なおじい(HOBBY:カメラ・ビデオ撮影・DVDオーサリング/資格:ラジオ体操指導員・防災士・応急手当普及員)

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さぁ日本シリーズだ!29年ぶり日本一へ、虎の運命は西岡剛が握る

2014年10月24日 18時18分18秒 | ブログ
さぁ、29年ぶりの日本1だ!










◆阪神の主力野手で唯一の日本一経験者 日本シリーズも西岡がキーマンに!

 日本シリーズでも西岡がキーマンになりそうだ。

 阪神の主力野手陣で日本シリーズの経験があるのは、西岡、鳥谷敬、福留孝介の3人。鳥谷はプロ2年目の2005年に出場し、ロッテと対戦した。14打数4安打、打率.286に終わり、チームも4連敗という屈辱を味わっている。福留は中日に入団した1年目の99年を初出場。以降、チームは2004年、06年、07年に出場したが2004年、07年はケガのため福留は出場していない。

 西岡は、ロッテ時代の2005年、10年に出場し、いずれも日本一に輝いている。つまり、阪神の主力野手で日本シリーズに出場し、日本一を経験したのは西岡だけなのである。

 2回出場した日本シリーズ計11試合で、西岡はすべて1番としてスタメン出場。通算53打数11安打、打率.208と好成績を残しているとは言えない。しかし、ノーヒットで終わったのは2010年の第2戦だけである。

 過去の日本シリーズで先制したチームの勝敗は259勝117敗で勝率.689。今季、両リーグ通算の先制時勝率も.681と大きく変わらない。それが2001年以降の日本シリーズに限ると58勝18敗1分、勝率.763まではね上がる。投手の分業制が確立されたこともあり、日本シリーズで先制点の重要度は増していると言っていいだろう。

 初回、西岡が塁に出て、上本がつなぎ、鳥谷、ゴメス、マートンの中軸で返す。シンプルな攻撃をどれだけできるか。その回数が増えれば増えるほど、29年ぶりの日本一は近づくはずだ。

グリコの看板の歴史

2014年10月24日 18時03分02秒 | ブログ











道頓堀に初めてグリコ看板が設置されたのは1935年。高さ33メートルのネオン塔で、ランナーとグリコの文字が6色に変化、毎分19回点滅させていたという。だが、戦況が厳しくなった1943年に鉄材供出のため撤去された。2代目が登場したのは1955年。これも高さ約21メートルのネオン塔だが砲弾型となり、下の部分に設けられた舞台では大きな「ワニ君人形」がピアノをひいたり、人形劇が演じられるなどした。

 1963年には3代目が登場。これは高さ18メートルだったが、トレードマークの部分にある水車状のノズル(150本)から12トンの水がふき出す仕組みを形成。それを12色のランプ400個を照らし、きれいな虹模様ができていたという。水はポンプで上のタンクに戻す仕掛けにもなっていた。
高さ17メートルの4代目は1972年に登場。陸上競技場のトラックでゴールインするランナーが駆けるという躍動感のあるものに。午後11時まで点灯し、戎橋で看板を背景に記念撮影するという人もこの代から増え始め、名物となっていったという。建設から24年後の1996年、隣接するビルの改装に伴い撤去された。

 現在輝いている5代目は、1998年に登場。高さ20メートルでネオン管を4460本使用。日没30分後から午前零時まで点灯。大阪城、通天閣、海遊館、大阪ドーム(現・京セラドーム大阪)といった大阪を代表する建物を描き、バックの情景を表す色に変化をもたせることで、朝から夜までランナーが大阪の街を走っているという姿を表現した。2003年には大阪城や通天閣などとともに「大阪市指定景観形成物」にも選ばれた。