのですね(笑)。今だったらやりたいと手を挙げる人は沢山いそうです。
安倍さんは彼なりに一生懸命だったのでしょうが、小沢さんの気迫には完全に負けていましたね。やはりそこがお坊ちゃまです。言葉でいくら繕ってもまだまだ危機感が足りませんでした。赤城さんが辞められましたが、今回のことはちょっと可哀想でしたね。悪いのは任命した安倍さんです。事務所費のことなどをよく調べないで任命したからいけないのです。余計なことはよくやるくせに肝心なことが抜けています。
憲法改正もいいですが、国民はもっと身近なところをどうにかしてもらいたいのです。そういう下々のことが理解できないとこれから政治家としては厳しいでしょうね。
身近な所といえば、とりあえずガソリン代をどうにかして欲しいです。
ブックマークさせていただきますね。今後ともよろしくお願いいたします。
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ルンバルンバさんへ (ばーば)
2007-08-03 00:37:35
いらっしゃいませ。
お陰さまでいつも読んでスッキリさせていただいています。
台風はこれから直撃の恐れですか!
逸れてくれますように、何事も起こりませんように祈ります。
今年は台風の当たり年になりそうな予感がして恐ろしいです。
昭和の激動に時代に中枢に?(笑)
ほんの少しの時期でしたが端っこにいました(^^)
昭和の真っ只中に青春時代を迎えたのだと思います。

連勝してきた自民党と、議員生命を掛けて一人区にターゲットを絞った小沢さんとは覚悟が違いましたね。今安倍さんが何か言っても空回りするだけで、既に自民党内で明日は何が起こるか分からない様相です。赤城さんはスケープゴートですよね。みんな赤城さんのせいにして子どもをいじめている様で可哀相な気がしました。 事務所費が国から出ているなんてつい最近まで知りませんでした!ビックリ!
身近な所ではまずは年金でしたが、今はガソリン代が上がっています。車は毎日の生活の基盤になっていますからどんな物にでも人にでも直接響きますよね。
今日は藤沢周平の「漆の実のみのる国」を読んでますます落ち込みました。私もブックマークさせていただきますのでよろしくお願いいたします


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Unknown (オールドレディー)
2007-08-06 14:16:49
 コメント有難うございました。無事帰りました。

 留守中は、NHKのBS放送もないので、全く日本の情報を耳にすることができませんでした。選挙結果はホテルのPCの英語版で知りましたが、詳しくは分かりません。
 たった8日間の間にも、選挙をはじめ、台風など色々あったようですね。
 暑い夏に、政情もあえぎあえぎ状態。組閣でどう変わることやら、今度こそしっかりやってもらいたいですね。
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オールドレディーさんへ (ばーば)
2007-08-07 00:02:39
16時間の飛行機の旅、お疲れさまでした。
お留守の間に日本も怒涛のような政局の変化や台風などで目まぐるしく動いていました。
その時にレディーさんの一言を聞けないのが残念でした。政局、安倍さんが続投することになってから、音無しの構えに近いですが、水面下で何が行われているやら・・・
これからのイタリア旅行記を写真と共に楽しみにしております
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