ペタンク爺さん

ペタンクで遊ぼうよ!で20年

ペタンク競技札幌市民大会

2014年10月26日 18時01分45秒 | ペタンク・試合
今日ペタンク競技札幌市民大会が西区農試公園ツインキャップで開催された、半年くらいペタンクボールを手にしいいなかったがこの大会だけはペタンク協会創設期の盛り上がって来ていた頃で、その頃は㈱スポーツインジャパンの役員に籍を置いていたので、会社の社長はじめ会社の皆さんの強力なバックアップもあって協会設立から第1回ペタンク競技札幌市民大会開催までにこぎつけていた。
主催 uhb北海道文化放送になってもらう、
後援 札幌市、北海道教育委員会、札幌市教育委員会、札幌商工会議所、日本ペタンク協会、北海道新聞社、道新スポーツ、FM北海道、札幌日仏協会、札幌市老人クラブ連合会
協力 ㈱スポーツインジャパン
協賛 余市ワイン、北海道ナチュラル

以上が団体及び企業の応援を戴いたが、全て私が開拓したものだった、兎に角会社の仕事をほって置いても仕事をしていた様に思う、会社には殆んど利益還元は無かったので申し訳ないと思っていた。
大会役員は市長の板垣四氏、札幌市議会議長の吉野晃司氏、名誉大会長に町村信孝氏、大会長斉藤一氏、副大会長に文化放送から渡邊壽氏、道新から水上武夫氏、その他道義の高木繁光氏、岩本允氏、市議の磯野開史氏が加わっていただいた。
これ等の下準備は様々な人たちからのアドバイスや応援を得ての事だが、スポンサー探し等ペタンク爺さん一人の動きで完成させ準備を整えた。
兎に角忙し期間だったが充実して協会創設期のひと駒と懐かしく思い出している。
この後、7年くらいは毎年会員も増えて行きペタンクの普及に大きく貢献したと思う。

市民大会は、途中で札幌市体協に登録したので今年で札幌市市民体育大会の一環で開催しているので体育大会は55回目だがペタンクが加わっての第1回大会は1989年に開催しているので、ペタンク大会の方は今年で第25回目になる、それにしても歴史が加わって来ているが未だに若い世代の参加を心から願っている。

懸案だった日本ペタンク組織の一本化もとうとう達成し、6月日本オリンピック会(JOC)への加盟申請が承認団体と認められた。
あれから、25年もかかってしまったが漸く視界が広がったのは確かだ。

プログラム表紙
プログラム裏表紙
大会役員名簿
大会役員のご挨拶
大会役員のご挨拶02
表彰
第1回の優勝は女性の二人組だった。

 

第7回パリ祭記念ペタンク大会

2014年07月13日 22時13分29秒 | ペタンク・試合
今朝6時30分には家を出ていた、西区農試公園ペタンク専用コートで今年も大会名のごとく記念ペタンク大会が開催されることになっていた、主催は札幌日仏協会で開催されているが主管は札幌協会でこの大会はソレューが担当していた。
最大の目的はペタンクを通してフランスと日本の交流を深めること、ペタンクと云う遊びの文化を広める事で、此れだけの参加者が集まってくるようになってから当日の朝が参加申し込みと云う大会も本当に数少ないと思っている、この大会は一人で来ても参加出来たり無論フランス人も参加しているが、ボールを始めて握る人達もベテランぺタンカーの中に入ってもらい、ゲームを楽しむ競技会です。
ルールはトリプルスで本場フランス式を採用していて、比較的ゆったりゆっくりゲームが進められる、予定していた友人が出られなくなり私も選手として参加する、勝つことが目的でないので楽しいペタンクであった。
初戦はフランス人チームと熱戦を繰り広げ1点差で負けてしまう、其処から負け癖が付いたのか尽く負戦となり一勝も出来じまいだった。
午後から夕立に見舞われたり、時間制限なしで優勝戦は午後5時過ぎてから始まった、決着がついたのは午後6時を過ぎていた、役員も兼ねていたので最後の後片付けをして帰宅すると午後7時過ぎになっていた。

長が~い一日でした。

フランスチームと熱戦を
楽しい一日でした。

さわやかな6月がやってきた

2014年06月01日 21時58分17秒 | ペタンク・試合
朝8時には家を出ていた、今日はねんりんピック札幌予選会があり、今年は全く練習していない人たちが集まったチームでの参戦、行く前まで私等に負けるチームが出ると気の毒だね~
そんなことを云いながら出かけた農試公園、朝早くから臨時駐車場を解放して車であふれかえっていた、少年野球の開会式があったのか大勢の子供達、関係者が公園を占領されているようだった。
ペタンクの方と云うと市内にはこだけペタンク専用コートが準備されていて、7月には日本選手権北海道予選会の会場にもなっている、ちなみに今日の日曜日早朝から安平ペタンク協会のメンバーが、予選会場に使う農試公園まで練習に来ていた。
まだひと月以上あるのに、もう実践モードにスイッチが入っている、年齢を見ると4.50歳で脂が乗り切っている、あとは練習をつむことで自分のフレーに自信が持てるようになると、もう本番で活躍するだけだ。

私には、もうそんなコンデーションにする体力、気力は残っていない、ただペタンクは幾つになっても楽しむことが出来る、今はそこらが実力で今日の試合も予選3試合全敗で予選終了後、お弁当を食べて帰路に着く。

帰り道大通りを通って帰ってきたが、間もなく始まる「よさこい」の準備が着々と進んでいた、街中の街路樹の木の葉も黄みを帯びて真夏の太陽の下さわやかに演出しているように見えた、思わず車中からシャッターを切る。

予選だけのペタンクが続く
夕食はホタテのバター焼き

2013ペタンク市民大会に参加

2013年10月27日 20時54分20秒 | ペタンク・試合
札幌ペタンク協会協会創立が1988年で翌年の1989年に第1回札幌市民大会が開催されている、其れから数えて今年は24回目になってる、途中から札幌体協な加入したので体協創設から数えて54回目の大会が今年の大会だった、4月までひと月以上入院生活退院後も抗がん剤治療を続けているので、まだ完全には体調が戻っていなかったが、今年最後のペタンク大会参加にようやく間に合った。

本大会前に、1988年9月にペタンク協会設立記念大会として開催する池田町から望月会長はじめ、岸田、石井、小野田、武内、横田、横山さん達が駆けつけてくれ総勢私も含め20チーム40名の第1回のペタンク大会を開催できた、この時参加した選手で今でもペタンクを楽しんでいる人は、斉藤隆さん、木下勝男さんと私の三人しかいない。
この初めての大会の主催にUHB北海道放送さんが付いてくれた、後援に北海道新聞社、道新スポーツ、FM北海道、北海道教育委員会、札幌市教育委員会、札幌市老人クラブ連合会と協賛に㈱ポッカコーポレーションがバックアップしてくれる。
それに、大会役員の大会名誉会長に衆議院議員の町村信孝氏、大会名誉顧問に参議院議員の工藤万砂美氏、大会顧問に北海道議会議員の高木繁光氏、同じく大会顧問に北海道議会議員の岩本允氏、のそうそうたるメンバが名を連ねてくれる。
ちなみに大会長は、初代会長の斉藤一氏で札幌協会の基礎を作ってくれた人です。
ペタンク爺さんは、役員の中に入らなかったが運営責任者として創成期の協会運営に携わった、そう云う働き場を作ってくれたのも斉藤一氏で、創設から第6回大会まで7年間苦しかったが今思えば楽しいペタンク、ペタンクの日々だった。
翌年の第1回大会から、私は大会運営の裏方に回り選手で出ることが無くなる、この大会から後援に日本ペタンク協会、札幌日仏協会が加わり協賛に㈱ナチュラルグループ本社、北海道がスポンサーについてくれる、それに北海道新聞社が主催の仲間入りをしてくれるようになる。

第一回大会参加者の中に、今でも本大会に参加してくれている人として斉藤隆氏、と小野茂氏の二人だけで参加チーム数は50チームの100名が参加選手だった。

本日参加したペタンク市民大会は、妹とペアを組んでの参加で私は9月から始まった月寒公園でのペタン教室で少しはポールをいじくり回していたが、妹は一年以上ポールには触っていなかった、午前中の本番では2敗一引き分けで終わり、昼からの裏番組では漸く慣れて来たのか2連勝する、ベスト4まで勝ち上がったがもう余力が残っていなかった、残っていた試合をを辞退し帰路に着く。
今年初めての大会に6試合も戦い、疲れ果てたと云う所でした。
外は雨でしたが、楽しいペタンク日和でした。

札幌ペタンク協会設立記念大会プログラム
第1回ペタンク市民大会プログラム
第2回ペタンク市民大会プログラム
第3回ペタンク市民大会プログラム
第4回ペタンク市民大会プログラム
第5回ペタンク市民大会プログラム
第6回ペタンク市民大会プログラム

パリ祭記念ペタンクに参加

2013年07月21日 20時49分15秒 | ペタンク・試合
今年初めての公認ペタンク大会に参加した、札幌日仏協会がスポンサーとなって発足した大会で今年で第5回目を迎える、北海道では珍しくフランス人も参加する大会でレベル的には、始めてボールを握る人も含めている大会で、フランスの文化と云われてもいるペタンクの普及がこの大会の最大の目的と云っても過言でないが、札幌市民だけでなく地方からもレベルの高いチームも参戦してくるような大会になりつつある。
兎に角のんびりとした大会で、ペタンククラブ「ソレュー」が主管する数少ない大会で、当日の朝受付で参加料500円の格安大会でもある。
会場は、札幌市の農試公園ペタンク専用コートで専用となったのもそんなに古くは無いが、場所だけでも専用になった事は、今までの実績の協会の活動成果と云ってもいいと思う。
出来れば、今の土の上に石粉かビリ、が入れば完成度も高くなり、理想なコートと言えば砂利なのだが、市の抵抗が強く今の所大きな変化は望めないと半分は諦めている。

1年ぶりの大会参加は、私達兄妹と本間氏のトリプルスチームで、チーム力はまだまだ何処にでも出て行けるほどには達していない、それに私の胃癌手術で二ヶ月近く入院生活の後なので参加出来るまで回復しただけで今回は充分だったと思っている。
本番はブル方式で三試合で1勝2敗、お楽しみ大会では1勝1敗で終わったが朝8時から始まり表彰式が終わった5時まで、炎天下の下良く頑張りもち続けたと自分ながら感心している。

大会成績は、安平チームが昨年に引き続き優勝してしまった。
今年の記録は動画を中心に撮りまとめる、明日にでも編集した後公開することにしている。

安平山本チームと対戦
ジャッチの中村氏


第5回パリ祭記念ペタンク大会

●成績
●優勝 安平はじめちゃんチーム
●二位 みずほチーム
●三位 わかこまAチーム

大会終わり記念写真





Soleil札幌市民ペタンク大会制す

2012年10月29日 06時12分48秒 | ペタンク・試合
1988年札幌ペタンク協会創設とともに、第1回札幌市民大会が中島公園(弥彦神社裏)広場で開催された、それから第9回大会まで参加していたが、1999年北海道ペタンクリーグを創設し協会とは袂を断った、それから2010年協会に復帰しているが、12年ほと札幌市民大会にも参加していなかった、復帰後三年目でとうとう私が作った本大会に、我々のチームから優勝チームを出すことが出来た、Pリーグ時代から始めた原口夫妻でつばめ時代の同僚で、リーグ時代には京都、四国、東京、青森と毎年本州遠征もしていた仲間、成績より大会後の観光に重きを置いていたように思っていたが、知らず知らず力をつけていたのも事実だった、その原口夫妻、とうとう隠していた爪を出した感じで、この市民大会を連覇していたチームと決勝戦で顔を合わす、相手は協会創設から始めている強豪で、違反すれすれの試合運びもあり、原口氏は切れかかったか奥さんが必死にセーブしていたのが印象的だった。
それでも、夫婦二人辛抱辛抱で接戦をしのいでいた、途中一点一点プラスし5対10迄こぎつける、見物していた私もこれで決まったと思った、次に一点とられたが、その次に完璧な守りが出来相手チームの完敗が決まってしまった。
相手は、三連覇がかかっていたが阻止でき一矢を報いた感じになった。

さて、私は妹と組んで参加していたが、大会要項を見ていないで農試公園の野外コートと思っていたのでグランドの方に車を付けると、たれも居ないのに気が付く、ひょっとするとと思いツインキャップに行くと8時30分に玄関が開くとのことで、数人待っている人に会う、そこで初めて今日は室内会場と判る、ツインキャップは独特なコートの粘土質で、試合が始まって暫くすると穴だらけになる、石わらのコートと同じで落ちる場所でキックボールが出てくる、難しいコートになる、それをカバーする投球はルーレットになる、この投球が好いということが予選二試合終った辺りでわかる、結局今日は一勝しただけに終わる。

そのあと、原口夫妻のチームが勝ちあがっていたので応援団の方に廻る。
兎に角久しぶりの快挙だったことは間違いない、記憶と記録に残る優勝おめでとう。

札幌市民大会
優勝カップ
原口夫妻
優勝の瞬間
ペタンク爺さんと妹





2012「パリ祭記念」ペタンク大会終わる

2012年07月08日 22時05分36秒 | ペタンク・試合
朝5時に目覚ましを合せていた、所がそれより早く4時前には目が覚めてしまった、とっくに夜は明けていて朝から蒸し暑さが感じられていた、今日の役員の集合時間は7時30分でそれまでには、3時間も有ったがそのまま起きてしまった、昨日花壇の水まきをしていなかったので、早朝からエリアの広くなった花壇の水まきを済ませた。
ゆっくりした朝を過ごし、朝はパンとトマトの特製ピューレ―それにコヒーが我が家の朝食で、もう何十年の定番になっている、朝食。
各役員に器材や備品が保管されていて一年に2回ほどの大会で使用する時以外分散して管理している、私の所にもテントを始め結構な量の物を預かっている、今日は虫干しを兼ねているように持ち出しで、会場の駐車場からペタンクコートまで、手で持ち運びが大変なので台車も積んでいった。

この大会の雰囲気は可也のんびりムードで、選手たちは集まってきた一年に一度しか会わない人たちもいて、なんだか同窓会の感もあり、始まる前から楽しさが伝わって来ていた。
5回目にして、地方の池田町と安平から男女2チームが参加してくれた、当大会は兎に角初心者が圧倒的に多く、それにチームも編成しないで来ても、本部でチーム合わせをしてくれる、無論一人でもどこかのチームに入ってもらって競技を楽しんでもらっている、ソレユーのスタッフ7.8人もそんなチームの中に加わって大会を楽しむとともに、競技の進行をスムーズに進めるようにやってきた。

今日は、私もチームの出来ていない所に加わり楽しみました、運よくベスト4まで到達しましたが、そのあとは散々でした正確には三位決定戦で敗北し、第4位に終わりました、ただ申し訳なかったのは優勝決定戦が終わっても、私たちの決定戦が時間が掛かってしまい表彰式がすっかり遅れてしまい皆さんを待たせてしまった。
反省しています。

安平から若い男子チームと女子チームが参加して来ていましたが、優勝決定戦はこの2チームで争われ結局男子チームが優勝してしまいました。
朝7時に自宅を出て、帰ったのは夕方の7時になっていました。・・・・皆さん、ご苦労損でした。

優勝は安平男子チーム

重馬場状態のペタンクコート

2012年06月17日 16時00分05秒 | ペタンク・試合
一週間前までの予報では、雨の情報は全く入っていなかった、おり悪く南方海上で台風が発生し、沖縄から九州目指して北上し始めていた、直接台風の本体が北海道付近には週末が過ぎて一日二日後のはずだったが、台風本体の露払いの様に前線が押し上げられ其れが今日の日曜日に札幌に来てしまった。
競技の始まる午前9時頃には、とうとう本格的に降り出し始めた、雨の中の競技会の記憶は沢山あるが、どうも良い成績は残していないと思う、今日も予選リーグは何とか通過したが決勝トーナメント戦1回戦敗退に終わってしまった。

今日の会場は農試公園ペタンクコートなので、コートが硬くボールコントロールが難しい、特にポルテ投球に磨きをかけて練習を積んで来ていたので、最近はトウミポルテ投球もやっていなかった、豊平豊陵公園の硬いコートでのボールコントロールに手首を使ってバックスピン投球が身について来ていた、それが今回の競技会に裏目となる、雨でコートに水がたっぷり含んで来てボールが走らなくなってきていた、そこで咄嗟に投球の切り替えが出来なかったことが敗因に繋がったと、今日の反省材料となった。

組んでくれた、藤井氏に申し訳なかったと思っている、7月1日のむかわの競技会も彼との組み合わせで申し込んであるので今度は納得のゆく競技内容になればと思いも新たにしている。

何時になったら納得のゆくペタンクが身に付くか、80歳を目の前にしてこれだから残る歳月があるか、こちらの方が心配になる、明日の月曜日から好天が続くらしい、いよいよ花壇作りの総仕上げ週間になると思っている、園芸士の腕の見せ所で楽しくもあり忙しい一週間になる。
花壇つくりには、最高の雨で悪い事ばかりもないのが世の常だ。

雨の中の競技会でした

懐かしいガールフレンドと

2012年05月13日 19時32分48秒 | ペタンク・試合
ペタンクに出会ってから今年で25年になっている、遠い遠い昔のことのようでもあり、アッという間の歳月の様に思うこともある。
そんなペタンク人生を歩みだした創世期時代、ペタンクの練習場所を豊平川河川敷の左岸で幌平橋少し上流に、ペタンク会場として恰好な広場が存在していた、他のスポーツには少し狭すぎて利用価値が無かったのか近くの幼稚園が運動会会場として利用しているくらいで、何時も空いていたと覚えている。
問題は、自家用車の駐車場が無く有っても数台停まれるくらいのスペースしかなかったが、地下鉄駅から歩いてすぐの所で、少し参加者が多い大会では地下鉄を利用していたことを覚えている。

そんな創世期に、苗穂町の福岡氏がペタンク会場を通りかかった縁でペタンククラブ瑞穂が誕生した、札幌では古いクラブでその後の札幌ペタンクの良き存在となっていた、氏の敷地にビニールハウスでペタンクコートを作ってしまった、今はその福岡氏も旅立っている、息子さんがその後を継いでハウスは存続していたが、今はその息子さんも入院中、それでも福岡ペタンクコートは現存し活躍している、同時代に近くに住んでいた高橋文子さん、昭和4年生まれだから今年は83歳になっている、私が初めて逢った時も独り身だった、それからずう~と一人で居たはずだ、娘さんと組んで札幌市民大会で優勝もしている、そんな彼女と久しぶりに対戦した、当方は小学34年生頃からペタンクを教え、今年20歳のこの歳までペタンクを続けてくれていた藤井さん、で、正式な競技会で組んで出るのは初めてだった、幸運にもガールフレンドの高橋さんチームには勝ったが、やっぱり決勝トーナメント1回戦で敗退してしまった。

今日は、北海学園大学から2チーム北海道大学から2チームと、若い人達が加わって選手の平均年齢を下げてくれた、この学生たちへも今は先行投資で、彼らやには4.50歳が世界のトップ選手の年齢で、この辺に目標を置いて下さいと、事あることに説いている。

大学生奮闘中01


大学生奮闘中02



好敵手

2012年04月22日 20時04分28秒 | ペタンク・試合
札幌に全道規模のペタンク大会の北海道知事杯が開催されてから今年で22回目を数えてしまった、協会発足が二年前の1988年に発足し市民大会もこの年に始まっている、直ぐ後に続いたのがこの大会だが、道東の池田、美幌、むかわ、などは第1回目から参加して来ていた、札幌同様各地元で全道規模の大会をそれぞれ開催しているので、転戦してゆくのは自然の法則のようで、何時しか顔なじみも、それに好敵手も沢山現われてくる、その昔若々しい現役だった人たちも、リタイヤ組に入りめっきり白髪が増えてしまった壮年になってきている、時の流れを感じてしまう。
今だ、一度も勝っていない人もいる、個人戦でないのでそのうち強いチームに挟まって、何時か勝てやろうとこの歳になっても、挑戦する気迫だけは衰えない。
皆、20年以上の付き合いだがそれぞれ道及び地域のリーダー達だ、今日好敵手の中に新人が加わったしらおい協会のチームと対戦した、多分望月さんと思っているが、前夜祭で親しくなり今日の予選リーグの中の第三試合てぶっかった、中盤はリードされっぱなし、何とか9対9まで追いつき最後のワンメネー幸運にも勝てしまった、相手は全勝で来ていたので私達に負けても、この2チームは決勝リーグに勝ち上がった。

お昼を食べ終えると直ぐ負けてしまうと云うジンクスが我らのチームの定番だった、今日は第一試合は不戦勝になっていたので、ジンクスは破られたと思ったが、第二試合で池田のポアントールチームに完敗する。
今日も、ジンクスは生きていた。

今年は、近い所から安平、むかわ、北見、美幌、池田には遠征しなければと今からプランを練っているが、相棒がいないと実現出来ない。

今日のチームは、斉藤氏、藤井氏と私です。
ツーショット写真、懐かしい顔ばかり。


むかわ、中道氏

美幌、上杉氏

美幌、磯野氏

美幌松木氏

北見、滝口氏

池田、山根氏

道央園交流ペタンク大会

2012年02月19日 18時24分08秒 | ペタンク・試合
今年初めて第3回道央園交流大会に参加する、毎日のように豪雪のためJRが不通になったり国道が通行止めになる極寒の道央で、暖かい室内で結構な人達が集まってペタンクを楽しめる会場に、西区琴似地域にある土のコートのドームは、200万都市の札幌でもたった一か所しかない、残念だがその昔自前でビニールハウスを建ててペタンクをやっていたこともあるが、限られた大きさで1コートで限界だった、毎朝ビニールの屋根の雪下ろし、ハウスサイドの雪はねなどと管理に相当負担がかかっていた、此れでは練習は出来るが皆で集まり競技会までは発展することも出来なかった。

今日の交流大会で利用している、琴似のツインキャップ土コートは粘土質でボールが走ってしまい非常に難しいコートだが、ペタンクばかりでなく、多目的に野球、サッカー、テニス、ゲートボール、グランドゴルフ等の夏のスポーツの各団体も利用するので、ペタンクに都合の良い土質には出来ないのが良くわかる、特にペタンクはシニアが多いので平日の午前と午後に当てられ、土日祭日、ナイター時間にも入れてくれないので、まだ若い現役のペタンカーや学生等は冬の間練習場所を封じられている。
今日も、会場を三分割しテニス、野球、それにペタンクで、それでも60人の人達が競技会が出来るコートが出来あがり、真冬のペタンクとしては有り難いことです。

大会は札幌市内と此処から一番近い安平やむかわのペタンク仲間たちが来てくれる、今年で3回目になりリーグ戦後順位決定戦で勝っても負けても6試合戦える、名前の通りの交流大会で久しぶりに逢う人たちもいて楽しいところもある。

結果は、予選と決勝リーグとも各1勝しか出来ず最後は張りつめた緊張も切れてしまい、最後の試合は散々だった、トリプルスなので一人では如何しても勝てない所がある、なにせ4~5ヶ月ボールに触っていない人もいるので、仕方がないところです。
正味、6時間のペタンク三昧の日曜日でした。

21年目の知事杯ペタンク

2011年04月24日 14時43分12秒 | ペタンク・試合
1880年に札幌ペタンク協会を創設し、札幌市民大会が始まった、続いて北海道レベルの大会を考えて、1990年に道議の岩本允氏を通じて北海道知事杯創設にこぎつけた、それから2011年の今日、第21回大会が開催され私も新チームを編成し大会に参加した、私が運営していた頃から西区にある農試公園のツインキャップが会場になっていた、北海道では4月や5月の野外での大会は気象状況では、冒険だ。
この頃は、室内での大会が開催が一番望まれる所だが、どうやら最低の条件は早くから完備されていた、オープンした頃から利用料がもう少し安く設定して欲しいのと、土グランドにもう少し砂の割合が多くして欲しいと思っていた。
今日、新人二人を連れての参加でしたが、全道レベルの大会なので我がチームのレベルでは点数がまず取れないと思い、私が先行役をする作戦で、一戦二戦ともシャットアウトだけ避けられました、我がチームはペタンク歴1年2年生なので、実践を積ませる意味も含めての参加でしたので予選試合に何点取れるかが課題でした、予選最終戦は新人に先行を頼み、実践練習が出来たと思っています、最終戦も得点を上げられ初期の目的は果たしたなと思っています。

矢張り、本番の緊張しながらの試合経験は言葉で教えるより、ずう~と選手の実力アップに繫がると考えています。

5月の桜花杯や、6月の早来大会、むかわ大会に皆を誘おうと思っています。
久しぶりに、各地の懐かしい人達と再会しました。
大会風景01,02,03

大会風景04,05,06

新春ペタンク駒岡大会

2011年01月23日 16時27分34秒 | ペタンク・試合
12月から真駒内の地区会館を利用し月二回の、室内ペタンク練習会を開いていた、狭い私の車に定員一杯の5名乗り込み出かけた、全員創造学園の同級生、この三月に二年間の学生生活も終ってしまうが、ようやく皆の顔と名前が判るようになっている、特にペタンククラブに入っている人たちは、ペタンクを通して性格まで判るようになっている。
多分、このまま動けなくなるまで友達付き合いが出来る人たちと思っている。

早々と、10時前についてしまい駐車場のアスファルトの上で持っていったポッチャーボールを使って、作戦戦略の講習をやっていた。
10時頃になり、ようやくそれなりの人員が集結する、なんとスポンサーが付いたので急遽競技会になった、チーム作りは変則で2名チーム3名チームの6チームのリーグ戦方式で決着をすることになる。

10時過ぎてから始まり、昼ご飯時間は30分で総当り5試合を15時30分で戦い終えた、チーム作りは適当に作った感があるが、結構楽しい試合が展開されていたと思う、私もダブルス組で斉藤氏と組んで戦ったが、どうも私が手ほどきした人達との戦いになると如何しても厳しい精神状態にはなりきれず、成績は2勝3敗で終りました。
それでも、楽しいペタンク競技会であったと、皆さんの今後に期待が持てると思いました。

優勝はお米でした、滅多に出てこないはまなす自治会の前田、大林組が獲得しました。
おめでとうございます。

 前田氏
 中村氏
 激戦
 激戦
 戦い終わって

第2回創造学園ペタンククラブ大会終る

2010年11月05日 14時33分44秒 | ペタンク・試合
10月中過ぎ、今年は早々と市内でも初雪があり一面雪に閉ざされてしまった、南区の藤野辺りでは数十センチも積もり驚かされたと思っている、その雪で果樹園は木々が葉を落としていなかったので、その上に雪が積もり、ひどく枝が折れる被害が出たと聞いている。
それでも、11月は暖かい月になると聞いていたので、本格的な冬の到来はまだまだ先のことと、たかをくくっていた、11月3日に組まれていた競技会は、月が替わってから長い秋雨に悩まされた、とうとう3日は雨で中止し、この日を逃がしたらもう出来ないと、今日決行していた。
試合が始まる頃には、太陽が時々覗くようになり、参加した人たちをチーム力が平均するようにチームつくりをする、あとはその日にそのチームで特別活躍する人が現れるものです、其処が優勝してしまうのは仕方がない。
ただ、この大会は親睦と交流が目的、夏の第1回大会と今日の2回大会で、皆の中が急速に接近したと思っている、ペタンクの技術は、ほぼ始まったばかりの人達、最後は同じ条件ならハートを持っているチームが試合の流れをリードしてゆく、・・・・どんなに隠しても各自の性格が試合の中に知らず知らず、露出してくる、それを見ているだけでペタンクは面白いスポーツであり、又恐ろしい競技だと言うことも判って来る。

野外でのペタンクも今日が最後だった、札幌でも週明けには寒気団が南下しいよいよ寒さが身にしむ季節になると思う、ぺタンク同好会も12月頃から室内での練習会に切り替えて続けて行きたいと計画を練っている。

 優勝チームを囲んで
 優勝チーム
 二位チーム
 三位チーム
 試合中01
 試合中02

創造学園クラブ杯ペタンク大会

2010年08月25日 14時47分05秒 | ペタンク・試合
シニア大學の創造学園、二年目にして漸く正式にペタンククラブの誕生と第1回大会が本日開催された、学園はまだ夏休み期間中で二学期は9月7日から始まる事になっている、本当なら昨日の24日に開催する予定にしていたが、天候の都合で今日に順延してきた、心配していたが参加予定者は全員来てくれた。
何日か前から試行錯誤の上、トリプルスの4チームリーグ戦で行うと、試合数も三試合で終る、あとは得失差で順位を決めればと、予めこの方法を考えていた。
チームのキャプテンの四名を決めて、力の弱いチームから残りのチームメイトを選ぶと言う方法、丁度野球のドラフト会議並の方法で、チーム力の均一を図った、無論私もキャプテンでチームを受け持ったが、あくまでも最初の三チームがトラフト順並みに選手を獲得して行き、残った選手を私が引き受ける形で、まずまず均等した各チームが出来上がったと思った、親睦大会なのでこの方法はなかなか良い方法と自画自賛していた。

10時試合開始だったが、各チームが揃ったので少し早めに第1試合が始まった、試合総数が三試合で終るので表彰式は13時と予想を立てていた。
第1試合は接戦の上、負けてしまったが第2試合は接戦したが勝ってしまう、最後の第3試合は私達が勝ったというより、相手が自滅した感がある、私の力を過大評価したのと、頑張りすぎてオンゴールの様な場面が三回ほどあり、これが勝敗の流れを決定してしまった、そう、この最後の試合で私達が優勝し相手チームが準優勝と言う結果になってしまった。
こんな楽しい、親睦大会は久しぶりに味わいました。
持ち回りのカップに、第1回大会チームの三人の名前が書き込まれた、今年で学園は卒業するがペタンククラブは存続してゆく、今後後輩たちもクラブに入ってくる事を期待していると共に2回3回と回を重ねることを心より願っている。

仔細は、ブックマークのペタンククラブ創造学園に記載しました。