ふわり、ふわりと風のふくままに・・日記

感性がキラリと輝くような毎日を過ごしたいけれど、現実はなかなか思うようにはいかない。小さな喜びに敏感でありたい。

実家の庭は春爛漫

2012-04-03 09:19:53 | 日々の出来事
寒い長かった冬から、一気に春が来ました。実家の庭は父が買い求めた盆栽を地植えしてものも含めて花がつく木が多いです。もうすぐ梅は散ってしまいますが、沈丁花、桃、雪柳、パンジー、ぼけ…可愛くてなごみます。
フォトアルバムを作りました。写真の向きが色々で見にくいでしょうが少しの春を味わって下されば幸いです。リンクの貼り方も分からないのでうまくいくかしら…


今はおひさまも出ていて、風はあるものの洗濯物も乾いてしまいそうな気持ちい天気ですが、お昼から雨、夕方には吹き飛ばされそうな強風になるそうです。さっき、消防自動車が目の前の道路を走って行きました。こんな日に火は大変。看板や落下物の事故にも合わずに皆さんご無事にお過ごしください。

聖週間

2012-04-03 08:55:57 | カトリックの信仰
8日の復活祭の前、いよいよ聖週間に入りました。

何でもかんでもストレスのせいにするのもいかがかと思うのですが、小っこくてもい潰瘍なんて病名がつき、胃カメラを飲みながら説明された十二指腸は真っ赤か。後で仕事の仲間がその前から会うたびに身体が薄くなっていって心配でした、と表現していたのですが、確かに医者に行く前から食欲はガタ落ちだったのですよね。歩くたびに、階段の上り下りも痛みを呼びそろりそろりと歩いていたなぁと後から思い出すのです。あの頃、いつもの通勤に時間をかけてゆっくり歩き、なるべく始発駅から乗り短い距離でも座れる場所を確保していたし、一つ先の駅からだとバスに乗り換えて歩く距離が少なくなる、とか思っていたことを思い出します。(そんなに頑張らなくても良かったのに(笑)根がまじめですから…)

そんな中で灰の水曜日を迎え、四旬節に入ったのでした。自宅で迎えたその日は無理でしたね、ミサに与るために出かけるのは。祈りました。沢山の、私よりもっともっと辛い苦しみの中にいる方々を思い浮かべながら。私のことを心配している家族や友人達に感謝をこめて。イエス様が受難に向かい、全身全霊を込めて私たち(私)に伝えたかったことを病気を得て与えられたこの時期に聖書に入ろうと思いました。…実際には差し込む痛みの強いうちには何もできないですね。う~~って言いながら短い祈りを繰り返すことにしていました。

途中で「夜・夜明け・昼』の本をせっかく手にしたのに、数ページ読むと胃が収縮して、まだこの本を読む時期ではないと諦めておいてあります。イエスの最後の晩餐での遺言とも言える言葉(ヨハネ)も少しずつ、少しずつよ~く噛みながらしか読めず、これはさらっと読まずに良い黙想になります。、

日曜日が受難の主日でした。長い福音朗読を長いと感じないで、近所の修道院でミサをあげて下さる神父様はお説教が長くて、長くて集中力が切れるのですが先日はそんなことも感じないで、主の受難を思う中で過ごせました。

次に会うのが復活祭の後になると分かっている方との「さようなら」の代わりに、「良い復活祭を・・」とあいさつすることがありますが(クリスマス前に『良いクリスマスをお迎えください』というのと同じように)、でも今年は「良い復活祭をお迎えください」というたびに何だか違和感を覚えてしまいました。イースターカードはイースターの前に送るより、復活後に届く方がいいという話もあります。そう『良い復活祭』というのは『良い準備』があってのことなのだと思います。『良い』という言葉の重みを感じながらこの一週間を過ごしたいと思っています。

今は食事もほとんどいつも通りに戻って頂けます。量は気をつけないともたれ方が半端じゃない…。2ヶ月目の薬もあと半月分になりました。スケジュールを一杯入れると体力的にはまだきつい感じがしているので、ゆっくり過ごすことを身体が覚え込むにはいいペースです。このブログを読んでくださっている中でご心配をおかけした方には、ここまで回復したことを感謝をもってお伝えします。神様の温かい恵みが私の知らないあなたにも豊かにありますようにお祈りしています。