
▼「夜間飛行」的な不登校問題への関わり
つい先日(8月8日)、私たちは、さいたま市で、教育ネットワーク・ニコラ15周年、フリースクール・ぱいでぃあ10周年の記念イベントを開催しました。そこで、サンテクジュペリの『夜間飛行』になぞらえて、当時の不登校問題への民間活動の側からの取り組みの決意を語ラせてもらいました(当時、まだ文部省や県教委レベルでは、全く不登校問題への取り組みは為されていませんでしたし、今のところ今後の予定もないとのことでした)。
これは今、振り返って思うことですが、当時、不登校問題に突き進んでいくことは、まさに何一つ定かではない闇の空間に飛び立っていく飛行行為に似ていたように思います。『星の王子さま』で知られるサンテクジュペリの作品に、パイロットであった自身の体験に基づいた『夜間飛行』という小説があります。その話に似ているように感じたのです。ただし、いつの世もそのようにして時代は開かれ、橋が架けられてきたのでしょうから、それ自体には何も言うことはないのです。自分の選んだ道なのですから。
ちなみに、サンテクジュペリの『夜間飛行』はライト兄弟の発明した飛行機がリンドバーグの大西洋横断飛行などの快挙を経て、やがて航空輸送機としてまた兵器として発達し始めたその黎明期に南米で夜間飛行の航空郵便事業に乗り出した男の物語です。飛行機とは言ってもまだレシプロ複葉機が主流の時代、今のようにレーダーも天気予報も飛行場のライトさえも完備されていなかった時代の話です。夜間飛行に限らず空を飛ぶこと自体が限りなく死と隣り合わせの行為であった時代だったのです。ちなみに、サンテクジュペリ自身、飛行機事故で亡くなっています。
「彼らの仕事は命を懸けるに値するものだ!」と言う彼に対して、取材する新聞記者は「果たして命を懸けるに値する仕事なんてあるのか?」と問いかけます。彼は言います、「だらだらと知識ばかりを蓄えても行動しなければ進歩はない!実践してこそ発見がある。経験が進む方向をつくるのだ。」と。だが、それは市井の人間としての幸せを断念することでもあったのです。そして、彼自身「その幸福を手に入れる機会をすべて放棄し、私は仕事をするための時間にあてた…。我々はなぜ…それに命を懸けるのか?」と人知れず煩悶するのです。
▼教育行政は不登校対策でどんな成果をあげたのか?
あれから15年、一体どれだけの教育公費が不登校対策費の名の下に学校に投入され、一体どれだけの成果をあげてきたのでしょう。学校を離れた子どもとその家庭には義務教育でありながら一切の教育援助を受けられないままに教育棄民の状態に据え置かれてきた、というのが実際なのです。
私達の活動そのものは、「夜間飛行」のような一途な思いで出発し、やがて賛同者や同行者を得、「学びの輪」「実践の輪」「支援の輪」を広げて今日を迎えたわけで、今回の会はその区切りとして、新たに今後への展望(子どもの学習権の推進など)を提示するものとなりました。
しかし、不登校支援活動の歴史とは、そういう民間の側からの活動の歴史であり、教育行政の側からは何一つ具体的な進展のなかったことを確認するものとなったということは残念なことでもあります。そして、いまだに不登校となった本人とその家庭を非難する始末。民間からすれば湯水のように資金を使いながら、未だに対策を検討することにとどまっているということはあり得ないことです。それこそ、事業仕分けの対象ではないでしょうか。
▼不登校生は教育現場の「カナリヤ」
教育活動の中での不登校問題というのは、例えるなら「炭鉱内のカナリヤ」のようなものなのである。今、知る人は少ないと思うが、石炭の採掘作業を行う時に、ガス探知機などがまだなかった時代、炭鉱夫はロウソクやカナリヤのような小鳥を坑内に持ち込み、それによって有毒ガスの有無を確認したと言います。坑内の空気が希薄であったり、有毒ガスが発生した時には、人間より先にまずそれらが異変を告げてくれます。いち早く危険を教えてくれるセンサーであったのです。
それと同じ様に、不登校問題というものは、不登校となったその子が問題なのではなく(そういう気質の子も確かにいるが)、そういう環境に敏感な子どもがいち早く、学校という教育現場がもはや子ども達が生きて行けなくなる危険な状態にあることを教えてくれるセンサーでもあったということである。ここのところを学校等の教育現場にいる教師自身がまるで気付いていないのです。
(3)へ続く
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