晴走雨読

晴耕雨読ではないが、晴れたらランニング、雨が降れば読書、きままな毎日

『アジア・太平洋戦争』

2008-03-01 14:42:19 | Weblog
 ミッキーマウスは、米国文化の象徴。

 『アジア・太平洋戦争 シリーズ日本近現代史⑥』(吉田裕著 岩波新書 2007年刊)

 この国の敗戦が1945年、私が生まれたのは1954年で、戦後9年しか経過していなかった。現在2008年、戦後は62年が経過した。

 こどもの頃、NHKラジオで引揚者や行方不明者の名前を呼んでいた記憶がある。街角には傷痍軍人もいた。防空壕の跡や、海岸で菊のマークの入った手榴弾のおしりを拾ったこともある。

 その後、僕たちは随分と遠い所まで来てしまったような気がする。でも、戦争を知らない僕らの世代でも、何かしら意識の中にあの戦争が生きている。



 『アジア・太平洋戦争』は、新書のボリュームながら、あの戦争について知らなかった事実が随所に出てくる。学校(小学校も中学校も高校も)で習った歴史は古代から始まるが、明治にたどり着いた頃に3学期が終ってしまって、この国の近現代史に届かない。

中国や韓国では、若者に近現代史を学んでいるのだろうが、この国でも日本史や世界史という教科の他に、歴史の中に近現代史という教科を学ぶ必要がある。 
以下は、この本からわかった、「なるほど、そうだったのか」諸々。

 あの戦争は、アメリカとの戦争というイメージが強いが、開戦時、日米間には決定的な対立は無かった。従がって本当は、対米戦争を極力回避しつつ、対英戦争に主力を注ぎたかった。

 真珠湾奇襲攻撃の違法行為について、駐米日本大使館(外務省の出先機関)の事務怠慢による責任とされているが、無警告攻撃を重視した軍の圧力に外務省(本省)が屈した結果であること。

 開戦時の太平洋地域においては、日本の戦力は米国を凌駕していた。これが、短期決戦で勝つという幻想につながった。この状態は、ミッドウェー海戦に敗れたまでは続いており、ガダルカナル島の攻防戦以降、戦力が逆転した。

 米国映画の上映禁止などの反米キャンペーンは、1943年に入りガダルカナル島敗北以降のこと、政府や軍部は、対米戦の重要性を充分認識していなかった。国民の間にも、米国に対する強固な敵愾心が存在していなかった。



 日本軍が侵攻した地域を地図に落としてみると、良くぞこんなにアジアの遠くまで、否、オセアニアにまで行ったものだと感じる。この展望を持たない戦略が、後で補給路を断たれてしまい、餓死という戦争とは無縁の死に方を強制される悲劇を生んだ。



 先週は、職場の先輩の本当に悲しい通夜や送別会、夜の営業などが続く。先週に続いて、明日も日曜営業。

 読書不足で心が安らがず、練習不足で体が安定せずを脱しなければ。





コメント
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