一言で言えば「とんでもない餓鬼どもだ!」どのような理由づけがなされようとこれは許されるべき範囲をはるかに超えている。
ところが、校長の談話からもうかがえる通り、この学校にはこういうことを「軽いのり」だと済ませてしまう風土があったのだろう。だから、もしかすると校長は「何でこんなことで新聞は大騒ぎするんだろう。ほっといてくれないかな。大したことじゃないんだから」という感覚なのかもしれない。この校長には事の理非がよく分かっていない。だから、個々の生徒においては推して知るべしのレベルだろう。
本来なら、「学校の中で子ども達をこんな行動に走らせてしまったのは、全く校長である私の責任です。校長という私の責任においてこの子ども達にまっとうな感覚を持った人間になる指導をしていきたいと思います」と、校長自らが深く反省し、学校教育の歪みを正す取り組みをすべきところではないか。
ところがだ。この校長の談話から垣間見えるのは、そういう歪みを率先して正そうとする姿勢ではなく、なるべく事を荒立てずに穏便に済ませたいという己の保身の心である。彼は自分の立場しか考えていないように見える。生徒のことは眼中にない。あるいは、そういう感覚の欠如した人間には、何が問題なのかさえよく見えていないのかもしれない。
だから、「命の重さについて、より指導を徹底していきたい」なんて、トラブルのあった学校の校長が口にするお定まりの、白々しい言葉でお茶を濁そうとするのだ。
生徒の攻撃目標になった教師がどういう類の教師なのか明らかではないが、どのような理由があろうと許される行為ではない。「軽いのり」で北朝鮮からテポドンを発射されてはたまったものではない。それと同じだ。笑い話で済むことではない。
それにしてもあまりにも精神の荒廃した学校風景だ。ここには子ども達を人間として育てる教育の営みが欠けている。だから、この教師はお腹の赤ちゃんのためにも一刻も早くこの職場を離れ、この子ども達や校長から避難した方がいいだろう。まずこの校長は辞めてもらうしかないだろうが、正すべきはそれからのことだろう。