この記事は、過去に書いたもので、非公開にしていたものです。
投稿日時も、そのままにしています。
過去の非公開記事から、見つめなおす為、公開します。
自分自身が、どれだけ成長しているのか確認したい。という意味もあります。
カテゴリーをクリックして頂ければ、見やすくなるかと思います。(ペコリ)
「しゃくやくは、毎年おなじ花を咲かせてくれる。季節を知らせ感じる」
1996年(平8)から2002年(平14)までの7年越しの
「予兆」は、2003年(平15)に医師の診断により発症
していることを知ります。
2003年(平15)7月22日夜8時頃のこと
仕事から帰ると妻と2人の子どもたちがいる。
いつも通りの光景帰って制服から日常着に着替える。
何も変わってはいない。
応接椅子に座り夕方のニュースを見る。
事件が多いなと感じる。
妻が夕食を持ってくる。
子どもたちは口喧嘩
元気だ。
風呂に入り1日の疲れを落とす。
妻は食器を洗っている。
風呂から上がって椅子に座る。
妻がビールとコップを持ってきた。
妻から注がれながら今日も一日が終わったと感じる。
瞬間急に動悸がする。
何だ! 慌てた。息苦しい。息が出来ない。
意識が遠のいていく。憶えていない・・・
救急車が呼ばれ市内のC救急病院に運ばれる。
気がつくと病院のベット
心配そうに妻が傍らにいた。
妻から心電図、血液検査は異常なし。
過換気症候群と聞いた。
右腕が鬱血 点滴痕 少し痛む。
病院から出ると太陽は昇りかけていた。
まだ、ふらふらする。
点滴か?
妻に運転してもらい家へ帰る。
家に帰り朝食、ふらふら感はない。
救急病院以外はいつものように出勤
心の奥底に不安感を感じていた。
なんの病気か?
同年、7月31日朝3時頃のこと
肩胛骨が痛み眠りから醒めた。
起き上がろうとしたが起き上がれない。
寝返りも出来ない。
声は出せる。
妻に「肩胛骨が痛い」と叫んだ。
妻は起きて「大丈夫」と言った。
私は「病院へ連れていって」と言った。
市内のC救急病院へ連れて行って貰った。
X線などの検査では異常なし。
原因が分からないまま、処置は無く帰宅した。
その日の朝一番で
札幌のK心療内科に妻に付き添われ電車で行く。
状況を妻から医師へ話をした。
医師から「パニック症候群」と診断され、肩胛骨に
ブロック注射をし、ソラナックスを飲んで少し寝ました。
寝ているとき、
「パニック症候群」って何?と思っていました。
午前中には、肩胛骨の痛みが取れて、若干回復し
札幌から帰り、そのまま着替えて出勤した。
午後から、まずまずの調子だ。
夜6時に仕事中、職場において過換気になり職場
の車で市内の救急病院に運ばれた。
市内の救急病院では、心電図をとりホリゾンの点滴
の処置
この日から
パニック障害の治療と
職場における病気の説明が始まりました。
とりあえず、職場への説明は妻からして貰いました。