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『労農派マルクス主義』 その6

2008-09-08 20:48:41 | Weblog
『労農派マルクス主義』 その6 (完)

 著者の結び、「終章 これから」から引用する。(1.2.3.の各標題は、私が付けた。)

1.現在の情況
 「21世紀初頭、旧社会党勢力だけでなく共産党系もふくめ社会主義政治勢力総体が後退させられ、議会の議席でみるならば戦前の無産諸政党のそれにも劣るといってよい状態になっている。」

 「今や非正規労働者が4割に迫り、正規労働者といえども企業内で終身を保障され「出世」するのはごく一部に限定され、労働者の人生は入口から決定される。」

 「民衆総体が階級社会を意識する条件がふたたびあらわれている。この明快な階級社会の再現が、これからの社会主義運動の土台となる。」

2.率直に誤りを認めるところから
 「労農派の一定の時期におけるソ連社会主義の評価と発展の見通しはあやまっていた。」

 「そのさい問題になるのはレーニンの評価である。」

 「社会主義協会の盛期に、民主主義を軽視して直裁に社会主義を強調したような傾向がないとはいえなかった。」

 「共産党、社会民主党、新社会党をはじめ左翼は今や一蓮托生である。」

 「統一戦線が形成されぬまま国会で左翼総体が敗退するという民主主義のたちおくれは、今こそ克服のときである。」

3.社会民主主義について
「社会民主主義とは、資本主義と社会主義の間の区別を排除する観念であって、社会主義も民主主義もともにあいまいにしかねない理論である。」

 「戦前の諸条件のもとでは、社会民主主義の一部は、民主主義を限度とする共同戦線党を否定し社会ファシズムに転化した。」

 「新自由主義のもとで資本のグローバルな搾取衝動が強化され、一国的な階級強調の諸条件は崩壊し、西欧社会民主主義もあらたな分化と変質の時代に入っている。」

 「21世紀は「ソ連型社会主義」を継承することにはならないが、あえて「社会民主主義」である必要もない。」
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