ペタンク爺さん

ペタンクで遊ぼうよ!で20年

〆サバ作りとスイーツ

2014年02月28日 17時35分17秒 | ペタンク爺さんの一日
最近は魚離れが進んでいる、第一生魚一匹買ってきても下ろすことが出来ない家庭が殆んどと思う、魚をさばく出刃包丁を用意している所が少ないと思う、スパーに行くと魚売りコーナーで綺麗に並んだパック詰めが殆んどで下処理をした同じ魚を売り場に並べている、それを買い物かごに入れていると思う。
レシピはネットや料理本から得ている、売り人と買う人が言葉を交わすことは無い、少し前まであった普通の市場では個人商店が並んだ市場なので店によっては大きな声を張り上げお客を呼び込んでいた、その代表が魚屋さんで威勢の良さで魚が生きが良いと思えるほどだった。
今は昔の市場は殆んど見られなくなった、寂しい限りで大手スパーに打って変られてしまっている、我が家の買い物のエリアの中に隣の区の清田にJA清田が未だ頑張って営業している、春から秋にかけて近くのJA農家から地産野菜や果物が入荷し一般的なスパート毛色が違うことが判る、春の園芸季節はやっぱり地元農家の商品が並べられ他と違った雰囲気を醸し出している。
農業関係だけかと思うと、この店の中に個人商店みたいな魚屋さんが入っていて一部対面販売コーナーが設けられていて、気安く店の親父とかカーさんに話しかけ魚を買い続けている。
今日久しぶりに何か魚をとJA清田に出向く、今時生魚は本鱒が旬なのだがスパーなどで見るとサイズが年々小さくなっているのが気になっていた、取れていないのだと想像でき、値段を見ると結構な値が漬けられていた、こんな時はJA清田には入荷は無理と思っている、他に最近話題になっているゴッコが有ったので食べ方を聞いたら鍋で正油味とのこと、昔夜釣りの鱧釣りでこの魚が掛かって来ていたが持ち帰ることなく捨てていた魚だった、食べる所まで考えられず、八戸産の青み魚の生鯖250円を2匹買ってくる、無論店で魚を三枚に下ろしてもらってのこと、早速〆サバに加工する、此れで2回ほど楽しめると思っている。
ついでに、冷凍食品で売っている珍しいスペイン定番スイーツのチュロースを作る。

最初は塩を振るだけ
珍しいスペイン定番スイーツを作る

お昼はダッチオーブンで馬鈴薯(男爵いも)の焼いもでした。

今日は定期検診

2014年02月27日 19時45分48秒 | ペタンク爺さんの一日
胃癌手術後間もなく一年を向える奇遇はしていたが実際現実にぷつかって見ると逃げる所がないのに気づかされる、簡単にこの齢まで生かされてきたのだからここ等が私の人生の終幕かなと脳裏を掠める、生物最大の遺伝子の伝達はとうに終わっているそれだけでいいと思うか現在も生かされているのは何か意味があるのだろうかと思わされている。
今からでも実現できそうな夢は有るにはあるが、若い時の様なパワーはもうない、ただ夢に終わるだけかと思いつつもテンポは遅いがチャレンジし続けることこそ大事なのかと思い改めることにしている。

今日三週間ぶりに定期検診が有った、検査では血小板が少ないだけで他は正常に戻って来ていた、抗がん剤治療の飲み薬もあと二ヶ月で終わりますと告げられ、抗がん剤の他今日からビタミン剤を飲むことになった。
今から抗がん剤が終わる5月を今から楽しみに待ち望んでいる。

4月13日に当自治会の総会開催日が決まった、例年同じころで其れに向って現在準備を進めている総務なので会の中心になっているので全方位外交を転換中で情報をまとめ参考材料にしている。
自治会の役員は出来れば生涯現役で終わりたいと思っている。

サンルーム28度超える

2014年02月26日 20時22分58秒 | ペタンク爺さんの一日
太陽の季節が近づいて来た、日中の気温がプラスの日が続くようになった、太陽がベランダの中へ温かいエネルギーを惜しげもなく降り注ぎビニール一枚の仮設サンルームの中も一気に温度が上昇する、10時にまだ間が有ったが温度計は摂氏28度を超え29度に届きそうだった、久しぶりに橇工房になったサンルームはほんの短い時間だったが初夏をを通り過ぎて真夏並みの暑さになっていた。
今日は暫く使わないでいたスノーボードハーフをボデーボードに改造する、一緒に先日フェステバルで使って壊された子供橇も修理する、間もなく春休みが来るので月寒公園に何日か通ってコース作りのテストも考えている、豊平区から来年もスノーパークを継続すると知らせてきた、現在使っているそり山は今年から公園改造の工事現場になるので使えなくなるのだが、公園は広いので何処か場所を変えても継続イベントと考えているらしい。
少し具体的になってから如何するか態度を決めなければと思っている。

暫く間が開いたお米の買い入れ今はタニタの金芽米の5キロ袋を買っているが今日届く、暫くは玄米を買い精米をして食べていたがタニタのお米を買いだしてから今はタニタ党になっている。
心変わりするのは庶民の出来る細やかな主張なのだ。

朝食がご飯になってお腹の具合も正常に戻ってきていた、どうも朝の納豆がお腹に優しいのか通じも順調に推移している、お昼はうどんか蕎麦だったが一時期テレビで宣伝していた即席ラーメンを各メーカーごと食べつくした、とれを食べても似たり寄ったり製造方法が一ランク上がったのは確認できた、近頃は「蒸かす」料理も加わり手軽に出来るので馬鈴薯とさつま芋を蒸かして食べるようになっていた、昨日はダッチオーブンを使いさつま芋の焼いもを昼食にした、今日は馬鈴薯の男爵イモを蒸かし定番のバターと烏賊の塩辛で食べる、美味かった。

食べれる喜びを本当に有り難く思っている。

タニタのお取り寄せお米
ボデーボード完成
久しぶりの橇工房がオープン

お昼は男爵イモに定番バターと烏賊の塩辛で

雪置き場が有る団地

2014年02月25日 18時11分47秒 | ペタンク爺さんの一日
我が団地の自冶会は五階建ての1号棟と2号棟で組織されている、その昔此の地域には煉瓦工場が点在していたと聞く師団もあり兵舎があり、月寒公園辺りは演習場にもなっていたと聞く、戦後今月寒体育館のあたりは競輪場に、それに樺太から引き揚げて来た人たちの居住するようになり沢山の平屋の市営住宅が建てられた地域だった、その頃はまだ私はこの地に住んでいなかったが地域の様子は記憶に残っている。
札幌オリンピックを境にこの地域も大きく変わり出し、沢山あった市営住宅が5階建ての2LDKが中心のマンションに建て替えられていった、その建て替えられたマンションに現在住んでいるがもうそろそろ建て替え時期が来ているらしく、近々古い方から高層マンションになると聞いている。
ただ、現在住んでいる所までには私の寿命は尽きていると思うので心配はしていない。

今年も、定例の総会が開催されるが総会日と役員会議の日程も決め会場も確保された、一番心配していた人事の件も目鼻が立ち総務としてはほっとしている。
数日前から一気に春の様子に変わり出した、雪さえ降らなければ太陽のエネルギーで雪は解けて行くだけだ、今日も我が団地の小型バケットが動きだし玄関わきの窓下の雪を排雪し始めた、念願だった玄関先はもとより最近はダンプで雪の移動作業は皆無となっしまった。
高齢化が進んで市営住宅には、この冬の雪対策が最大の難問だったが自冶会役員の中にたった一人の若い世代の人が入ってきたお蔭で難問を解決出来たことは最高の喜びに感じている。

お蔭で、玄関側と駐車場はアスファルトが顔を出すほど綺麗になっている、それに引き替え此方の雪が団地裏の公園に移動され高さは一階がすっぽり埋まるほどの雪山になっている、この雪も花壇つくりが始まる5月連休頃にはすっかり姿を消している。
さくらとライラックの木の芽が何となく膨らんでいるように見えた。

雪で埋もれる団地裏公園側
遊具も雪に埋もれて
大活躍中のバケット
玄関前はすっきりと
駐車場はアスファルトも顔を出す

今日はダブルヘッター

2014年02月24日 20時12分10秒 | ペタンク爺さんの一日
明け方の2時頃までソチオリンピック閉会式を見ていた、期待していたアルペンのスラロームの一本目が日本代表の湯浅と佐々木選手が30番以内に付けていたので、彼らが今回に限り何かを持っていれば銅メダル辺りに手が届くかも悪くても6位入賞くらいはどちらかが果たしてくれる希望的観測をしながら見守っていたが、何れも此のオリンピックでは出番がなかった、反省する所が沢山あると思うが彼らに続く若いアスリートが育っていなかったとの一言に尽きると思う、選手強化に国を挙げて取り組まなければ選手は強くならない特にジュニアの強化には義務教育中の小学6年間と中学3年間の9年制の一貫教育として、幾つかの専門部門の体育を中心にした専門学校を作り施設も充実させると共に、5年生くらいから中学の五年間は全寮制にする。
このジュニアの5年間て個人個人の能力も判って来るので、ここで選ばれた者だけを全日本のジュニア強化選手に指定し沢山のチャンスの場を提供する、その後一般強化選手になれるかは本人のそれからの努力と素質になってゆくと思う。
アジュニアスリート候補達は専門スポーツ分野は無論のこと、一般教養に外国遠征でもコミニュケーションが出来るように英語又は(その他の外国語)をマスターを必修科目に入れなければ。
沢山あるスポーツをどれくらいにまとめい行くか、難問もあるが出来る所からスタートしてはと細やかな提言です。

10時から最も低レベルのカーリングサニーリーグの試合が有った、さっぽろ健康スポーツ財団の肝いりで出来た普及活動の一環で始まったリーグもこの三月いっぱいで終了する、ストーンを一度もさわったことがない人達が集まってできたカーリングチームで年齢性別もバラバラのリーグ現在は5回大会の最中で、前回は黒星に悔やんだが今日は滑り出しから加点を繰り返し、終わってみれば7対1の圧勝に終わった、相手チームは外見は圧倒的に若い男性チームだったが人は見かけによらないのかなと思うだけです。

午後3時30分から北沢ダンススクールのワンレッスンに行ってくる、この時だけは社交ダンスモードになりきっている。・・・・これでいいのだ。(ブルース、マンボ、ジルバ)

此れで相手はギブアップ
馴致に加点を続ける

「ウインタースポーツフェスティバル」2014

2014年02月23日 20時08分48秒 | ペタンク爺さんの一日
Winter Festival 2014が昨日と今日の二日間で開催された2月に開催されていた雪祭りの雪を利用し、子供達を対象にしたウインタースポーツのフェステバル、も気が付いたのは昨年だったが終わっていたので実際見ていなかった。
朝から天気が良かった、今週から気温も高くなると共に雪だるまのマークが週間予報からも消えていた、間もなく三月に入るソチのオリンピックも明日は閉会式、メダル獲得数は多かったが金メタルが一個とは少し寂しいがオリンピックだけは、実力だけでは金メダルは取れない、何よりもその人の幸運が最大の条件で金銀銅が決まってしまう様に思えてしまう。
本当は、午前中に行ってお昼を済まして直ぐ帰ってくるつもりでいたが、朝から体が重かった2週間の抗がん剤を飲みだしてから10日を過ぎた頃なので加圧パンツを穿いているいる感じで厳しい試練が続く。
「ウインタースポーツフェスティバル」会場は大通り6.7丁目で開かれていた、大通りに近づくに従い幼児連れの家族が増え出し公園の中は家族連れで溢れている感じだった。
何といってもお天気が良いのがイベントを成功させる第一条件、それを簡単にクリアーしているので人が集まってくるのは必然の事だ。
ソチのオリンピックのこともあり、小さな子供達にもウインタースポーツに関わってくるきっかけになればと思わずにはいられない、記録動画を撮りおさめる、今後参考になればとと思いつつ。

主催は実行委員会を組織し、さっぽろ健康スポーツ財団、札幌市公園緑化協会、北海道放送、札幌市だった。
お昼は遅くなったがやっぱり海老天の天丼650円で締めくくる、帰路は同じ距離なのだが遠い道のりに感じられ時々お休みしながら帰ってきた。

バイアスロン
ボブスレー
スノボー

海老天天丼650円

ウインタースポーツフェステバル

南の島から嬉しい特産たんかん

2014年02月22日 19時25分12秒 | ペタンク爺さんの一日
沖縄那覇にに住む末の妹夫婦の所から今年も奄美特産完熟たんかんが送られてきた、蓋を開けると春を通り過ぎ初夏の香りが箱の中から居間いっぱいに広がった、ベランダの外は雪山で埋まっているが雪山の上から太陽が居間の中まで差し込み南から届いた果物を温かく包み込んでいた。
早速携帯で遠い沖縄まで電話する、最近は固定電話は受けるだけになっている、電話の向こうの妹の声もまだまだ元気そうだ家族もほとんど北のはずれから今は南のはずの住人になってしまっていた。
みんな元気で居るとのこと、毎日降雪で苦労しいいると云うと、沖縄に来なさいと云っていたがそう簡単には変化させられない年齢に達しているので、簡単に話に乗るなどと夢のまた夢でしかない。

厳しい厳冬の雪の中の生活から解放される5月、もうすぐやってくる、あと60日ほどの辛抱で春を迎える北国人の特権、この時の喜びは経験したことがないと味わえない感覚です。
今年も5月連休前後あたりからの春山山菜採りを今から胸をワクワクしながら待っている。
春山の楽しさを一人でも多く経験させたいとプラン組み立てにも余念がない。

今日は土曜日だったが、月寒スケート場のスケートトレーニングで少し滑れるようになって来ていたので、混むのを承知で出かけて行く案の定リンクは小学生や若い男女で芋洗いの状態だった、それでも折角来たからと20分ほど雑踏の中のスケーテングを楽しむと云う所まで行かないが熟してくる。

明日は最終日になった、大通り公園で開催中の大通公園「ウインタースポーツフェスティバル」の取材に行ってこようと思っている、雪祭りの後の雪を利用して出来たイベントで実際この目で見て見なければと、記録動画も予定している。

たんかん一箱

町内会のシンボルサイロと太陽と雲の風景

大通公園ウインタースポーツフェスティバル、昨年の写真を無断借用

昭和任侠の世界が見える山鼻屯田

2014年02月21日 20時26分08秒 | ペタンク爺さんの一日
我が家には北ガスが入っていて、入居と同時に風呂のセットをリース契約がセットになっていた、入居したての時は内風呂を重宝して使っていたが齢がかさむと負担が大きくなり、直ぐ近くにある銭湯月見湯の常連客になって行った、回数券4,000円を買うと10回券に一枚余分に付いてくるので360円で入浴できる。
銭湯以外に、日帰り温泉があるが何処に行くにも同じくらいの距離に位置しどうしてもお神輿が重くなるのが滅多に行かなくなっているが、久しぶりにススキの近くにある山鼻屯田湯に出かける、朝から雪が降りしきるなか自冶会のリースバケットがしきりなしに駐車場の除雪と排雪を続けていた。

山鼻屯田湯に着くと、玄関前に大きな車が駐車しており運転席を見ると誰も乗っていなかった、ここでこんな大胆な行動をする人種と云えば直ぐ見当つく、ヤーさん(ヤクザ)のお兄さんたちで市内の銭湯では入浴を断られているがこの山鼻屯田湯はどう云う事情があるのか、出入り自由で全身に刺青が入った男たちで風呂の一部を占領する。
滅多に来ないのに良くバッテングしていて、先日は親分らしき人に4人が付き人で世話をしていた。
今日の親分は、若衆が二人だったが見た目は優しそうな子分に見えていた。
兎に角、この山鼻屯田湯の一番風呂にくるとお逢い出来る確立が高いと思っている。

銭湯営業中に温泉を掘り当て、施設は銭湯そのもののままお湯だけが温泉に、其れを温泉料金にしないで銭湯料金で入浴させている粋な経営者でヤクザの入浴もお構いなしとは、昔からの土地柄とと思っている。

先立った亡妻の幼児期の古里がこのすぐ近くと生前聞いていた、東本願寺は今でもあるが映画館のメトキ館は相当前に廃業している、まだ微かに昔の面影が残る山鼻屯田地域だ。・・・・もうヤクザの出入りの話は聞かない。

銭湯の必需品

今日もスケート場へ

除雪排雪バケット活躍中
除雪排雪バケット活躍中02

札幌オリンピック残像

2014年02月20日 20時18分28秒 | ペタンク爺さんの一日
我が家の目と鼻の先に月寒体育館が存在する、地下鉄月寒中央8丁目駅を降りると体育館の屋根も見えてくる、次の駅が終点の福住で今は札幌ドームが出来ていてプロ野球の日ハムの本拠地にもなっている、今はJ2になっていサッカーコンサドーレのホームベースでもあるが、昨年はどちらも良い成績を上げられなかった。
野球は、スパースターのガルビスが居た時が華だった、次に斉藤を確保したが名声と実力が伴わなかった、栗山監督の籤運がいいのか昨年は大谷選手を引き当てるなど何か持っている栗山監督なのだが、今年はどうなる事やら。
コンサドーレも今年あたりJ1に昇格しないと札幌市民から見離されるかもと心配している。
どちらも、シーズンに入っていて開幕まで雪のない所でトレーニングや練習試合を重ねていると思う、それにしても札幌市内の春めきかたが遅く感じられるのは先の短くなったせいかと思っている。

野外の雪の中で気軽に出来るトレーニングと云っても、それ相当の準備とお天気次第で決められてしまう、今年くらい気候が安定しないのと体力不足を実感しているので、例年の様な橇滑りを殆んどやっていない。
せめて、3月に入ると山も春めいてくるので今年は三月から動き出そうとトレーニング方法を考えていたが、直ぐ近くに札幌オリンピック時ホッケー試合会場となった月寒体育館(スケート場)の利用を思いだし数日前から氷の上に立った、驚いたことに何かに掴まなければ立っていられなかった、それほど身体能力が衰えているのに改めて驚かされた、週四日をスケートに当てて今日で三日目になったが昨日は狭いリンクの中を5周くらいでギブアップしていたが、急速に元の感覚を取り戻し今日は20周ほど滑りまくったが余力が残っていたが思いきり切り上げる。
入場料が140円なので本当に安い、1日いても同じなのだが入って出てくるまで30分ほどだった、オリンピックのせいか小さな女の子が目立つリンクだった。

雪に埋もれて
札幌オリンピック残像



見えてき来た月寒公園インホメーションセンター

2014年02月19日 21時39分21秒 | ペタンク爺さんの一日
昨夜第2回パークライフセンター意見交換会があった、数日前から日本列島を寒波が直撃し交通機関や国道でさえ全面ストップしたり道路に閉じ込められたドライバーの救出で自衛隊まで出動するに至ったいた、その寒波が北海道まで北上し道東海上で停滞していた、道東の町々にも大きな被害が出ていた物流がストップする状態に経済活動まで停滞していた。
最近は歩いて5分の銭湯月見湯に出かけるのも自家車を動かしていた、昨日の吹雪が残る夜の会議にマイカーを出せばいいのたがだが、雪山が迫る狭い夜道は運転は難しくなっていたので、万一を考え防寒具で身を固め20分ほど歩いた、会議会場は月寒公民館の研修室で何かにつけて利用してる会場です。
雪が消える4月頃から月寒公園のボート池付近と坂下野球場の改修工事に取り掛かると思っている、昨年プレハブで仮管理センターがオープンしていたが、今年も建つ予定になっている。
同じような所に、いよいよ本格的なパークライフセンターが建設される、これまでの会議の中でもセンターの利用方法や外観内部などで希望を取り込んでもらいながら事は進んでいた。
昨夜はそれらの希望を取り入れた建物の模型を用意していた、具体的に示されるとさらに使い勝手の良いものをと欲が出るのは仕方がないが、市の予算があるので希望通りとは難しい。

昨夜も、出来そうな改良も出てきたりしながらまずまずの案が纏まったと思っている。
センターの大きさは、26M×10Mの大きさで屋根は無落雪仕立てと本館に添って3M程のステージを確保し屋根だけを延ばす。
本館に入らなくてもテーブルと椅子が設置されてるので誰でも利用できる空間にする。

センターには、札幌市からの指定業者がは入り、市民会議が出来あがる(現在は月寒公園フアンクラブ)が公園を利用する一般市民のサポート役を引き受ける組織となると思っている。

6月には、高台野球場裏に18ホールのパークゴルフ場と駐車場(100台)もオープンする。

センター内部案
見取り図

お昼はやぶ惣で
かけそば630円

朝までテレビでジャンプ観戦

2014年02月18日 14時29分42秒 | ペタンク爺さんの一日
葛西君の生き様にすっかり感銘を受けてしまった、良く諦めずに続けられたものだとつくづく思いを新たにした、習い事初めは幼稚園児から始め30歳を過ぎたら引退パターンでスポーツ界はここからは指導者としての道しかないと思っていた。
私の人生を振り返り40歳頃の自分を見つめてみるが、此のころはアルペンスキーをやっている二人の子供達の環境作りとサポート役に徹していた時期で、藻岩レーシングのコーチ役でいる人達は国体スキーへの参加がひとつの大きな目標で、国体の組別の中に昔は教員組もあり男女とも女子は24歳以上男子34歳以上の組も備わっていて、指導者達にも国体に加わることが出来る枠組みがあり、現在でも続いている。
アスリート達は、全国中学、インターハイ、この上はもう全日本選手権が目標になりここ等で全日本強化選手に加えられなければ、もうこの先のアスリートとしての道は無い。
指定選手でもランク分けされていて、国が費用の全額を補てんする数少ない選手、半額を補てんの選手、全額個人負担の選手があり、国の他企業がバックアップしたりスポーツ用品メーカーがバックアップしたりするが、毎年全国一の選手が誕生するがバックアップする側も10年20年に一人現われるスパースターを探す為、全国的規模で各地域のジュニア選手の発掘にしのぎを削っているのが現状だった。
藻岩レーシングクラブからもワールドカップやオリンピックに参加する選手も輩出されたが、ライバルの多い男子組に混じって強くなって行った女子の選手だった。
残念ながら、日本のアルペン選手レベルではヨーロッパ強国と渡り合える力は無かった、現在でもアルペン界は猪谷千春の銀メダルしか取れていない、ただ純ジャンプは札幌オリンピックで花が咲いた、レベルも世界に追い付いた、ジャンプの入る複合も世界のトップグループと肩を並べられる所まで来た。
ただウインタースポーツは此れだけでない、多岐にわたる選手強化が必要だが個人で出来るのは中学生までが現状だ、結構お金がかかるのもスポーツでもある。
矢張り国が豊かでないとスポーツ文化も発展して行かない現実がある。

日曜日の第8回「とよひらおもしろスノーパーク」を編集しアップする、まだまだVideopadを使いこなしていない。

団体銅メダル
ボブスレー二人乗り決勝に出られず


 「とよひらおもしろスノーパーク」



ウインタースポーツ賛歌

2014年02月17日 22時01分08秒 | ペタンク爺さんの一日
自らウインタースポーツには深く関わる過去がある、何といっても札幌オリンピックが決まった辺りから深く関わるきっかけとなったと思う、その頃は円山地域に住んでいたが我が子も小さかったので円山動物園近くの山裾で雪遊びをしていた、少し離れた荒山は近くの小学校のスキー授業にも使われていて当時は小さいながらスキーのメッカだった、荒山そのものにも子供達の為のジャンプ台があって競技会も多多開催されていた、荒山の裏側は改修前の大倉山ジャンプ台があり、大通り20丁目の我が家から徒歩で見学に行っていた。
その頃は、住宅地がそれほど迫っていなかったのでその辺の沢にで子供達をつれザルガニ獲りをしていた、長閑な札幌だった、アルペンスキーに取りつかれたのも円山地域の山だった荒山のほか西町スロープとか、少し離れた旭山公園などが我が家のウインタースポーツエリアだった、この辺は歩いて行けるところで我が子二人とも小学生の年代だった。
長男が中学生になった辺りから、我が家のウインタースポーツのエリアも一気に広がっていった、最初はリフトも無いスキー場だったが、同じ中央区の盤溪スキー場オープン、コバランドスキー場と施設の環境も整った時代で、我が家のスキーチームも円山だけで収まらず親子三人で少し離れた手稲山の千尺スキー場に通い詰めるようになる、ナイター練習も此のころから始まっていた。

当時、札幌スキー連盟のジュニア選手強化のトップが安達先生で、冬休み春休みには手稲山でジュニアの為のスキー大学を開校していた、長男はこのグループに加わり力をつけて行ったアジアスキーを履くようになったのも此のころだった。
この辺で国士舘大学を出た土井一之氏との出会いがあり、企業の中にスキー部を創設して一気に藻岩スキー場の平日パトロール隊へ編入していった。
其れがきっかけとなり、黒岳夏山合宿を皮きりに藻岩レーシングクラブを藻岩スキー場に創設した、此のころは土井氏とは一心同体で組織作りや運営の中心となって行った経緯が有った。

彼と出会いが無かったら、人生も大分変っていたと思っている。

札幌もとうとう吹雪に、昨日の今日でなくて良かったと幸運を喜んでいる。
動画編集は今日もも出来ず、今夜も深夜観戦頑張るか。

玄関先もこの通り

ウインタースポーツ賛歌

冬期月寒フアンクラブ活動

2014年02月16日 20時07分03秒 | ペタンク爺さんの一日
昨年に引き続き「とよひらおもしろスノーパーク」に橇(そり)部門での参加を果たした、前出が5日間で、今日は朝8時には月寒公園の坂下野球場臨時駐車場に入った、心配していた大雪が無かったが粉雪が舞う空模様、数日前から予報は曇り時々雪と報じられていたが出来れば曇りだけで終わってくれればと思うだけで、自然相手の野外活動では何時も一喜一憂する。
昨年も、創造学園同期生の5人が参加していたが今年は同期会の会長まで引きづり込んだ、参加団体名も月寒公園フアンクラブとしての活動の一環で、今年のイベントは10月に終わっていたが橇爺さんの関係もあり今年も豊平区主催の「とよひらおもしろスノーパーク」に加わった。

10時にイベント開会式から始まり、雪合戦から、雪だるま作りチューブ滑り、その他各種のゲーム大会、商店街コーナー、物産展、ぬいぐるみも、日ハム、コンサドーレー、雪だるま、豊平区のこりんとめーたん、テレビ局のONTBも加わり賑やかだった。
橇コーナーでは、青空手作りそり教室と作った橇や用意してある橇でコースを滑り、滑った子供達に今年はオリンピック最中なので大学生が作ったメダルが貰える楽しさも加わった、午前は札大生が担当午後は北海学園大が担当し、教室を盛り上げた。
最後は、札大学園大対抗橇大会で最後の橇イベントを盛り上げた、今年も札大が優勝してしまった、最後の最後に大会に参加した選手全員にペタンク爺さんが作った橇を子供達に寄贈する、大喜びで持ち帰る子供達を見ていると今までの苦労がいっぺんに飛んで行った。

今年作った橇35台のうち、壊れた橇は5台だけだった。

久しぶりに栄光の藻岩レーシングクラブのコーチ専用のウエア―を着込んだ、動かないコーチングスタッフの為にとダウンの上下で、このウエアーを見ると土井一之氏との楽しかった長い物語が思い出されてくる。
最近は、年賀状だけの付き合いになっているが、旧交を温めたいと思っているが?

今回も動画を撮りためているので編集して公開しようと思っている。

スノーパーク始まる





藻岩レーシングコーチングスタッフウエアーを着込む

70.80 働き盛り

2014年02月15日 19時53分51秒 | 橇爺(そりじい)モード
昨年3月に胃癌摘出手術で胃の四分の三を取られたしまった、4月には退院していたが抗がん剤治療がが続き5月6月は一日5食と本当に病人に仕立てられていた、8月頃までには食事も一日3回に戻り先行きの回復に希望も湧いてきたのも此のころだったが、時折スパーに買い物で付いて行ってもカートに掴まり非力を隠して動いていた。

何といっても同世代の三浦雄一郎さんがエベレスト登山を80歳で達成したことはが、下山にヘリを使ったとは云え快挙であることは間違いない、80歳にならなければ体験できないその年齢の体力の限界に私も実際ぶつかりその上に胃癌手術でハンデーを背負っての体力回復は、何といっても食べて力を付けるのが一番だと思うが、その食生活を支えてくれたのは長年病院の賄いをやってきた妹の存在が最大の支援者と心から感謝している。

昨年2月に月寒公園冬のイベント「とよひらおもしろスノーパーク」に手作りそりと競技大会を企画し手弁当で参加した、橇爺一人に大学生ボランテアも加わり立派なイベントが出来上がった、当日の運営は学生らに任せ私は専ら写真や動画撮りをしてネットにアップし記録を残した。

今年は、年寄り半日仕事(4時間)も無理と考え、準備を五日前から始めていた同じ年寄り半日仕事でも私は(2時間)を一日の作業時間としてやっと一人前の仕事を達成したと思っている。
今日を入れて10時間が今年の私の前出の作業時間で、今年もようやく間に合ったと嬉しさもひとしお、今日は9時から12時くらいが作業時間で橇爺の手持ち橇10台を持ち込んだ札大、学園大のスタッフも加わり出来たばかりのコースの試走をしてもらう、残念だが子供達と違ってそりの滑り方を知らない大学生ばかりで、橇爺の手ほどきで滑り方を理解している大学生だ。

本当に残念だったこと、10台持ち込んだ橇の3号が行方不明になった、探し回ったが見つからずその気で狙われたら防ぎようがないと思った、無償で作り方も伝授する事にしているので橇爺に声を掛けてください。

今年の前出の主役は橇爺遠藤(80)本間氏(73)です。

前出ほぼ終わる
試走が続く

橇コーナ完成

前出四日目に

2014年02月14日 18時26分41秒 | 橇爺(そりじい)モード
朝から晴れ上がっていた、久しぶりの青空に気持ちも晴れやかに連日半日(2時間)仕事が続いているが短時間で切り上げているので今の所疲れが出て来ていない。
今日は一人だったので、9時には家を出ていた月寒公園の南側山側から公園ギリギリまで入り込んでいる市道の突き当りに数台停めれる駐車スペースがあり何時もここを利用することが多いが、この近くの住民の専用となっていたり、昨年はこの場所に車を置きっぱなしにして寝泊まりしている様な車もあった、こうなると宿無し住人で移動は車から自転車を出して生活していた様子もあった、とうとう今年の冬はその車も姿を消していた。

今日も此の駐車スペースに車を置き、そりコーススペースまで折りたたみ橇に資材を積んで入る、今日は早くからボランティアの学生グループが来ていたが彼らからコンタクトを取って来るのをじっと待っていた、大学1、2年生なので20歳前後の男女なので未だ大人になり切っていない時期でないかと自分を振り返って見つめていた。
若者は沢山のアイデアを考え出してくるが実行できるか机上だけでのプランは実現するまでには自分たちでやって見なければならない、どんな材料がいるか自分たちだけで調達できるか、工具備品の用意が出来るか多岐にわたり心を配らなければならない、プランを立てたら人の動かし方も考えねばならない、人ばかり集まっても事はスムーズに動かない、経験してみて世の中の仕組みもだんだんわかってくると思う。
私は、若者の考えアイデアは頭から駄目とは云いたくない、考えたことを自分でやって見る経験が財産として身について行くと共に改良して良いものが出来あがってくる、年寄りは沢山の経験を積んで来てて初めから無駄と思うことは極力避け少ない動力で物事を決めて行っている。
其れを若者達に継承するのも大事な仕事と、それなりの努力が必要とも判っている。

明日はフアンクラブの男たち三名が朝9時過ぎには勢ぞろいする、前出最終日で札大、学園大ボランイィア全員と区の橇関係者も集り最後の準備が始まることになっている。
準備は明日一日、午後2時頃にはフアンクラブは切り上げる事にしている。

連日賑わう月寒公園そり山

そりコースもほぼ完成
大学生も活躍

三時のおやつです