ペタンク爺さん

ペタンクで遊ぼうよ!で20年

おせちもとうとう本番に

2014年12月30日 20時58分40秒 | ペタンク爺さんの一日
二、三日前から風邪がうつつたと云っていた妹がとうとう今朝は起きてこなかった、女性は概して辛抱強く多少の風邪の前兆などで根をあげない女房もそうだったと、すぐタイムスリップしてしまう。
いよいよ明日は大晦日妹に替わっておせち料理のひとつもと、まづ筑前煮に挑戦する早速ネットからレシピを引っ張り出し作り始める、なにせ何処に何が保管されているから始るので時間がかかるのは仕方がない、レシピ通りに作り上げて行くので此れも時間が刈る作業だ、舌だけは私の味なので出来てしまってから評価を貰うしかない。
一人だと夕食も簡単に済ませ、一人で月見湯に行ってくる庶民の社交場のひとつにもなっている銭湯大勢の人達で賑わっていた、風呂上り後酢飯を作り押し寿しつくりに挑戦するお米二合の押しずしなので大した量ではないので始ればあっという間に終ってしまう、
後片付けの方が大変なくらいだ。
此れで明日の夕食は出来あがってしまった、年越し蕎麦も食べなければならないので食べきれるかどうか。
明日はデザートも作ることにしている。

筑前煮

お昼はイタリアン

手羽元のスモーク作り

2014年12月29日 19時02分28秒 | ペタンク爺さんの一日
正月の三日間くらいは用意した食料を食べてテレビを見て過ごすのが此のところの習わしの様になっている、昔は臼で餅つきもしたことも有ったが、それが餅屋さんに頼んで付いてもらったたり其のうちに餅つき機が出回るといつの間にか其れが一番と変化していった。
シニア家族になってしまうと、正月でもあまり餅を食べなくなってゆく、正月の主役から脇役に廻って行った感じで、近頃は美味しいものを少しづつが本命となってしまっている。
一品一品は少量なので、食材を買って手作りするにも大量に作るのと又違って難しい、同じ食材と調味料を使っても作り手の上手や、下手糞で出来あがるご馳走は天と地との差が出てくる。

今日は、もうそろそろ作り出しておいても良いかなとコストが安い手羽元の燻製作りをする、ベランダで火器はコールマンを使い鍋は焼いも用のホウローの鍋を使用する。
チップは何時ものさくらを使う、今日は初めてリンゴも使って見る。
此の辺の作業、アウトドアーは手慣れているので簡単に出来てしまう。

鶏肉もいいが次は豚肉の固まりの燻製もいいかなと思っている、魚は新巻鮭がひと山もある、31日には鯖とサーモン、カマンベールの押しずしを作ることにしている、田作りの試作品を作ってみる、簡単に出来たがいまいちしまらないと思った。

ここ数日2014男の料理総仕上と気張ってはいるが、多分碌なご馳走は仕上がらないと半分いじようは諦めているが、自分で作った物はまた別格とも思うことにしている、

年明けに予定それている、11日開催の自治会の新年会と14日に西岡のカンジキ教室に出そうと用意していた和凧が本日ようやく完成する。
数えると19枚しかないが、少しは正月気分にと思っている。

焼いも用鍋で

田作り出来上がり

鮭さばき悪戦苦闘

2014年12月28日 18時33分52秒 | ペタンク爺さんの一日
今朝は早々と径王寺のお坊さんが妻の月命日のお参りに来てくれた、本当は明日の29日なのだがお寺の方が忙しくなるのでと一日早いお参りとなった。
12月はお坊さんも走り回る忙しさと云われいいるが、現役を退いてから20年にもなる老人にしてみれば年の瀬になったからと何時もの月となんら変わらないと思っているが、それでも正月らしい食料を買い出しに出かけてくる、山積みされている食材にあれやこれやとつい買い込んでしまっているが、持ち帰ってしまいこんでしまえば購入時の考えが何処かに吹っ飛んでしまっていて、其れっきり忘れ去られている食材も出てくる。
今回も自分たちの食べれる食材と量を考えながらの買い物だったが、帰ってくると決まって買い忘れのものが有るのに老人病と諦める事にしている。

今日も全く買うつもりもなかった大きな荒巻鮭を一本買ってしまった、通常2,000円が有るだけと1本1,000円の値段に、鮭の大きさを見てまさかこれでないと思って一度通り過ぎる、引き換えし現物と値段を確認すると間違いないことが判り、残っていた鮭の中から1本買ってしまった。

買ってから気が付いたのだが、前回買ってさばいた鮭より一回り大きな荒巻鮭に怖気が付いた。
甘塩で冷凍でカンカンの硬さの鮭に一歩身を引く感じだった、それでも持ち帰ってからの魚のさばきはもう男の仕事だった獅子奮闘を演じた出刃でも太刀打ちできない硬さに閉口しながらでも30分ほどで何とか処理することが出来た。

残った頭と尻尾を使い石狩鍋に、我が家で収穫した大根を花畑の土の中から掘り起こしてきて食材になる。
鮭一本だけで冷蔵庫の中は満杯になる、ひょっとすると3月頃まで残るのかと・・・・ぼんやり考えている。

タグもついている新巻鮭
下処理は散々だった
下処理は無事終了

我家の大根雪の下から掘り起し

竹内キサさんとひと時

2014年12月27日 21時20分06秒 | ペタンク爺さんの一日
平成27年度の年賀状今朝一番で豊平郵便局本局に持ち込んでいった、何時もパソコンで1日くらいで製作し宛先も全部パソコン任せでやって来ていた、何時でも出来ると云うこともありギリギリにならないと何時も始らないのが此れも恒例になってしまっていた。

こんな油断の隙間にトラブルが発生していた、プリンターの不具合で仕事が先に進まなくなっていた、もう半分は年始には間に合わない年賀になると覚悟は決めていたが、ひよんなことから解決方法を見つけ出し今日の年賀持ち込みに間に合った、窓口で(元旦配達に間に合いますか)と尋ねると道内は大丈夫とのことで、まずは一安心する。

その足で、局の近くにある町医の美園いとう内科に向かっていた、一週間ほど前から咳と痰がでて風の症状だった熱が出ていなかったので重症ではないと思い、こんな時に利用しやすい町のお医者さんを見つけて置いた所で、患者さんも少なく気軽に直ぐ問診してくれる若いお医者さんで、一度来院して以来すっかりお気に入りになっている病院だった。
病院の名前は・医療法人社団 美園いとう内科
今日も、薬が切れて2回目の診察はあっという間に終わり200円の診察料ですぐ隣にある薬局の薬代の方が倍以上払わされた、それにしても町医はこんな医療で庶民に関わってもらうのがいいな~とつくづく思った。

出たついでにと、最後は竹内宅に立ち寄るキサさんが表の雪かきをしていた、「我家の爺さん雪掻きもしてくれない」とぼやいていた、稔先生は二階の書道部屋にこもりきりで出てこなかった。
今年竹内稔さんは90歳になる、二つ若いキサさんは88歳のはずだそれにしても二人とも元気に暮らしている、私と10歳の歳の差がある何時までも元気でと何時も思い続けている、ペタンク爺さんです。

竹内キサさん 間もなく90歳に近づく






PCトラブル判明する

2014年12月26日 21時19分55秒 | ペタンク爺さんの一日
PCトラブルABC、思い込み、操作ミス、未熟、無知、外部ソフトの取り込みミス、説明文が日本語で明記されていれば少しは理解できるが、横文字が羅列されているともうお手上げだ。
多分これまでに沢山の失敗を繰り返して今日に至っている、世の中にこんな便利で有効に活用できるものは無い。
第二次大戦後の日本の復興は目をみはるばかりだが、世界の歩調とは無関係でない、未だ戦争が無くならないのは人類の行き着くところは未だ霧の中だ。
現在全人類の思想は自由だが、他を排斥せん滅させるような考えはどんなことがあっても間違っていると思う、自我か芽生えものを考える力を持ってこそ人間と思う。

戦後テレビ時代がやって来た、それからコンピューターが出現するとあっという間にネット社会に、もう後戻りはしない世界中がネットで繋がってしまっている。
コンピューターの進歩は留まる事を知らない、独占を取り払って解放した思想は素晴らしい出来事であったと後世に記録されていると思う、10年後のコンピューター界も見てみたいと思っているが、見たからと云って如何なるものでもない永遠の時間から見たら百分の一秒にもみたない。

今回のトラブルは、プリンター操作のトラブルで遡るとひと月以上にもなる、無線らんで繋がっていたので何処か内部トラブルと思っていて、時々正常に戻ったりしていたのでプリンターを極力使用しないでいた。
12月も半ばを過ぎ、年賀状を制作し印刷段階で躓いてしまった、全く機能しないなら別の考えも浮かんだのだが、時々動き出すプリンターにすっかり翻弄されていた。

今日は諦めて和凧の最終仕上げをやっていたが、ひょっとするとと思いパソコンとプリンターの配線関係をチェックする、全てこれが原因でトラブッテいたことが判る。・・・・・やれやれ

明日は年賀状を郵便局に持ち込むことにしている。

お昼は焼いもでした

月寒公園プレーパーク

2014年12月25日 21時07分51秒 | ペタンク爺さんの一日
今日から市内の小学校は終業式とともに冬休みに入る、細やかだが早々と子供達に関心を引く野外活動のプレーパーク活動を始めた。
この組織が出来て正式に活動を始めるのも、今日が第1回目で雪が降り続く野外でのイベントに想像して何を取り入れて何を準備すれは良いか、難しい選択にも直面し悩んだ。
スタッフはお母さんグループ3名、70歳を悠に超えているお爺さんグループ2名で、自然に等しい樹木のある雪中公園での遊びの種類を、数種用意はしていたと思うが、結局取り上げられた遊びは何と言っても橇(そり)のウエートが大きかった。

その他、ハンモック遊びとかターザンごっこなど大木にロープを掛けるだけでも大変だ、あまりイベント運営を経験していないお母さんにはイベントの前出の準備がどれ程大事か理解していない、段々と沢山の経験を積んで行けば立派なリーダーになってゆく。
沢山の困難にぶつかり失敗を重ねてこそ人は成長すると思っている。

今日のプレーパークは、30名を超える子供達と関係者がやって来てくれた、何といっても怪我人も発生せず無事終了できたことが何よりで、今日の会を評価すれば何とか及第点を取れたかなと思っている。

今回の会場で最大の人口施設の東家が、本当に有り難く思った施設で、雪が降り続く屋外では小さくても屋根付きテントは必需品と思う、此れを設営撤去するだけで大変な準備と労働が必要だ、それを解決してくれる東家は有り難かった。

12月のあわいい雪では橇(そり)コース作りには、予め三日間ほどまえから雪を踏み固めコース作りから始めておかなければならなかったと、改めて認識させられる。
結局、既成の歩道をコースにして2時間ほど占有してしまった、雪が降り続く公園の階段連絡路を利用する人は稀だった、それに上り下りのコースがあり占有も半分で済む。
今回のコースも最初で最後かなと思っている、次回には完全に専用コースを作る事にする。









明日は石焼いも爺さんに

2014年12月24日 19時57分57秒 | ペタンク爺さんの一日
明日から札幌市内の小学校が修行式と共に冬休みに入る、全国的に見ると北国北海道の冬休みは本州の学校より休みが長い、1月20日が始業しきになるので25日間の長いお休みに入る、この間家庭は大変だと思う、目的を持って勉強や習い事、スポーツなどを真剣に取り込む子供と、何もしないで遊び転げている子供達とは自然に差が広がってくるのは仕方ない事だ、
だからと云って遊び転げている子供は、それは其れなりに良いと思っている、振り返ってみても勉強したと云う記憶はないしスポーツに首を突っ込んだこともない、学校は遊びの場だったことだけは確かだった。
学校の成績は国語、数学などは平均点中学になっての英語は最悪だった、図工工作と体育だけは平均点を超えていた。
勉強は学校だけで終わることは無い、生涯勉強は付いてくるとこの齢になって分ってくる、向学心だけは何時までも持ち続けたいと思うこの頃です。

今日は久しぶりに札幌の街中は雪が降る、タイミングよくホワイトクリスマスになった、月寒プレーパークの初めての会が明日午後から開かれる、月寒公園の神社側の高台で神社の鳥居の目の前が月寒小学校で歴史のある学校です。
昼飯を食べてイベントの前出に出動する、一番心配していたことは現場の直ぐ近くに車を停める所の確保で鳥居の中に入れば何台かの駐車スペースがあるが、我々は此処を使用できない自分で道路を外して駐車スペースを作らなければと現地に到着したが、数日前暖気で緩んだ路側帯は昨夜からの寒気で氷状態の固まりになっていた、持ち込んて行ったスコップを使い30分位雪山を砕き駐車スペースを作り出した。

車から東家までは目の鼻の先、此処からは資材の運び込みも楽に熟せるとまずまず一仕事を終える、橇のリュージュ擬きコースを階段脇のコースと決め持って行ったスノーシューを履きコース作りをする、登りは階段を利用すれば一般の歩行にも支障をきたさない。

現場の状況はこれで良しとし、明日は現場で石焼芋を作ることにして材料を仕入れに「とっぷす」に向かう予想していた安さで茨城のさつまいもが売っていた、一袋150円を3袋普通のスパー打は絶対買えない値段で、全て持ち出しになるので此れで充分なり。

現場で一回に焼くには時間が無くなるので、二鍋ほど石焼芋を作ってしまった、明日は此れを温めて振る舞うことにしている、其れに現場でも石焼芋作りは続く。

雪の中で熱いホクホクの焼いもは大変なご馳走になると想像している。

本格的な石焼芋です

プレーパークの本部に
リュージュ擬きコースに
スタート地点から


成吉思汗鍋

2014年12月23日 20時39分41秒 | ペタンク爺さんの一日
天皇陛下の誕生日、私よりひとつ上の81歳の陛下が時々テレビにも放映されている全く同年代の戦後子だがマッカーサーが統治していたような戦後の日本は、悲惨な世相をバックに育ってもいる、民主主義が根付きマッカーサーも本国に引き上げ、昭和天皇の崩御とめまぐるしく変った時代で、民間から伴侶を見つけ人間天皇を身を持って示した人とも思う。

天皇を見ていると、鏡の中の私を見ている様に錯覚することもある、子供達も立派に成長してきている、24時間監視生活での私生活は、普通の人間には想像もつかないが、その環境だけがしか残っていない人生を、好いとも悪いとも云いようがないと思っている。

今日は一日中家に籠る、先週後半から鼻水、咳、くしゃみに悩まされていた、風邪の菌が喉の辺りをうろうろしていた、民間療法でニンニクを摺ってオブラートで包んで飲んでいた、それでも安定せづ漢方薬のカイゲンを薬箱の中を探したが、見つからず薬より病院に行くべきと月曜の午後から近くの行き付けの病院に行く、典型的な町医で50代くらいの若いお医者さん、問診だけで普通の風邪の診断で簡単に診察は終わった、薬を何種か出しますだけだった、すかさず注射はしないのですかと訪ねると、飲み薬だけで大丈夫とのことで終わる。
病院代290円と薬代5種で300円程度なり、薬局で薬を買うより安いこと。安いこと

今夜まで食後4回の飲み薬で、風邪から脱出しつつあり、これで年末年始は乗り切れると自信を付ける。
昼からは、残り少なくなった和紙を使い津軽凧製作に取りかかっていた、色づけは手芸用の染粉を使っているが、昨年使用していたインクは其の侭使えていた。

今日在庫の和紙が無くなった、凧のサイズはA4サイズで丁度20枚出来たので、松の内に竹ひごを付けて最後の仕上作業に掛かるつもりだ。

正月は 和凧作りが 恒例に 



2014ラストダンス

2014年12月22日 21時42分23秒 | ダンスモード
間もなく80歳を超えたヤッチャンの大晦日がやってくる、タイム的に親父の生きた時間を過ぎている、未知の世界に突入した感じだ晩年の親父の生き様をこの目で見つめてきているが、56歳で再婚し遠藤釣具店をそれも札幌の狸小路7丁目界隈で店をオープンさせている、それも20年もの間続けていた振り返って見ても人生の後半を父親らしく演示きって行ったと思っている。

時々親父のお供をして、9丁目にあった銭湯に付いて行った、その頃銭湯に行くにも一人では心もとない姿に見えていて、裸になると親父のやせ細った姿が今でも目に焼き付いているが、その裸の姿が今の自分と重なり胸が熱くなる。

今年1年は体力、気力、機能回復プログラムを考えだしプランを組み立てていた、過去の経験も大いに役立ったと思っている、まだ碌に動けない頃からカーリング再開、市民農園開始、機能回復に整体指圧を入れたり、楽しさも含まれる春の山菜採りも再開する、それと並行して春から社交ダンスも再開させた。

今日は今年最後のレッスン日で さよらら平成26年ダンスパーティー があった、いまだ初心者グループで続けている程度のダンス歴では決して恰好良く踊る所まで到達していないが初心者は初心者なみに踊りの輪に加わった。

ダンスパーイーティーは、毎日のように開催されている参加料300円程度で武者修行なみに道場荒しも良いと思うが、もう少しダンスレベルが上がらないとと思いつつ。

現在も、北沢ダンススクールの個人レッスンを続けている、2014ラストダンスは北沢ダンススクールの北沢先生の奥さんとでした。



レッスン

俺が温泉月見湯(銭湯)

2014年12月21日 21時55分27秒 | ペタンク爺さんの一日
終の棲家として月寒はまなす団地に移り住んでから、23年も経ってしまった、50年連れ添った妻との別れは我家から送り出してからも7年は過ぎている。
入居当時は、若い世代の入居者もいて家族も賑やかだった、第一裏の小公園の滑り台、ブランコ、砂場で遊ぶ子供達もいて賑やかな声が聞こえていた。
そんな時代に、今お世話になっている銭湯の月見湯が営業していた、その頃は銭湯には滅多に行くことも無かったが大型の銭湯として近所でも評判だった。
銭湯まで行く手前に月寒二条市場があり入口は酒タバコを売っていたり、八百屋、魚屋、肉屋、おかづや、駄菓子屋、など7.8軒の店舗があってこの辺一帯の市営団地住民の毎日のお買い物先にもなっていた。

時代の流れか、市場の一画の店が辞めて行きだすと昔風の対面商売の市場では時代に合わないのか何時の間にやら建物は消えてしまい、更地になっていた。
だだ、銭湯だけは頑張って営業を続けていた、今日妹が月見湯から帰ってくると嬉しいニュースを持つ帰ってきた。
15日から25日まで月見湯30周年記念割引セールで入浴料が300円になると、本当は今日は回数券4,200円(11枚付き)を買って帰る事になっていたが、暫く現金300円を出して入浴しようと急遽変更する。

今年で営業開始から、30年で親子と続いて今は三代目が営業しているとのこと。
兎に角、後継者がいてこそ商売も続られると思う。

昨日一昨日と暖気が続いた、雪が少ないが溶けだした雪が今度は気温が下がったので冬山登山の様な氷の道路に変ってしまっていた。
此処まで来てしまったらと、バックカントリーで使っている簡易スパイクを長靴に取りつけるここ数日はこのスタイルで歩き廻るしかないかなと首を傾げる。

三代目お披露目

一足早く松飾

雪山用スパイク登場

四丁目十字街へ

2014年12月20日 18時53分31秒 | ペタンク爺さんの一日
本当に久しぶりに四丁目十字街に出た、ただの買い物なら一人で地下鉄を利用して出てくるルートだが今日は違っていた、自家用車を持ち出し出かけていた、それに妹の泰子も同伴していた到着後丁度昼飯時間に合わせてのお出かけだった、一年間に二回ほど三越デパートにお買いものが恒例行事になってた、買い物をすると二時間は駐車利用金が無料になり其れを利用して、若いころから利用していた老舗の天ぷら蛯天の看板献立の天丼がお目当てで今日も店に入った途端「天丼二丁」と注文していた。
昼時だったが看板メニューなのでお客さんを待たせぬサービスに、老舗の商売上手を感じ取れた。
女房とも十字街に出てくると決まって蛯天の天丼を食べて帰るのが定番コースになってもいた。

私の十字街の古い記憶の中に、三越の向いの角地にコマツ靴店がありそのコマツ靴店に後に妻になる白崎泰子さんが勤めていた、私が25歳の時で父の会社関係から繋がった札幌のK氏の母親がお節介婆さん役になって縁続きの白崎家の長女泰子さんをお世話してくれた。
正式見合いの前に、お節介婆さんと二人でお見合いの相手を内緒で見に行った、写真では見ていたが実物の彼女を見て一目で好きになったのをはっきり覚えている、6人兄弟の長女であること商品販売経験もあり、それに一級上の姉さん女房になる、その頃私も越後屋と云う衣料品店を経営していた、こんな女房を持つと私の足りない所も補ってくれると思ったのも懐かしく思い出し忘れることは無い。
後日に判った事だったが、何回もお見合いの催促をされていたことと年齢も25歳にもなってしまったこと、兄妹も多いこと、ここらが潮時と決めたこととお見合い前に親戚の婆さんが怪しげな男を同伴しコマツ靴店の売り場まで来てうろうろして帰ったと判っていて、私の所作も観察されていたことが解ってくる。

あれから、もう56年も経ってしまった今も時には遠藤泰子さんと連れ立って出かけるが、遠藤家から嫁に出て亭主に死に別れ旧姓にに戻り「遠藤泰子」を名乗っている妹で。
白崎家から遠藤家に嫁ぎ「遠藤泰子」になった妻、妹は私の家から嫁に出たので当時私の家には同姓同名の遠藤泰子さんが二人同居していた。(少し不思議な関係だった)

今も妹だが「遠藤泰子」さんとは同居している。

蛯天の天丼50円アップの700円に
店先が化粧直し
蛯天三越売店

ローカル菓子工場の売店で

大根漬物初出荷

2014年12月19日 19時10分26秒 | ペタンク爺さんの一日
夏の終わり頃、生れてはじめて本格的な秋大根植えに挑戦した無論沢庵類の漬物を作るのが目的だった、市民農園期間の六か月の間に早いものは二毛作が可能で、菜っ葉類や馬鈴薯、ト-モロコシの後に大根の種を撒いた、多少前後した植え付けもあったが、一番最初に植えた沢庵用大根が一番成績が良く漬物の主力になったのもこの大根だった。
出来あがって竹内キサ先生の評価を受けたが、早く云うと散々な出来栄えと理解したが、生まれい始めて生産した大根には愛着が出ていた。
まず、指摘を受けたのは土の耕し方が浅く大根が二股が多かった、それに間引きを充分にすることと成長してきたら大根の外葉を欠いてやる作業が出来ていなかった、この作業次第で後半大根は大きく成長すると大事なポイントを教えてくれた、此れで一つも二つも勉強し来期の成功に繋がると思っている。

少し遅れて撒いた青首大根の成長が遅れて、育ちは悪かった10月いっぱいに畑はクローズしてしまうので育つまでは置けなかった、それでも予定していた大根の量も収穫出来た、市場に出しても返品になって帰ってくるような大根だったが私にしてみれば可愛い野菜達で。我が子同然と思っている。

11月初旬に玄米漬けから始まった、竹内宅まで大根を持ち込み大根干しから始まり玄米漬けは11月3日に着ける、続いて11月5日に沢庵漬けをやってしまったが、竹内キサ先生が口で指導するより自ら漬け始める。
何年も続けている漬物漬けで自然に身についている所作を見ている所が多かったが、兎に角無事一斗樽ひとつに玄米漬けと、もう一斗樽に沢庵を漬けていた。
ネットから検索した漬物レシピもキサ先生の漬け方も、左程違うことも無かった、しいて言えば塩分の濃度を決める段で其々の家の拘りが出てくる処と判ってくる。

今日で漬けてから45日を過ぎた、もう完成しているはずと漬物置き場(ベランダ外)から家の中に持ち込む。
期待を膨らまし、玄米漬けを試食する・・・・ほぼ完璧の味に仕上がっていると思った。
沢庵は、気にしていた最後の一塩が多かったのか少しショッパイと正直な感想です。

出来たての漬物を数人に初出荷する。

沢庵も出来あがる

凧作りも進む

津軽凧擬き

2014年12月18日 19時19分56秒 | ペタンク爺さんの一日
2015年度の新年の挨拶に今年は津軽凧を制作してとハートな目標を掲げ作り始った、何事も最初は人真似から始り其のうち自分流のアレンジしてその人の物になる。
此れが一般的な習い事ABCと思う、25年も関わってしまったペタンクも函館に普及に見えていた協会の北村氏のデモンストレーションに魅了されたからと、今でも思っている看板の口髭が印象的で彼のペタンクが私のペタンクの財産になって行った。

ペタンクの四国愛媛松山で開催された日本選手権に参加した時の事で、大会の成績は二の次にして道後温泉に連日通ったり、比較的近いと思った内子の旧市街の観光やこの地の特産品の大州和紙工場に行き始めて和凧作りの和紙を買って来ていた、此のあたりから正月になると凧作りをする慣習が付いて行ったと思う、
その後ペタンク八戸大会があり、青森ねぶたと津軽凧に遭遇し圧倒されますます和凧に魅了されていった。

ねぶたの大きさから行くと、全紙で大凧を製作してもスケールが違う、大きさでは到底叶うことは出来ない、せめて真似事でもと今はしおらしく控える事にしている。
今は墨で縁取りをしているが、色付けをするとなると一段と難しくなる、墨一色では少し寂しい。

10月末頃に漬けた白菜漬け、近頃はすっかり忘れ去られている第一もう酸っぱくなってしまった、レシピで白菜の古漬けを使ってのチャーハンが一品になるとネットに出ていた、早速久しぶりに酸っぱくなった白菜を出してくる。

「男の料理」の開始

・白菜古漬け
・パスタ(ペンネリカーテ)
・卵 1個
・マヨネーズ
・砂糖少々

パスタを茹でる(少し柔らかく10分茹でる)
フライパンにごま油少々千切りした白菜を入れて炒める。
卵を入れて火を止める、余熱を利用し砂糖を入れかき混ぜる、
次にマヨネーズを入れパスタを入れて掻き混ぜると出来上がり。

この料理のミソは白菜の古漬けがピクルスの役を果たしイタリアン風に仕上がる。
男の簡単料理として推薦出来ると思います。

フライパンだけで出来る
男の料理アレンジ編

雪下大根収穫し鯛大根に挑戦

2014年12月17日 17時28分05秒 | ペタンク爺さんの一日
昨日から今朝にかけて湿った大雪が降っていた、普通ならこんな日は自家用車の出動は避けるのだが月に一回の妹の病院の定期検診日で、よほどが無い限り私の車を出して朝一番に送っていた、今日は運が悪く大雪の朝にぶっかってしまったが昨夜から予想されていた状態だったので、少し朝起きして車の上の除雪や周りの雪を取り除いた、シャーベット状の雪が其の侭凍っていたのでジョンバでなくスコップでの雪よけになる。
車が出動出来るようになったのは、今朝は30分もかかってしまった、9時の受け付け時間までと早々と妹を送ってゆく、その足で「きたえ~る」に立ち寄るつもりでトレーニングの用意をしていったが、公園の駐車場が空いていず其の侭帰宅する。

車を置くと家にも入らずトレーニングに向かう、無論地下鉄を利用する、今朝は通勤ラッシュ時間に巻き込まれた、トレーニング室は朝8時30分からオープンしていて、この時間に合わせて来ているのは男女ともシニアの常連組で、挨拶は交わすことは無いが顔見知りが多い。

昼食は何処で食べてもとおにぎり持参で動いている、今日も「きたえ~る」内のフリーペースで簡単に済ませる、通い出してから今日で5日目になる少し身体が動くようになったと感じている。

帰りは地下鉄を降りると、フードに立ち寄る料理に関心を持ち出しているので食品売り場が気になっている、昨年暮れ近くに鮭の代わりに鰤の大漁がつづいたことがあった、沢山獲れていればスパーでも安売りコーナーでもやっていないかと思っていたが、如何やら今年は北海道の鰤漁のブームも去ったと思った。

スパーも最近は生魚を売るのは少なくなっている、塩蔵、干し魚が多い、生はカレーが多く煮魚用として売っている、そんな中にあって真鯛の御造りで残った頭と粗が一皿だけ残っていた、値段は安いが食べ方は限られてくる、魚の好きな人でないと買わない食材で、普通の人は見向きもしないと思う。
此れを見た途端、鰤の代役を真鯛にしてもらおうと買って帰る、家に入る前に花畑の隅から大根を掘り出してくる、早速「男の料理」真鯛大根に挑戦する。
今夜のメインディッシュになってしまった。

雪の下から採り出した大根


地下鉄は市民の足です

洋風おせち料理に挑戦

2014年12月16日 20時18分46秒 | ペタンク爺さんの一日
今年の年越しと正月料理に、男の料理の締めくくりとして「洋風おせち作り」に挑戦を考え出した、兎に角何か新しい事に挑戦する意欲が未だに尽きないのが80歳にもなっている爺さんで、同居している妹も戸惑うことが多いと思っている。
松の内くらい、屋内活動くらいが安心できるので男の料理編もむしろ安心して見ていられて冬山に橇滑りに出かけられるよりも心安らかでいられると思う。

最近は作ったものを食べる事も楽しいが、作る過程が更に楽しい事も解って来て男の料理人やコックが大勢活躍しているのも頷けるようになっている、第一大の男が生涯をかけてやる仕事でもあり男の仕事の選択肢のなかでも上位にもランクされると思う。

最近はCookpad{クックパット}レシピから利用する事が多くなった、比較的簡単にデーターも取得できるようになっているので本当に便利だ。
ネットの中に私のお袋がいて、困ったときに色々と教えてくれたりするので本当に助かるが、本当のお袋でもこんなに知識があったとは思えないが知りたいことが判るので私の料理の先生はネットの中で生き続けている。

今日から北海道は大荒れになり出した、悪天候をついて今日も「きたえ~る」のトレーニング室に向かう、せめて年内10日間くらいは通い続けるようにと、自分との闘いは続く。
帰路は地下鉄福住終点まで乗ってくる、久しぶりにヨ―カード―に向かっていた、最近は食料品売り場しか立ち寄らなくなっていたが三階まで上がりウインドショッピングならぬ見て歩きをする、この齢でも買いたいものも出て来るが実際本当に此れが必要かとじっくり考えると買えなくなってしまう。

昔は良く衝動買いをしたものだと思わずにはいられない。
結局何も買わずに帰宅してしまった。
帰宅後直ぐ向かいの回明堂眼科に、三か月ほど行っていなかった。

女医が多い病院です

正月飾り
正月はお酒だよね
ヨーカドー店内