ペタンク爺さん

ペタンクで遊ぼうよ!で20年

居眠り爺さんは自然なのだ

2014年12月10日 19時22分40秒 | スキーが全てだった
此のところ、夕食を食べ終わった後猛烈な睡魔に襲われる、其の侭ベットに潜り込めば快適だと何時も思っている、しかし我が家の夕食は午後5時が定刻になっていてこんな時間に寝てしまうと日付が替わらないうちに目覚めてしまう、真夜中に一人で起きていなければならなくなるので絶対寝てしまうことは出来ない。
遠い昔、親父が晩酌していて何時の間にやらその場で睡魔に襲われ横になっていた、気が付いた女性が手枕して寝ている親父の頭に枕をそっと当てていたことを思い出している。

人間70歳も過ぎると、壮年期のような精神的、肉体的な能力は下降し丸一日動き回れなくなって来る、それを補うため老人の居眠りが発生してくると説明されれば、当事者として納得出来る。
夕食後、睡魔から逃れるためにコーヒーを良く飲むカフェインは私には良く効く、食後30分ほど過ぎてしまえばもう大丈夫なのだが、それでも椅子に座ったまま10分ほど寝ていることがある、器用に眠れるものだ本人も驚いている、今日は滅多に飲まない酒(梅酒)ほんの僅かを飲んだ、夕食を食べ終わると猛烈な睡魔に襲われ椅子に座ったまま眠っていた。

睡眠は、【ノンレム睡眠】深い眠りで脳も身体も休んでいる状態、身体を支える筋肉は働いている、トレスを消去している、ホルモンの分泌をしている、居眠りのほとんどがノンレム睡眠と云われている。

寝覚めは早い、その後は快適に過ごせる状態に戻っている、早朝起床時間を逆算し毎晩11時過ぎまで起きている定番になったNHKのスボプラを見てから寝ている爺さんです。

札幌市住宅管理公社に頼んでいた公園樹木の剪定が12月の今頃になってやって来た、今朝は数センチだけの積雪だったので仕事には影響なかったと思う。
グランドの土の入れ替えも今年やってくれる事になっていたが、先日業者が下見に来ていったと思っているが今日現在工事は始まらない、雪が積もったら如何するのかなと少し気になる。

藤の剪定です

親父の晩酌ちゃぼだいが懐かしい
親父56歳で連れ添いに先立たれる、その後80歳まで

札幌白石区の食堂

2014年12月08日 18時46分52秒 | スキーが全てだった
足掛け三年以上も通い続けていた白石区役所、と云っても同じ建物の中にある区民センターでその建物の区民ホールを利用して開いている五つの社交ダンスサークルのひとつに月曜日の午前中通っているのだ。
直ぐ足元の月寒区民センターでも社交ダンスサークルは有ったが、知り合いと遭遇する確立が高いと地元は止めて隣の区を選択していた、何時も12時には終わり自宅に帰ってから昼食をとっていたが、今日は一度くらい区のレストランで食事でもと一人で顔を出す。

市の食堂関係は、豊平区と南区に入ったことはあるが札幌本庁のレストランには行ったことは無い、中央まで行ってしまえば美味しい食べ処が沢山あるので多分これからも入ることは無いと思うが、区役所の周りには安くて美味しい店が少ないのが残念だ。
矢張り街中に出るしかないので普段は億劫になっていると思う、車で行くと駐車料金がかかり地下鉄で行くには情緒が無くなる、特にこれから寒さが来てしまうと出無精になるのも頷ける。

それにしても、区のレストランは地方の一般食堂と何ら変わらない其れにセルフサービスが徹底していて食べる楽しみの何かが欠けている経費を切り詰めて値段に転嫁しているので止む無しと思う。
カレーを食べると、其処の店のランクが判る430円のカレーはしょっぱかったと、米が相当安い米を使っているなと感じさせ、これ一回にとどめると思ってしまった。

夕食は妹のおさんどんで、珍しく釜飯を作っていた、御釜は百均で買ったものと云っていたが始めて使用してみて充分役立つことが立証されたと思った。

午後4時からのダンス個人レッスンを終えて、階下のまほろばに立ち寄るパスタの特売をやっていたので値段に釣られて買って来てしまう、明日はパスタ料理にと食べる事に執着する。


夕食は釜飯でした
お昼は区役所レストランのカレー
行列が出来る区のレストラン







月寒の学校と云えば

2014年12月03日 19時12分35秒 | スキーが全てだった
私が住む住宅街は五階建ての市営住宅だが、月寒町だけでA号棟からG号棟まで35棟あり1,042戸が暮らすことが出来る一大住宅地て、戦後外地から引き揚げてきた人たちを国の政策の一環とし出来上がった街づくりで、旧歩兵第25連隊があった跡に建てられたとも思っている。
今は月寒体育館になっているが、札幌競輪場が昭24年:第一回札幌競輪が開催から昭和33年廃止まで続く。
大学は無いが、歴史のある専門学校の農業専門学校(八紘学園)と専門学校日本福祉学院、それに北海道中央調理専門学校の三校がある。
高校は月寒高校と市立有名校の第一高校の二校がある、中学校は月寒中学、東月寒中学、あやの中学の三校がある。
小学校は六校で、月寒小、南月寒小、月寒東小、あやめ野小、羊ヶ丘小、しらかば小で児童か間も六カ所に及ぶ。

最近ペット犬の話題がテレビで取り上げられていることが多いが、私が関わりあっている月寒公園での会議の中でも、何時も議題に出てくるのは犬の散歩で自己中心的な飼い主が多いのに対処の方法も真剣に考えて行かなければならないと思っている。
ペットを飼う場合は、それなりに責任分担も義務付けなければと思うのは私ばかりでないと思っている。

昼を済ませると、小雪が舞う中マウンテンバイクに跨り少し離れたスパーに買い物に出かける途中八紘学園校内を掠め月寒ドーム前に出る、ドームの前は出来上がってから数年は経っているドックランが営業している、何時も素通りしていたが今日はゆっくり様子を観察する。

一番関心を持っていた利用料金を見ると、無料ではないが安いのに気が付く、1回利用料金は一般480円、シニア260園、中学生以下無料でその他回数券、1ヶ月券、三か月券も発行していて決して贅沢な施設ではないことも判ってくる。
こんな広い施設でもなくていいか、公園内にもこんな施設が出来れば公園内の犬の苦情も無くなると思った。(一般公園は人間だけに開放してほしいな~)

帰宅後、夕食は白菜古漬けをキムチ漬けにしたものを利用、ツナ缶にマヨネーズをまぶし、最後は長ネギをはなしチャーハンを作る。
(今日も自分の作った料理だったので少し食べすぎた)

学校案内

グリンドック
利用料金は
此処が入口
防寒完備で
楽しそうですね

今夜はチャーハンでした


男の料理白菜編

2014年11月28日 19時01分30秒 | スキーが全てだった
10月の末頃、生れてはじめて本格的な白菜漬けに挑戦した、本当なら遠藤農園で収穫出来た白菜を材料に使用しての漬物シリーズだったが、春に種から蒔いてひと夏育てるのに苦労してみたが、害虫被害にも無農薬を通していたので散々な出来栄えだった、先ず育ちが悪く半分は立枯れになったり収穫して食べてみても硬くて噛み切れない白菜に、ほとほと打ちのめされた感じだった、それでも収穫した僅かな白菜を捨てることなく殆んど食べつくす、最後の1個だけ自宅に持ち帰り花壇の隅に半分土をかぶせて越冬保存をしている、12月大晦日に掘り起こしてきて白菜鍋の材料にと思っている。

結局、今年の秋には我が家での白菜での漬物は出来ずJA清田から1個100円で買ってきた白菜を使って白菜漬けをする、下漬けから本漬けまで漬物の脳波はネットから得て始っていたが、2週間ほどして食べた自分の漬けた白菜漬けに花マルの評価を付けていた。

シニアの小家族では食べる量が知れている、少し日が経って食べた時にはもう酸味がついていた、まだ半分以上も残っていたので古漬けのレシピを捜し色々挑戦してみたが、此れと云うものは無かった。

昨日テレビで白菜古漬けで太巻きのレシピが公開されていた、早速肝心の所だけメモに書き留め其れを今日は実践に移す。
一番高い食材はマグロのたたきで後は我が家の買い置きの食材で間に合う。

食べた後の評価:白菜古漬け利用法ナンバーワンです。

白菜漬けの酸味が生きて来て、もうご馳走と云うよりない。旨かった~~

中の具①・マグロのたたき、沢庵又は漬物の古漬け
中の具②・つな缶(マヨネーズ)、きうり

午後からは花壇の最後の冬囲いをする、来週からまた寒波がやってくる。
穏やかな昼下がりだった。

男の料理開始
不器用だが愛嬌、愛嬌
まぐろと古漬け
ツナ缶ときうり

穏やかな昼下がり

「月寒公園プレーパーク」登録完了

2014年11月18日 17時56分42秒 | スキーが全てだった
今月に入って正式に団体登録していたプレーパークが登録承認の通知が届いたのが11月に入ってからだった。
先行イベントとして9月に公園の芝桜プレゼントを含めたイベントが開催された、その時はまだ正式に組織は立ち上がっていなかったが熱心な若いリーダー達の熱意に押されて月寒プレーパークを実践してしまった。
プレーパークて何なのが第一印象と思うが、一般の人には馴染めない言葉だったと思う。
私もこの活動を知ったのは昨年で、自分の齢を考えないでプレーリーダーの資格まで取得してしまっていた、今年研修のため他団体のプレーパークに参加し少しは判りかけて来ている程度で、机上より現場での実践が最も大事と感じたのもこれまでの係わりから感じ取った。

元々、遊びを中心に子供達と接して来ている私の人生は80歳になっても少しも変わらないのが自分らしいと思いを新たにしている、今日俳優の高倉健さんが逝った、大した歳の差でない、今は1年間を精一杯生きることを目標にしている。
月寒公園で「ペタンク普及」から足を入れてしまった公園との繋がり、今は月寒公園市民協議会の理事(企画)に、創造学園同期の人達とNosyGroupを結成し協議会の愛称月寒公園ファンクラブにグループごと入会し、今回のプレーリーダのイベントにも繋がってしまった。

昨夜、組織の代表を中心に今後のスレジュールや運営方法を話し合った、当初の考えは11月の末頃第1回のプレーパークを開催する予定だったが、矢張り準備期間が短かった、結局12月25日の学校の冬休みと同日の午後から開催で話が落ち着く、それにしても公園の中心部は工事で閉鎖部分が多いので、今回は工事が終わっている月寒神社側を会場にすることで話がまとまる。

公園のインホメーションセンターは、来年から指定業者も入れる大きなインホメーションセンターが立ち上がるが、来年度はまだ大きいが仮設の建物で、本物が出来あがるのは平成28年になる。

目標は大きく

センターの大きさは
長さ26m 幅12mの平屋

イメージ画

そり山中心に
野球場も生まれ変わる

食にこだわる80歳

2014年10月20日 17時42分02秒 | スキーが全てだった
天皇家の美智子妃殿下とは同期で、結婚噂が飛び交った頃から注視していた、同じ10月生まれで私の方が何日か早く誕生している、当時民間から選ばれたことがら皇室とは一気に距離が縮まった感があった、美人と云うより美しい女性と映ったのもこの頃だった、皇室は近親婚も多く出来れば全く遠い縁者からの血が入ればと思っていたのは私ばかりでなかったと思っている。
美智子妃殿下は此れから大変な苦労が待っていると思っていたが、嫁に出した正田家もお付き合いが大変になると余計な思いを抱いていたこともあり、今思えば可笑しくもあり余計なお世話と思う。

今日の月曜日は、スワンのダンスサークルのレッスン日だった、一週間に一度のレッスンではサークルで教えてもらっている時だけはダンスモードになっているが、一歩教室を出てしまえばダンスのことなど頭の隅に入る余裕も無い、次の週になれば習ったことのどれ程が覚えていたのか自分自身に疑問を感じる所もある、兎に角物覚えの悪いのは今さらでないと思うとダンスは私には向いていないとつくづく思う。

それでも、何かの魅力に取りつかれているのか辞められないのが不思議だ、そのうちそのうちと足掛け三年になっている、来週は年に一度のダンスサークルスワンのダンスパーテーがススキノのジャスマックホテルで行われる、11時30分から昼食飲み放題も含め午後3時まで、志向を凝らしてのパーテーで一度参加したことがあるが、狭いホールでの踊りになるので混んでいるので誤魔化しながらの踊りも出来るので何とかなるかなと思っている。

レスンの帰り道、激安スパーに立ち寄る兎に角このスパーは野菜と果物が安い、と云っても商品は一級品は取り扱っていないが競値がつかないようなものから規格外の商品が主体だが、現物を見て理解し承知して買ってきている、今日は白菜100円、トーモロコシ3本100円、リンゴ10個200円の合計400円の買い物だった。

帰宅後、自ら料理するトーモロコシを茹で、焼りんごをダッチオーブンで作る。

1個20円のりんご
3本100円のトーモロコシ
100円の白菜

札幌五輪と親子チームそして藻岩レーシング誕生へ

2014年09月13日 19時28分45秒 | スキーが全てだった
親子三人でSKIレーシングチーム結成がら藻岩レーシングクラブ誕生へ

1970年 札幌冬季オリンピックの滑降支笏湖コースで開催された、プレプレオリンピックに、つばめ自動車のスキー愛好家グループ数人と観戦に行く、冬道を初めて札幌から支笏湖湖畔までの開けた道路は両側カベのトンネルのようでした、一般の観戦者が全くいないゴンドラとリフトを乗り継ぎ、スタート地点にたどり着く、スタート地点での選手の少し青ざめた真剣な顔、雪の上の黄色い小便の跡、途中立ち木に激突し担架で運ばれる選手、ゴール付近のプレジャンの周りに散乱するヘルメットの破片、いまだにそのときの情景が思い出されます。また、その頃からアルペンスキーの魅力に取り付かれたようです、その後猪谷千春親子の伝説を引き継ぎ、子育て教育をスキーに賭け、親子三人のレーシングチーム誕生につながって行きました。

1975年つばめスキー部に土井一之氏が入って来て、この出会いで藻岩レーシングクラブ誕生に繋がりこの年から5年間夏山スキー合宿が始まった

前年度夏休み期間に遠藤親子で旭岳裏の熊岳裾野のキャンプ場にキャブを張った。
その経験を生かし、この年はつばめ自動車スキー部の土井一之氏をコーチングスタッフにし、同僚の武部氏をコック長にして、我が子以外に声をかけ全部で選手は9名で、黒岳夏山合宿がスタートした。
藻岩スキー場の林友観光のバックアップを受け、この年から毎年5年間続くことになる、この合宿が終わり、いよいよ藻岩レーシングクラブ創設に向けて一気に加速しい行く。
初めての年は、テントを持参したが途中から全部石室の向かいのスキー小屋に変更し、毎年そこが宿となる。
次の年から、教育大の原田氏、札大の佐々木氏がコーヘチングスタッフの中に入ってくる。
同じスキー小屋の中は、札幌教育大スキー部、札大スキー部、旭大スキー部、北照スキー部と同部屋になることもある。
その他、毎日下からは小樽の菊池プロスキーのジュニアチームや、後年歌志内のかもい岳スキーチームも上がってくるようになって行く。
キャンプの途中で下山し買い出しに。

あれから40年も経ってしまった。

秋の足音

藻岩レーシング時代

2014年09月11日 23時02分08秒 | スキーが全てだった
今朝は少し早起きして遅くても7時には家を出て遠藤農園の野菜収穫に行く計画をたてていた、逆算して6時に目覚めればと携帯電話の目覚ましをセットして休んでいた。
夜中に異常音が頭の上で鳴りだした寝ぼけていたが携帯を通しての緊急放送と云うことが判った、現在の住んでいる月寒東1条の11丁目は1-1は月寒町内の丘陵地帯で一番高い位置に有るので、此処が水害を受けるなと考えても見ていなかった、無論過去の町内歴史のなかにも有り得ぬ出来事だったが、ただ1丁目と12丁目には小さな小川が流れていて水量は僅かだが一般河川になっていた、その川が時には春先の雪融け期に川から水を溢れさせる事件が有ったことも記憶している、原因は川沿いの市民が間違っているのか川に雪を捨てる非常識な人がいて、其れが原因で雪でダムを作ってしまい其の雪のダムから溢れた川の水が川から溢れさせ大事件に発展する場合もあった。
其れでも、二本ある川とはどちらも高低差が10Mほどあるので99.9%は水の心配のない所と安心はしていてが情報では豊平区全体も警戒地域になってしまってひきりなしに流れる情報で町内の小さな河川が危険水量をこえたとの放送も出て来て、安全とは思いながらでもニュースになった広島のこともあり、其の侭起きてしまっていた後で気が付いたが携帯の目覚ましは成時間も来ても鳴らなかったように思っている。
今朝あれだけ騒いだことと、この異常状態の時に市民農園などと少し次元が違うと思い遠藤農園野菜収穫は自然に中止になってしまった。
今日は息子も同道し、馬鈴薯とゴボウ、人参を畑から掘り起こして貰うことになっていたのだが、その仕事が後に残ってしまった結局帰りのお土産に考えていたので明日か明後日までには私が用意することにする。

仕事が無くなったので、朝の内に21日に使うテント二張りの運搬をしてもらう帰りしな竹内宅に寄ると爺さんだけ相変わらず二階の書道室に籠っていた、キサ婆さんは報恩講にいっていると話していた、珍しい息子の訪問に作品を一点形見分けと渡してくれた、なかなかどうして90歳になるが私より若い肉体を持っているのに驚かされる。
100歳も夢ではないと本気で思えてくる。

帰宅後、出歩くこちも出来ずとうとう一日デスクワークになってしまう、それではと前から気になっていた写真整理を始める、フイルム時代からの写真を含めたアルバムの写真をスキャナーで取り込み出来るだけ大きなピクルスでの保存出来たものをメモリーに移す仕事で、アルバムが5冊ほどあるので今年1年くらいで整理しようと仕事始めになる。
今日藻岩レーシングクラブ誕生1975年から手が付いた、何れ藻岩レーシング関係者なら観られ取り込みも出来るようにしようと考えているが、予定通り行くかは判らない。

黒岳勝山スキー合宿
1976年
1977年
1978年
1979年