晴走雨読

晴耕雨読ではないが、晴れたらランニング、雨が降れば読書、きままな毎日

全国一斉学力テスト

2007-04-21 10:01:52 | Weblog
 ようやく暖かくなり、本日の予想最高気温18℃、午後からランニングの旅に出かけようと思います。

 道中、何か面白いことに出会えればいいのですが。



 24日に全国一斉学力テストが実施されることに対して、教職員組合などが批判しています。

 批判の趣旨は、「学校間の競争をあおり、格差を深める」(朝日新聞)、「テスト対策で本来の授業や課外活動が削減されかねない」「学校選択制に利用されるなど格差拡大につながる恐れ」(北海道新聞)また、宮田和保・北海道教育大教授ら学者や弁護士ら34人は連名で、「国民から教育権を奪い、『国家に都合の良い教育』をもくろむ」などです。



 現在の教育をめぐる情況は、教育基本法が改訂され、国家や郷土を意識した教育が進められようとしています。

 また、実施して間もない学校週5日制など「ゆとり教育」が見直されようとしています。

 さらに、塾、家庭教師、予備校などの受験産業は隆盛を極め、高校入試は加熱、共通1次試験以降、全国の大学は成績で輪切りにされ、ランク付けがされています。



 こんな情況の中で、上記のような批判は、中途半端、たてまえだけの上滑りで、子どものいる家庭の心を掴めません。

 学力テストの成績が教育の成果を示す唯一の指標ではないことはもちろんですが、結果は全て公開した方がいいのではないでしょうか。都道府県毎、市町村毎、地域毎、学校毎、クラス毎にです。

 そのことにより、教育の赤裸々な実態が現れると同時に、問題もはっきりと見えるでしょう。



 生活実態、貧困問題と成績の相関関係、学校間の格差からは、教員の資質、教育委員会の教員の配置実態(質の悪い教員をどこかに押し付けていないか。)が。



 もっと、問われるのは、この国の社会のあり方でしょう。

 明治以来、この国が教育によって社会の秩序を維持してきたことの是非でしょう。貧しい家庭に生まれても、教育を受ければ社会的なステータスを得れる可能性を持った社会です。(この負の側面に受験競争がある。)

 それとも、その人の生まれが人生を決定する世襲的な社会や人間関係に負うコネ社会を選ぶかです。

 学力テストを批判するなら、もっと根底的に、実施するなら全貌を明らかにして、議論すべきでしょう。

 

 
  

 



コメント (2)
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