*三浦事件は27年前の銃撃事件で、2/25昼の番組の大下さんも当時中学生だったから詳しくは覚えていないと言った。事件報道を直接には知らない人たちも最近のリプレイで当時の様子の凡そは推測出来るだろう。最初、彼は悲劇のヒーローだった。ロスアンジェルスを旅行中妻共々銃撃されたのだから同情を呼んで当然だった。が、2年後『週刊文春』に『疑惑の銃弾』という連載が開始されると様相は一変した。保険金目当ての嘱託殺人(一美夫人は頭部に銃弾を受け1年後意識を回復することなく死亡した)ではないかという『疑惑』が急浮上したのだ。テレビ各局は連日先を争ってこの事件をフォローした。当時から既にメディアの「狂乱報道」はあったことが確認出来る。一列横並びの劇場型の事件報道である。露出を好む三浦氏本人も進んでテレビに出演し自分の主張を繰り返した。が、テレビ局は単なる媒体であって、裁判所ではない。紆余曲折があったが数次に亘る裁判では結局、ロスの銃撃事件に関しては証拠不十分で無罪、その前年の三浦一美夫人殴打・殺人未遂事件では三浦氏の依頼を受けて殴打した本人の供述もあって有罪が確定し彼は服役した。最近になって三浦氏はコンビニで万引きし、その裁判が始まる寸前の今回の逮捕劇だった。*裁判制度というものは個々の国独自に適用されるもので原則『国境を越える』ことはない。日本の場合『証拠主義』に立脚しているから、心証としてどんなに疑わしい被告でも肝心の証拠がなければ『疑わしきは罰せず』となる。また『一事不再理』という原則があって、一旦無罪が確定した事件については二度と裁判にかけられることはない。が、これはあくまで日本一国の事情であって、米国には米国の(それも各州独自の)司法制度があるわけである。この事件のメディアの取り上げ方に早速噛み付いているblogがあった。「イージスの事件はどうした?!」というのだが、「仕組んだ」とすればむしろ沖縄基地問題の収拾が付かないアメリカの方が怪しい。ところで私には『みんなで亘れば怖くない』式の狂乱報道の方が遥かに気がかりである。オウムの麻原をたけしの番組に呼んで『空中浮遊』について語らせたのは確かテレ朝だったし、放映前のビデオをオウム側に見せて結果弁護士一家惨殺を招いたのはTBSのワイドショーだった。2年前の小泉フィーバーを演出したのも報道である。劇場型の報道はとどまることを知らない。 . . . 本文を読む