これは吉野梅郷の写真です。 青梅市のHPから。
28日に行った湯河原の幕山公園の梅林では
梅林の山に登ることなく下の方を散策していた。
せっかく梅林の香りを嗅ぎたかったのに
ただ満開の花を観ていただけだった。
初めて行った梅林なのに、山に登りもせず
ボンヤリしているだけだった。
もっと梅の匂いを嗅げばよかったのに、と後悔が残っている。
梅林には思い出がある。
「吉野梅郷」の思い出
最後に行ったのは、母と弟と私の3人だった。
それは多分2001年の3月の半ば頃、
母の入院する老人病院を見学する日。
車椅子の母と一緒に、弟の運転する車で出掛けた。
母と弟と私の3人だった。
午前中に受付の人と話し、陽が燦々と差し込む病院内を案内された。
幅の広い病院の廊下を行くと、片側のガラス窓から
様々な病室の内部が眺められた。
すべての感情を剥ぎ取られたかのような無表情な患者たちの病室。
異様な光景が続く。 生きているとは名ばかりではないかと
深いところを鈍器で殴られた感じがする。私もいつかは・・・
寝たきりの老人を入浴させる近代的な施設も
機能を失いかけた病人用のリハビリ施設も。
どこか作り物の胡散臭い感じは免れなかったが
とりあえず良いところばかりを数え立てて
母の歩けなくなった足が、リハビリをすれば何とか治って
家に戻れる、と希望を持つようにした。
病院を見学した後にまだ陽が高かったので
近くにある吉野梅郷に寄ることにした。
もしかしたら母と観る最後の梅林になるかも知れなかったから。
むか~し、みんなで来たことがある。私が30代だった頃。
父に誘われて母と夫と、その頃たしか幼稚園児だった娘と息子。
弟の嫁さんと2~3歳だった甥っ子と。
青梅線の日向和田で降りて、神代橋を渡るとき
遥か下の川面をのぞき込んだら、多摩川の清流が見事で
感動したことを思い出した。
水が綺麗だと喜ぶ私を見て父が笑いかけたこと、鮮やかに思い出す。
梅林に入ると小さな屋台が次々と現れて、
甘酒や饅頭や焼き鳥など食べたこと。
梅の、特に紅梅の甘い香りに包まれて嬉しかったこと。
歩いても歩いても紅梅白梅の梅林が続き
上品な甘い香りが漂いつづけ、私の周りを取り囲んでいたこと。
明日へのわずらいなど何も無かったかのように思い出す。
きっとあの頃でも心配事は有ったよね。きっと!
でも若さで長くは続かなかった。
明日への無限の可能性を信じていたような気がする。
父と一緒だったその当時の思い出をたどる様に、
母と弟と私の3人で吉野梅郷に着いた。
弟は駐車する場所に苦労したけれど。
母の車椅子を押すのは弟。たまに私に交代。
道が舗装されていないのでデコボコ道をゆっくりと行った。
梅の香りに包まれて母は辺りを眺めていた。
やわらかな陽射しが母を取り囲んでいた。
やっぱり焼き鳥やイカ焼きなどのにおいが漂っていた。
屋台に寄って饅頭を食べ甘酒を飲んだ。
3人での最後の観梅になると思ったが、現実感は薄かった。
途中まで行って、また戻って来たと思う。
駐車場から遠く離れることは出来なかったから。
吉野梅郷は紅梅白梅の馨しい香りと共に思い出す。
弟の車に母を乗せて吉野梅郷を後にした。
あれから まだ行っていない。
28日に行った湯河原の幕山公園の梅林では
梅林の山に登ることなく下の方を散策していた。
せっかく梅林の香りを嗅ぎたかったのに
ただ満開の花を観ていただけだった。
初めて行った梅林なのに、山に登りもせず
ボンヤリしているだけだった。
もっと梅の匂いを嗅げばよかったのに、と後悔が残っている。
梅林には思い出がある。
「吉野梅郷」の思い出
最後に行ったのは、母と弟と私の3人だった。
それは多分2001年の3月の半ば頃、
母の入院する老人病院を見学する日。
車椅子の母と一緒に、弟の運転する車で出掛けた。
母と弟と私の3人だった。
午前中に受付の人と話し、陽が燦々と差し込む病院内を案内された。
幅の広い病院の廊下を行くと、片側のガラス窓から
様々な病室の内部が眺められた。
すべての感情を剥ぎ取られたかのような無表情な患者たちの病室。
異様な光景が続く。 生きているとは名ばかりではないかと
深いところを鈍器で殴られた感じがする。私もいつかは・・・
寝たきりの老人を入浴させる近代的な施設も
機能を失いかけた病人用のリハビリ施設も。
どこか作り物の胡散臭い感じは免れなかったが
とりあえず良いところばかりを数え立てて
母の歩けなくなった足が、リハビリをすれば何とか治って
家に戻れる、と希望を持つようにした。
病院を見学した後にまだ陽が高かったので
近くにある吉野梅郷に寄ることにした。
もしかしたら母と観る最後の梅林になるかも知れなかったから。
むか~し、みんなで来たことがある。私が30代だった頃。
父に誘われて母と夫と、その頃たしか幼稚園児だった娘と息子。
弟の嫁さんと2~3歳だった甥っ子と。
青梅線の日向和田で降りて、神代橋を渡るとき
遥か下の川面をのぞき込んだら、多摩川の清流が見事で
感動したことを思い出した。
水が綺麗だと喜ぶ私を見て父が笑いかけたこと、鮮やかに思い出す。
梅林に入ると小さな屋台が次々と現れて、
甘酒や饅頭や焼き鳥など食べたこと。
梅の、特に紅梅の甘い香りに包まれて嬉しかったこと。
歩いても歩いても紅梅白梅の梅林が続き
上品な甘い香りが漂いつづけ、私の周りを取り囲んでいたこと。
明日へのわずらいなど何も無かったかのように思い出す。
きっとあの頃でも心配事は有ったよね。きっと!
でも若さで長くは続かなかった。
明日への無限の可能性を信じていたような気がする。
父と一緒だったその当時の思い出をたどる様に、
母と弟と私の3人で吉野梅郷に着いた。
弟は駐車する場所に苦労したけれど。
母の車椅子を押すのは弟。たまに私に交代。
道が舗装されていないのでデコボコ道をゆっくりと行った。
梅の香りに包まれて母は辺りを眺めていた。
やわらかな陽射しが母を取り囲んでいた。
やっぱり焼き鳥やイカ焼きなどのにおいが漂っていた。
屋台に寄って饅頭を食べ甘酒を飲んだ。
3人での最後の観梅になると思ったが、現実感は薄かった。
途中まで行って、また戻って来たと思う。
駐車場から遠く離れることは出来なかったから。
吉野梅郷は紅梅白梅の馨しい香りと共に思い出す。
弟の車に母を乗せて吉野梅郷を後にした。
あれから まだ行っていない。
私は、実母を小1に亡くしています
長い患いの様でした、
最後の母との別れを子供心に感じ、思ったりした事を思い出したり
ヤッパリ実母の温かさは無条件だったと改めて感じ、
封印していた自分の心に腹が立ったり、
今健在な父や、育ててくれた母への様々な思いや現実に
立ち止まったり…
梅の花のきれいな事!!
梅は、枝振りをめでるのですね…確かに云われればソウだった様ですね
桜は花を、梅は枝をと聞いた気がします
そういえば梅はたしかに枝振りが一番ですね!!
良いかたちの枝振りの木は眺めていても飽きないけれど、そっけない単純な木だと見ても詰まらないですね。梅の木も苦労しながら歳を重ねて枝振りも複雑になって行き、見る価値のある木に育つのですね。
梅は枝振り、桜は花ぶり、良いことを教えていただきました♪
お母様、小一のときでしたか。可愛がって欲しい盛りの時にお別れになって寂しかったでしょうね。きっと心の奥の方に記憶を溜め込んでいらしたのでしょうね。
そして現在の家族の方と過ごしてきた思いなど。
人に愛されて、愛した記憶は大事です。
60代も半ばになってから昔話をする気になりました。
人間、前向きだけじゃ生きられない。過去の記憶、ルーツを訪ねる日も大切ですね。昔の事をブログの中で棚卸ししてしまいそう!
私は、以前夫の転勤で茨城に住んでいました。その五年間、毎年水戸の偕楽園の梅を楽しんでいました。梅が二千本位だったかありましたね。風が運ぶ香りが心地よかったのを覚えています。梅は枝と香りですね。
あれだけの数があっても梅は静かな美しさで、同じ数の桜があったら、もっと派手だろうなと思ったのを思い出しました。同じ茨城で、山のすそを利用したさほど大きくない公園がありましたが、こちらは八重桜ばかりを一杯植えてあって、ものすごく派手でした。
また、地元では有名な古いお寺に、大きな枝垂れ桜が一本あり、一本で充分堪能させていましたね。梅、枝垂れ、八重が春のコースでした。神奈川に来てからは、日々に追われてあまり散策してないですね。
十年前はやっぱり一瞬の桜だねと話していましたが、最近は梅のしっとりとした静かなたたずまいに妙に落ち着くように…。(近くに梅が十本くらいあるんです)それなりに重ねてきたものが私にもあるようです。
偕楽園の梅は有名で20代のころに会社の友達と行きました。
若さゆえ、まったく風情を解さず、満開の紅梅白梅のあいだで仲間とはしゃいだ記憶しか残っていません。最近になってから観梅の原点の偕楽園をしっかり観ておきたかったと残念に思いました。ですから「風がはこぶ香り」などと聞くと羨ましさで一杯になってしまいます。
そうですね。梅は枝振りと香りですね!
桜の華やかさも良いけれど、この頃は特に仰るとおりの梅の静かな美しさと香りに惹かれるようになりました。 歳を重ねてからわかるものって多いことに気が付いてきました。