嗚呼、勘違い・・・・カイゴ日記

ホントはそうでなかったかも  
まぁ コーヒー飲んで ごゆっくり

老衰で消化機能が落ちているのでないか

2014年03月04日 17時09分23秒 | いずれ行く道

昨夜20時に横になった母は今朝4時半まで寝ていたようだった。
 
何日か前に左膝にスリ傷を作っていたが、今朝はそこから血を流していた。
 
私は朝ブログ更新をしたものでその後しっかり眠ってしまって8時過ぎの「あ”~あ”~ぁ」と母がうめいているのにすぐ対応できなかった。

起きて行ったら「シッコしたい」だったが、ちょっと臭ったのにパンツを下げたら、あやぁ出てました。
普通のゴロッが顔を出して栓がとれてトロトロがあふれていた。
 
休みのオカンが聞きつけてボトル・シャワーの用意をして起きて来た。
 
洗い流し拭いた後も、ポトポト。
 
しばらくトイレに座らせといた。
 
 
昼過ぎ、ベッドで「あ”~あ”~」言っている母を見に行けば枕元に血が見えた。
手首あたりの表皮が剥けてそこから血が滲んだようだ。
 
アズノール軟膏を塗ってハイドロウェット・パッドで押えた。
 
 
2時半過ぎ、ドクターの往診があった。
4時過ぎと思っていたら、14時過ぎだった。
 
発熱はないけれど便がゆるい話をしたら、「老衰で消化機能が落ちているのではないか」ということだった。
 
出ないと困るし、下痢をしても困るしということで腸内バランスをとる処方をしてもらった。
 
 
 

 

 


サインを上手に受け取る方法

2014年03月04日 05時35分07秒 | いずれ行く道

昨日母はデイサービスに出掛ける前にお寺さんが月参りに来てお経を上げているいるところで迎えの車となったので一日「ナマンダブツ」と念仏三昧だったようで、帰りの車の中では「ナマンダブさま」と唱えていました、と。
 
「ナマンダブさま」とは最近家でも唱えていて意識せずに蓮如上人の六字名号本尊に行き着いているように思える。
 
五木寛之が「何のために生きるのか」で稲盛和夫との対談の中で蓮如が何につけナマンダブと唱えればいいのだと教えたことが生活のなかで念仏が活きることになったと語っていたと思うが、母はどこで学んできたのだろう。
 
昨日母は便無し6日目アローゼン2日目でデイサービスに出掛け、迎えの車でその事をお話しなくてはと思っていたのが月命日と重なりましてとか言っている内に伝えないまま送り出してしまった。
 
ゆるめの多量の便がありましたと帰りに聞きました。
 
覚悟して扱っているかどうか結構違ったろうにと、言わなきゃとのサインを見過ごしてしまいました。
 
この頃この小さなサイン見落としがよくある。
 
取り立てて言うほどのことではないかも知れないが、こうしなきゃのひらめき六感をスルーして後のまつりが多いかも。
 
まぁ短期記憶が飛ぶってことかも知れないが。