高齢者の暮らし、あれこれ

親の介護が一段落し、介護予備軍の夫との日々

近頃のご近所さん

2022-04-23 08:07:00 | 日記
おかしな言動をするご近所さん。
丁寧に話を聞いてあげていたら、
家に押しかけられて困った時があった。

早朝にインターホンを鳴らされ、
寝る時はインターホンの電源を切った。
それでも “敵” は諦めず、
ドアを叩かれる時もあった。 

ある朝、
ご近所さんが玄関ドアの前にいた時、
次男が出勤のためドアを開け、鉢合わせ。🚪

一言、二言言葉を交わし、ご近所さんは出て行った。
すぐさま次男にラインで訊ねると、
「何か書付を渡されたので、玄関に置いておいた。」と返信。📥

取りに行くと、
ミミズが這ったような字で、何かが書いてあった。📝
どうやら、被害を受けている内容をまとめたものらしい。

その日の午後、
パトカーがご近所さんの家に来ていた。🚔
ご近所さんが呼んだと思われる。
以前から、
私を『被害者仲間』にしようとしている様子だった。
次男が対応してくれて、よかった。 

その後、
ご近所さんが家を訪ねることは、なくなった。
今のところ。
次男の話だと、鉢合わせた時ビックリしていたそうだから、
近づかなくなったのか?

この頃は、
うちの前の道路をウロウロと行ったり来たりしている。
話し声が聞こえるので、
誰か捕まっているのかなぁ、と二階から覗くと、
なんと独り言。 🗣

いや、独り言ではなく、
誰かと “会話” している。 😳
穏やかに話しているのだが・・・

ともかく、
私のことは忘れたのかどうか?分からないが、
我が家への訪問は止んでいる。 

  🗣  





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折形、新体制

2022-04-22 10:40:00 | 日記
今習いに行っている折形教室。
大先生ー猷子先生が約10年前に『猷和会』として設立。
設立メンバーの大幹部の先生方と運営をなさっている。 🤗

去年、大先生は80代後半になり、
娘さんを “片腕” として引き上げた。
が、
1年余りで、我々の先生でもあった娘さんが、
会を辞められた。 

その後釜として(?)、生徒さんを役員として引き上げた。
彼女(Fさん)は、
大先生の特別クラスで一緒の40代。👩‍🦰
事務処理能力がありそうな、真面目な方。

教室の後で、
5月の総会の資料のことなどを打ち合わせていた。
何かちょっとした直しがあるらしく、
大先生がFさんに色々頼んでいたのが耳に入った。👂
「他の役員さんには頼み辛くってね〜」

Fさんは、名実先生の手足となって働いてくれるだろうと思われる。 
しかし、まだ “生徒” の身のFさん。
「役員の方達の中へ入っていけるかどうか、不安で」

大先生の口からポロリと溢れることに、
役員さん達からの “不満” があった。
「これは、ここだけで、ね」🤫🤭

Fさんの役員入りのことやら、
我々の『特別クラス』のこともよく思われていないような。 
どうも、
大先生の “個人的な考え” と思われている?

会主と言えども、
組織での取り決めは、
不自由さがあるのかもしれない。 

  🧧  





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散歩も間遠くなった

2022-04-21 12:06:00 | 夫のこと
夫婦共『気力の減退』がみられ、
運動量が明らかに減ってきている。 
あんなに毎日行っていた散歩も、
月に1、2回になった。 🙀

夫が好きな『モーニング』で釣るのだが、
数日前はそれも断られた。 
今日は、ちょっとふらつく。
と言いながら出かけてくれた。

外は春爛漫。
公園のツツジも、


亀のいる用水路沿いも、


花が咲き競っている🌼🌺

モーニングを終え、
店を出る前に、夫にトイレは大丈夫か?聞いた。🚹
大丈夫。🙆‍♂️
と言うが、
帰宅途中、もよおして大騒ぎをしたことが、数回ある。 

もう一度行くように勧めるも、拒否。
で、
店を出て数分後、あっ!トイレに行きたくなった。 

ハァ!? 

      









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折形ー新たなスタート

2022-04-20 08:36:00 | 日記
折形の教室に通って、早3年が過ぎた。
「二十四節気七十二侯」を始め、
日本の昔からのしきたりや行事を講義してもらった。 👩‍🏫

講義を聞いた = 頭に入った
とはいかないのが、凡人の悲しさ。 
1年回って、
「去年もお話ししましたが・・・」
と先生に言われても、エッ?!そうでしたっけ? 

そんな我々でも、
今度『初許し』のお免状をいただけることになった。 
3年間で「第一段階の折形と講義が終わった」ということで、
我々が『会得した』かどうかは別のこと。 

「初許し」のためのテストはないものの、
今まで習った折形を習得したかどうかのチェックがある。😱

実際の1/4の寸法の雛形を作り、提出しなければならない。


その数30数個。
折り方を忘れているのも、ある。

そこで、
折形教室の後、居残りをして皆で教えあった。 
これが思った以上に進まず、
結局1回目は、一種類の折り方きり一緒にできなかった。

来月まで個々で頑張ることにして、解散。
第2回の居残りでは、
『免状料包み』を皆で確認しながら折る予定。
取り敢えず、免状料を差し上げなくてはならない。 

居残りで、
皆でワイワイ話しをし、仲間意識が出てきた。 

で、
4月から『中許しコース』に入った。
先生も変わった。

3月の教室の最後で突然の発表。🗣
ず〜っと同じ先生に教えていただけるものと思っていたのに。 
残念! 

新しい先生は、ちょっと緊張気味。 
それでも、豊富な知識を分かり安く披露してくれた。
折角のお話が、「右から左」状態だが、
今後ともよろしくお願いします。

    




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介護はそれぞれ

2022-04-19 09:00:00 | 日記
『夫の介護』と言っても、
今のところ、“物忘れ” や“勘違い” を直してやる程度。 

これが『大変』から『いつもの事』になった。
夫が “怒りモード” のスイッチが入ると、 
気持ちが急降下する。 
スイッチが入らぬよう、気を遣う。
これも『大変』から『いつもの事』となりつつある。 

夫とはなるべく楽しく(穏やかに)暮らしたい。
そのための気遣いだが、
発症する前は、『気遣い』はほとんどしなかった、と思う。 

で、思い返した。
母たちには、
夫と同じような “気遣い” はしていなかった、気がした。 

母達とは、
介護が始まるまで、別居していた。 🏘
「介護が必要になった」=「体が弱り、死期が近い」
そんな思いが心の奥底にあった、のに気がついた。

親とは言え、
一緒に暮らしている『家族』とは違った関係ではなかったか。
『死ぬまでのお世話』と思っていたのではなかったか。 

義母の介護では、
本当に他人事だった。
『嫁の務め』として踏ん張った。 

母の時も、
『孝行娘』として死ぬまでの世話をするつもりだった。
体が弱っていっても、
「だんだんそうなるなぁ」と、変に冷静で受け入れられた。 

母達の介護の愚痴は、すんなり吐き出せた。 🗣
夫のことを気遣われた時は、
えぇ、なんとかね。 
と、曖昧にきり答えられない。

兄が重篤な状態で入院した時、
義姉は、「この事を親友にも言えないでいるの。」
と言っていたが、今は分かるような気がした。

母の介護ブログのサブタイトルを、
『母と私の静かなるバトル』とした。📝
口喧嘩はなかったが、
二人の “意地の張り合い” があったからだ。

その時、
夫の介護の時は言いたいことを言って、
『壮絶なバトル』になるかもしれない、と思った。 
実際は、
穏やかに、なるべく機嫌よくを心がける。

やってみないと分からないものだ。 
介護の経験がある、とはいえ、
それぞれに “初めまして” の対応なのだ。 

この1ヶ月、
いろいろ思って、改めて納得して、
落ち込んで、今は浮上中で。 

何とかかんとか暮らしている。 








コメント (2)
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