教育落書き帳

教育とは何か…子どもの視点を尊重し、親、伴走者、市民の立場から語ります。子どもを語ることは未来への信頼と希望を語ること。

不登校の子どもの心に耳を傾けてみよう--不登校の子ども理解のために(1)

2013年12月10日 | 日本の教育
不登校の子どもの心に耳を傾けて--不登校の子ども理解のために(1)

Bob Dylanの「風に吹かれて」をカルメン・マキの替歌でどうぞ。
 不登校の子の秘めた思いをこの歌から聴き取ってください。


▼不登校になったお子さんを持つ親御さんは大抵予想外の事態にパニックになることが多い。本人はそれまでの自然の成り行きの帰結として意外に冷静に受け止めることが多いが、親御さんには事態を冷静に受け止められない。
 それは今までの子育てを根こそぎひっくり返されたような事態、時には自分の生き方そのものが問い直されたような事態なのだ。だから、それは容易に受け入れられない。是認できない。〈そんなはずがない。これは何かの間違いだ〉と思いたい。認めがたい現実がそこにある。その時、親御さんの多くはどうするか。

▼我が子が不登校になったという現実は、どんなに否定したくてもやがて認めざるを得なくなってくる。どうしてこんなことになったのか。その原因を外部に、我が子を取り巻く状況に見出そうとするのは自然のことである。そういう事態になった時、冷静に自分の顔を鏡に映して見ることは難しい。そこで学校生活のこと、友人関係、教師の対応、その他様々な周囲の要因を検討してみることになる。すると、普段は気にも掛けていなかったが、我が子の不登校のきっかけとして様々なことが思い当たるようになる。

▼子どもの不登校の原因がどこにあるかは正直とても難しい。どちらかに限定できないことも多い。ただ一般的に学校関係者の側は子どもにそれを求め、親御さんの側には学校生活の中に、学校という教育空間の中にそれを求めることが多くなる。これはごく自然なことで避けようがない。しかし、お互いにそうやっているうちはなかなか解決への方途は見つからない。
 不登校になった子どももどうしていいか分からない。ただ不甲斐ない自分を自覚させられるだけである。不登校の渦中にいる子どもは、自分で自分をどうすることもできないのだ。

▼親御さんと学校側と、この両者に共通したものがある。それはともに〈不登校は悪いこと〉という考え方である。大人の顔にそれが如実に表れているのを見て、子どもはただオロオロするしかない。それが長引き、進展がなく高じていくと、子どもは自分に対して肯定的な感情を持てなくなっていく。自己否定の感情でいっぱいになっていく。そして、何事にも自信をなくし、手に付かなくなる。ゲームやインターネットにはまりこんで行くのは、そういう自分を慰撫する行為であり、他に救いの手のないことの代償行為なのだ。

※不登校の子どもは理解されたがっている。でも、大人の誰も分かってくれない。

※時間の関係で推敲せず投稿しています。後で修正が入ることがあります。ご理解を。

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