ヒロコのブログ

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終戦から65年

2010-08-15 22:31:54 | 日記・エッセイ・コラム

 終戦から65年。その時うさぎちゃんは9歳だった。

 それから人生の大半を過ごした。あと平均余命生きたとして10年余りだ。

 この間にいろいろの事があった。

 人生の終わるとき「ああよかった」と思える生き方がしたいと思っているが果たしてどうなることやら?

 この処テレビ等で戦時中のことや、終戦直後のことを放送している。

 今年は65年過ぎた節目の年だとかで、例年以上に戦時中のことを放送しているように思う。

 見ていると、うさぎちゃんの想像も出来ないような大変な目に遭われた方々の話が語られている。

 これに比べてうさぎちゃんのささやかな戦中戦後の体験は、空襲でにげたこと、食べ物がなくサツマイモやナンキンばっかり食べたこと、教科書も文房具もなく、何もないないづくめだったこと。

 何よりも戦後一番途惑ったのは、日常の暮らしそのものだった。いろんな出来事が180度変わった。

 まず最初に変わったのは、これまで神社は神聖な場所として、前を通る時は立ち止まってお辞儀していた。これが神社、仏閣の礼拝は禁止された。

 これはわが国の宗教だからと思いながらも、お宮の前は走って通っていた。

 そして彼の人達がキリスト教を信じるのと同じなのにとも思った。

 これまでの教育がすべて否定されて、戦後の新しい教育となった。教科書が変わったのはそれとして、新かなづかい、文章は左から書く、書道もなくなり、替わりに英語の教科ができた。

 式典も替わり国旗掲揚はなく、国歌も歌えないときもあったと思う。

 他にも右側通行などなど彼の国の様式に改められた。

 わずか3年半ほどの教育だったが、疑うすべもなく、それのみ信じて教わっていたので、子供心にも納得しがたい疑問が山積みだった。


お盆休み

2010-08-14 22:39:39 | 日記・エッセイ・コラム

 土曜日でもあるし、お盆休みでもあるので解体している隣のマンションの工事今日は休みである。

 ド、ド、ドウッと体に響くような音がしないで静かである。

 ガス管敷設工事も休みなので、回り道したり避けて通ったりしなくてもよい。

 母の好きなものお供えせんならんと思いながら、食欲もないし何もしなかった。

 明日母の好きなおはぎを作ってお供えしよう。

 何も食べたくないときでもおはぎだったら食べた。それがきっかけで食事が出来るようになったこともあった。

 きざみ昆布も買っているのでお盆の煮ものも炊こう。

 今朝、裏庭のタカサゴゆりが開花しかけていた。夕方やっと開いたが先の方が大きい筒の様だった。夜になってやっとゆりのように花弁が外にまがってきた。

 明日開花しそうな白くなっているのが2つ、3つある。

 昨年、種が風に吹かれてきたのか、鳥が運んできたのか玉つげの植え込みの中に見事なタカサゴゆりが1本育った。うさぎちゃんの背より高くなり6輪程も花を付けた。

 人様の目に着く場所なので、皆さんに種がほしいと言われみんな差し上げた。種からだと開花まで2年はかかるので今年花が咲いた方はいない。

 この後に今年は4本になりそれどれ蕾を付けた。中の1本になんと14個の蕾が付いている。玉つげに寒肥を入れたのでゆりにも肥料がまわったのだろう。

 それにしても5~6個はつくが14個とは初めてだ。一斉に開花したら見事だよね。楽しみにしている。


お盆

2010-08-13 20:40:24 | 日記・エッセイ・コラム

 今日はお盆だ。迎え団子をお供えして仏さんを迎える日だ。

 うさぎちゃんはおまつりしたことはないが、母がしていた。

 こんな風習もだんだん無くなっていくだろう。

 朝、すだれをかけるのに脚立にあがったり、背伸びしたり、まだめまいがすっきりしないので11枚かけ終わったら足ががくがくした。もう、何も出来なくなったもんだ。

 こうして老いて行くのかと思うと侘しい限りだ。でも未だ老いる訳にはいかない。

 これから先何年生きるか解らないが、母の様に自分のことは自分でする。これがモット-だ。

 今年は母の7回忌だった。母の好きだったおはぎつくる予定だったが止めた。

 うさぎちゃんも亭主も食欲がなくて、、、お盆お間に作ろう。

 


台風思ったより弱かった

2010-08-12 21:47:18 | 日記・エッセイ・コラム

 台風思ったより弱かった。風は強かったが雨は弱かった。被害の出たところもあるが、この辺は有り難いことに被害なし。

 久しぶりの雨で植物たちも大いに潤ったことだろう。毎日々々カンカン照りでからからの処にちょろちょろ水やりするだけだったんだから。

 東北地方に上陸、大雨による被害が出た。

遠く離れた滋賀県、京都府下でも大雨になったと報じられた。

 我が家では月下美人の鉢が1つひっくりかえっていた。ただ横になっただけで土も大半が鉢に残っていた。


癌検診の結果

2010-08-11 15:54:07 | 日記・エッセイ・コラム

 7月17日に受けた癌検診の結果が届いた。

 肺癌、胃癌、大腸癌共に異常なし。これで次の検診まで一安心だ。乳癌はしてないが大丈夫だと思っておこう。

 台風4号のあおりで朝から風が強い。近畿中部は今夜から明日未明にかけて大雨の予報。災害の起きないよう祈っている。

 あれだけ激しかった蝉の鳴き声ピタリと止んだ。

くま蝉は8月初めまでと言っていたが本当だ。でも裏に出るとジジーと言って飛び立つのもいる。

 妹の放射線治療が始まった。5週間毎日通院せんならん。この暑いさ中、熱中症に気をつけて行ってね。

 夕方台風の風がきつくなったのですだれをはずし雨戸を閉めて寝た。うさぎちゃんの部屋は暑くなってから開けっ放しだった。


検診

2010-08-10 18:23:16 | 日記・エッセイ・コラム

 住民検診に行った。食事抜きで血液検査等がある。

 うさぎちゃんは今年で最後だ。9月15日のお誕生日を過ぎる16日から後期高齢者の健康保険になる。

 そうなると住民検診も問診のみ、血液検査等望むなら健保で受けられる。その分費用は自分で支払うことになる。

 病気が一番多い高齢者をどうしてこんなことするのか?

 その上、保険料が高い。年金から天引きされる。その他年金から所得税、介護保険、住民税まで差し引かれる。お互い手間が省けていいかもしれないが釈然としない。

 亭主の薬を貰いに行った。代理なのでじっと待って容態を話して薬を貰う。

 帰りにヨ-カド-に寄って亭主の時計の電池を替え、買いものして、銀行に寄って帰った。日中に歩いたり自転車に乗ったりしたので、汗でびしょぬれになり着替えて洗濯。今日は薄曇りでこれだ。カンカン照りだともっと大変だ。

 中国で大雨による土砂災害が起き亡くなった人、行方不明の人多数、他人事でなくいつ自身が襲われるかかしれない。


長崎65回目の原爆忌

2010-08-09 22:36:41 | 日記・エッセイ・コラム

 長崎に原爆が落下されて65回目の原爆忌

 うさぎちゃんが長崎を訪れてもう何年になるか、いや20数年になると思う。

 その際初めて平和公園を尋ねてときの気持ち、ここに原爆が落とされたんだと思い、今も忘れられない想いにかられた。実際にあわれた方のことを想い涙がこぼれた。

 毎年原爆忌がおこなわれるが、今年初めて広島についで核保有国のイギリス、フランスや核保有が確実とされるイスラエル等の代表が「長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典」に出席された。

 国連事務総長の潘氏らの提唱する「核兵器禁止条約」が1日も早く締結出来る事を願っている。

 太平洋戦争で沖縄、原爆の投下された広島、長崎を始め国内すべての人々が犠牲になった。

 また数多く海外に移住していた方達も大変だった。65年たった今、知っている人は少なくなってきた。うさぎちゃん1人でも悲惨さを誰彼に話したいと思う。


立秋

2010-08-07 22:14:33 | 日記・エッセイ・コラム

 今日は立秋、いつもながら立秋は暑い盛りだ。とりわけ今年は例のない暑さだ。日中は外に出るのもはばかれる暑さだ。

 かと言って内の中でもじっとしていても汗がにじんでくる。

 毎年今年の暑さは格別だと思う。今年もそう思っているが、今年は本当にそうだ。

 嬉しいことがあった。月下美人に蕾が4つ付いていた。1枚の葉に2つ他の葉に1つづつ付いていた。この蕾、あまりやせっぽちの栄養失調のようだった。

 植え替えのとき、土に肥料をまでるのに肥料が足りなかったので後で入れようと思いながら、今日になってしまった。

 じかに入れると肥料あたりがするといけないので粒のを買ってきた。効き目はゆっくりなのであまり期待が出来ない。

 月下美人の鉢、花のつきそうなのは一日に開花した鉢と今蕾の付いた鉢と2鉢だ。

 後の鉢は株分けして間のない鉢と挿し芽した鉢なんだ。

 


65回目の

2010-08-06 22:45:46 | 日記・エッセイ・コラム

 65年前の今日、広島に原爆が投下された日である。

 原爆忌の平和記念式典に初めて国連事務の潘基文氏が出席された。

 核保有国の米、英、仏の代表が出席された。

 当時の悲惨な様子、今もなを原爆症に苦しんでいる人々等、全世界の人々に知って貰い核のない世の中にしてほしい。みんなの願いである。


母の着物

2010-08-05 13:35:56 | 日記・エッセイ・コラム

 先日着物買いたいと電話があり、何時もだと即座に断るのだが、会社名も電話番号もいったし、今日と明日この辺をまわるといった。

 母の遺品を整理した際、捨てかねた着物が何枚か置いてある。

 よし処分しようと思い昨日来て貰った。

 買い取った着物はそのまま使うらしく、羽織やコ-トは買わないと言う。

 大島の羽織が2枚あった。これは買ってくれた。大島は対だと高く買うとも言った。

 ウ-ルの着物も5~6枚あったがウ-ルは買わないと言う。

 しじらの着物があった。これは妹にとっておこう。夏の部屋着にしたら涼しくていいだろう。

 母が縫った妹の娘が着た一つ身のアンサンブル(着物と羽織)があった。この娘も40歳になった。

 今度は妹の孫が着る。

 母は自分のお葬式の折に着る白い着物も縫っていた。これはどうしたものか?

 他に長襦袢や喪服の下着もあった。これらは衣類(ボロ布)を出す日に出そう。

 使えるものを捨てるのは勿体ないと思うがどうしようもない。

 うさぎちゃんの夏の喪服の下着、麻なら丸洗いできるからと麻にしていた。

 お葬式に着たので洗ったら丈は縮んでチンチクリン、幅は出て合わなくなった。

 この母の喪服の下着貰って使おう。着ることはあまりないだろうが。