ここに来てから、ずっとローズマリーの苗を買いたいと思っていた。
鶏肉のオーブン焼きをする時は、ローズマリーの葉を散らして焼くと
肉に良い香りが移るし、揚げ油が鼻につきだすと、最初にローズマリーの枝を
3~4本入れると嫌なにおいが消えるし。
前の家ではいつもローズマリーがベランダに鉢植えで大きめに育っていた。
引っ越しの時、べランダにあった鉢植えをすべて業者さんに持って行ってもらった。
新しい家では、鉢を置いてミニガーデンをやるスペースは無いと思っていたし・・・
野菜を育てられなくとも、花くらいは育てたい、という希望はあったが、
昨年の7月末の引っ越し以降、疲労が激しく、何も出来ずにいた。
やっと涼しくなったかと思った10月のはじめ、弟の病院への見舞いの帰り、夜の7時半ごろ
暗くて車止めに気づかず、激しく躓いて転倒し、庇い手に出した右手首を骨折。激痛。
手首は何分割にも割れており、年齢の所為もあり、治りが悪く、8週間もの間ギブスを嵌めたまま、
という状態を続けることになった。
ギブスの8週間 、手首は段差がついて醜く曲がり、腫れあがり、づきづきと痛み続けた。
利き手の右腕がまったく使えない。 それでも食事を作り続けた。
品数はぐんと少なくなっても、何とか工夫すれば、出来るんですね。
その間ずっとマイナス思考から抜け出せなかったと思う。
たかが、右手骨折。
みなさん、私よりずっと過酷な試練を乗り越えて、プラス思考で感謝して生きようとしているのに、
私には今、不満しかないと、自分のいたら無さに、しばし考え込んでいた時もあった。
一方では 無理していない? 私にはこんな時プラス思考はムリムリ!
世の中、恨んで他人の所為にして生きようよ、と開き直っていたような気がする。
だいたい、非常に不機嫌になった。 息子も嫁も、だんだん恐れをなして私に近づかないようになった。
それにも腹を立てた。
ツレアイは流石に、今回は観念したらしく、頼めばほぼ何でもやってくれるようになった。
お米を研いだり、炒め物をしたり、刺身や沢庵切ったり、洗濯物を干したり、取り込んだり etc.
大げさな台詞は出て来ないが、内心感謝している。(何をケチっているのだ、私)
救いはくーくんだった。
くーくんはいつものように、学校から帰るとウチに来て単純な事をせっせと手伝ってくれる。
私は本当は単純な事ができなくてとても困っていた。
清涼飲料水を飲みたいと思っても、ペットボトルのキャップはどう頑張っても開けられなかった。
缶詰も開けられなかった。
パンにジャムを塗ろうとしても、瓶の蓋が開けられなかった。
もちろん牛乳や100%オレンジジュースの紙パックも開けられなかった。
顔を観るだけでも嬉しいのに、とても助かったよ、くーくん。
その時3歳だったれいちゃんも、何故かウチに来たがったけれど、「小さい孫の面倒は
みないでください。」という命令に近い整形外科医のお達しには逆らわなかった。
それとは別に、
一番よく、縁の下の力持ちに徹してくれたのは、Tちゃんだっaた。
彼女の献身がなかったら、あの時期、乗り越えられなかったと思う。
足首、骨折して松葉杖ついていても、家中ハイハイして移動しても、結構お気楽に暮らせたのに、
絶え間なく痛み続ける、というのは、私にとって辛い事だった。
今でもなんとか自分でリハビリを続けている。
右手をほんの少しでも使い過ぎると、まだ腫れあがり痛む。
反対に手を使わないと固まって機能を無くしてしまいそうだし。
手の怪我は、まだ生きて変化している。。
良くも悪くもまだ進行中ということだろうか。
鶏肉のオーブン焼きをする時は、ローズマリーの葉を散らして焼くと
肉に良い香りが移るし、揚げ油が鼻につきだすと、最初にローズマリーの枝を
3~4本入れると嫌なにおいが消えるし。
前の家ではいつもローズマリーがベランダに鉢植えで大きめに育っていた。
引っ越しの時、べランダにあった鉢植えをすべて業者さんに持って行ってもらった。
新しい家では、鉢を置いてミニガーデンをやるスペースは無いと思っていたし・・・
野菜を育てられなくとも、花くらいは育てたい、という希望はあったが、
昨年の7月末の引っ越し以降、疲労が激しく、何も出来ずにいた。
やっと涼しくなったかと思った10月のはじめ、弟の病院への見舞いの帰り、夜の7時半ごろ
暗くて車止めに気づかず、激しく躓いて転倒し、庇い手に出した右手首を骨折。激痛。
手首は何分割にも割れており、年齢の所為もあり、治りが悪く、8週間もの間ギブスを嵌めたまま、
という状態を続けることになった。
ギブスの8週間 、手首は段差がついて醜く曲がり、腫れあがり、づきづきと痛み続けた。
利き手の右腕がまったく使えない。 それでも食事を作り続けた。
品数はぐんと少なくなっても、何とか工夫すれば、出来るんですね。
その間ずっとマイナス思考から抜け出せなかったと思う。
たかが、右手骨折。
みなさん、私よりずっと過酷な試練を乗り越えて、プラス思考で感謝して生きようとしているのに、
私には今、不満しかないと、自分のいたら無さに、しばし考え込んでいた時もあった。
一方では 無理していない? 私にはこんな時プラス思考はムリムリ!
世の中、恨んで他人の所為にして生きようよ、と開き直っていたような気がする。
だいたい、非常に不機嫌になった。 息子も嫁も、だんだん恐れをなして私に近づかないようになった。
それにも腹を立てた。
ツレアイは流石に、今回は観念したらしく、頼めばほぼ何でもやってくれるようになった。
お米を研いだり、炒め物をしたり、刺身や沢庵切ったり、洗濯物を干したり、取り込んだり etc.
大げさな台詞は出て来ないが、内心感謝している。(何をケチっているのだ、私)
救いはくーくんだった。
くーくんはいつものように、学校から帰るとウチに来て単純な事をせっせと手伝ってくれる。
私は本当は単純な事ができなくてとても困っていた。
清涼飲料水を飲みたいと思っても、ペットボトルのキャップはどう頑張っても開けられなかった。
缶詰も開けられなかった。
パンにジャムを塗ろうとしても、瓶の蓋が開けられなかった。
もちろん牛乳や100%オレンジジュースの紙パックも開けられなかった。
顔を観るだけでも嬉しいのに、とても助かったよ、くーくん。
その時3歳だったれいちゃんも、何故かウチに来たがったけれど、「小さい孫の面倒は
みないでください。」という命令に近い整形外科医のお達しには逆らわなかった。
それとは別に、
一番よく、縁の下の力持ちに徹してくれたのは、Tちゃんだっaた。
彼女の献身がなかったら、あの時期、乗り越えられなかったと思う。
足首、骨折して松葉杖ついていても、家中ハイハイして移動しても、結構お気楽に暮らせたのに、
絶え間なく痛み続ける、というのは、私にとって辛い事だった。
今でもなんとか自分でリハビリを続けている。
右手をほんの少しでも使い過ぎると、まだ腫れあがり痛む。
反対に手を使わないと固まって機能を無くしてしまいそうだし。
手の怪我は、まだ生きて変化している。。
良くも悪くもまだ進行中ということだろうか。
古い話題でも 更新うれしいです☆
エアコンなしでがんばってますが
家にいると 倒れそうです
(夜は子供部屋だけつけて 扇風機で拡散してますが)
古傷
なかなか治らなくて 辛いですね
痛みとも 仲良く付き合っていくしかないのかな?
私の湿疹も 治っては他の場所・・・の繰り返し
体質なんでしょうかね?
今は あせももできやすくて かゆかゆです~。。
私もお見舞い申し上げます。
凄いですね。未だにエアコン使っていないのですか・・
健康の証拠ですね!
原発事故の有った夏の電気代、ブログに書いてましたよね。
ウチはその倍額で、9月頃まで万は超えていました。
倒れそうですって? もう ハラハラ!
私も10ヶ月ほど湿疹が続いたこと有ります。
医者に老化だから仕方がないと言われました。
処方された薬を飲み続ければ、湿疹はでないけれど
止めれば4~5日経ったら又湿疹が始まりました。
ところが入会したフィットネスクラブで大汗掻いたら、何故か一発で治りました。
私の場合は、肌が目詰まり起こしていたみたい、という感じでした。
でも、かゆかゆは辛かったです。。
掻きむしりたい日もありました。
古傷に当たるのは春堤さんの場合、湿疹なのですね。
年齢によって、体質が変わる時があります。
その時、必ず治ると思います。
先日、お会いした時のこと、自然体で手伝いを申し出てくださってとても嬉しかったです。
胸が暖かくなりました。
と思っています
昨年は思いもよらない病気で、ようやく
無気力から少しずつ抜け出せる気配が・・・
日常的には、健康だった頃とは何も変わらないのですが
余りにも自然体で乳がんと云う病気を受け入れすぎたせいか
今に至っても、まだ他人事のようなこんな私に
病気を甘く見過ぎてはいけないと心の奥で
警告の金がキンキンと鳴っていて心落ち着きません(笑い)
笑えるのですが、痛い々お灸を据えられた筈なのに
昨年の一年間は、今もって夢の出来事の様で
副作用による身体の変化も
主治医が、
『元気でながいきして頂く為の治療ですから・・・』
と言われ、
治療に関しては何一つ辛かった思いがなのです
周りの親しい友人に3人も同じ経験者が居たせいも有りま又年齢のせいも有るのででしょうね
違ったいみで、ばーばさんも色々辛い時期を過ごされてい居られた様で何かとご不便だったですね
骨密度と骨折とはあまり関係ないようですね
ばーばサンも身近な方達の支えと気遣いに包まれて
日々過ごされていらっしゃったのね~~
私も、抗がん剤治療中に足指親指の巻き爪が酷くなって
そちらのストレスで大半辛い思いをしました
手足末端の痛みは半端でないです。
愛しいお孫さんにも私は胸キュンしますよ
私は
褒め上手の習字(書道?)の先生に乗せられながら
あたらしい仲間も出来
又楽しい時間を持てそうです
ばーばさん、一日も早く快適な日常に戻れれば良いですね
鐘でした(涙)・・・
すいません
アベノミクスと言いながら、庶民には不景気な世の中、
金はゴージャスで明るくて素敵な漢字です。
ええ、気にかけていましたとも!
東京の病院に入院されていらしたのですね。
会いたかったけれど、そんな時には無理は言いません。
うららさんの場合は、最先端医療を受けられたから、返って良かったような気がするのです。
心配なさらずとも、大丈夫だと思います。
友だちにも何人か経験者はいらっしゃいます。
”治療に関しては何一つ辛かった思いがない”というのは最高です。
医学の進歩は素晴らしいのですね。
考えたのですけど、私も「癌」と宣告されたら脳内が麻痺して、
深く考えない方を選択すると思います。
私、しばらく健診やっていないのです。怖くて行けない、もが本音です。
息子が巻き爪で苦労しています。私も若い時経験しました。
痛みをともなうものはいつも現実に引き戻されて辛い、ものですね。
本当はブログにも書きたい事がたくさんあるのに、老化の所為か筆が進みません。
コメントも前のようにすらすらとは書けません。
ごめんなさい。でも書道は遣りたい事の一つです。
その内、うららさんの書をブログでアップしてくださいな。
楽しみにしております^^。