ペタンク爺さん

ペタンクで遊ぼうよ!で20年

真夏の特訓とペタンク普及大会

2010年06月30日 13時25分12秒 | ペタンク・練習
5月の中頃まで、雪の上のそり遊びに興じていたが6月の後半は一気に真夏に突入してしまった。春の到来は遅かったがそれを夏が追い越す訳がないが、直ぐ背後に迫っていたと言う状況。
只今は、本州は雨の季節、それに引き換え北海道は初夏が続くと言う素晴らしい北の大地の創造がある、北海道の人口も頭打ちで全体人口の減少が今でも進んでいる、北海道の中心地札幌でも、200万都市に迫っていたが、中国並みの一人っ子政策を、各家庭が自己責任でやっている、子供一人にかける養育費が負担になるのかと、単純に考えていいのか、何か、何処かが間違っているのか、未来の人たちが判断すると思う。
創造学園も、もう直ぐ一月半近くの夏休みがやって来る、その夏休み期間の間にペタンクの特別練習会と入門大会を組み合わせ、日程を公開した、普及活動の一環なので出来れば一般のペタンク愛好者、学園生、それにあやめ野小学校の子供達が加われば最高な大会になると、密かに準備を進めている、特別練習会には小学生のペタンク教室を開き、出来れば大会参加にまでつながる事を願っている。
日程等少し詳しいお知らせは、ブックマークの掲示板ペタンククラブ創造学園を見てください。

夏休み期間に、もう一つ大きな行事が組まれていて、8月2日出発の8月7日帰札の富士登山がある、次男夫婦がサポート役で、贅沢な登山となってしまったが、航空券をネットで手配し、コンビニで支払をと至極楽な方法でやっていたが、行きの手配が出来た後、突然プリンターが壊れてしまい、メーカーのエプソン札幌に修理に出す、それが今日出来上がりプリントが出来るようになり、無事帰りの切符も購入する事が出来た。やれやれ、旅行の準備も進行している。

二、三日天気がぐずつくとの予報を信じ、遅くなった菊の挿し木をする、第一段階でプランタンに、根がついたら何処か適当な所に移す事にしている。



子供の世界は今

2010年06月29日 14時24分47秒 | ペタンク・日常
本日の、学園カリキュラムは、町内にある、あやめ野小学校山脇校長の授業が組まれていた、本日も朝から熱かった、南から夏の高気圧と、モンゴルからの強力な暖気が流れてきて重なつた事が暑さの原因と新聞では報じていた、それゆえ10時近くから始まった講義には教室の両側の窓を開けっ放しでも熱く感じられた、窓を開けてもスライドを見る関係でカーテンが風を遮るからだ。
校長と言っても、私の息子みたいな年齢だった、地域の小学校なので選挙の時の投票場になるので、学校の様子は少しは判っていた、子供が少なくなっていると聞いてはいるが、1年から6年生までで228名の在校生で、学級は40名定員制で8クラスと言っていた、複数クラスは2年生と5年生だけで学年1クラスで、TT(協力教授)サポート役がいて落ちこぼれ対策もしている、私の小学時代にこんな制度があったら、基礎学力が確り備わり、特に数学と英語が大苦手にならなかったと思った。

二時間近く、楽しい授業だった、それにこの続きが二週間後に、今度は小学校を訪問し子供達と交流会が組まれていて、準備として各自自作の名刺(ハガキ大)を30枚持参する事が告げられ、それが今日の学校の授業の宿題になったなと・・・・昔々を回顧する事になった。

今年初めてのパークゴルフ

2010年06月28日 17時27分04秒 | ペタンク・日常
今日は、久しぶりの朝寝坊した、昨日北見から帰ってきてから、夕食を食べ終わって、それからNHKの8時の番組を見終わり、近くの銭湯月見湯に行ってくる、相当疲労していた、年齢から来る疲労感に、夏の暑さのが加わりピークに達していたと思う、午後10時を過ぎた辺りから一気に睡魔に襲われ、ベッとの中にもぐりこむ、そのまま8時の朝の番組が始まる時間まで爆睡と言っても良い状態で寝ていた。
今日も朝から夏の太陽が照り付けていたが、植物の成長には最高の環境とおもう、我が家の花壇の花々も見る見る大きくなってゆくのが感じられ、手をかけている者としては、嬉しい限りだ、何と云っても夏の花の代表のダリアが、球根を植えた数だけ全部芽を出し、只今成長期に入っている、きっとお盆には奇麗な可愛い花を咲かせてくれる事と期待している。
現在、咲いている花はギンガム、アイリス、アストロメリアその他名前の判らない花も咲き出していて、嬉しい花壇いじり続いてゆく。

お盆が近づき、お墓の掃除を兼ねて先日植えている菊の苗の様子を見に行く、と同時に暑気払いを兼ねてパクゴルフ行きを思いつき、学園の友人を誘い妹と三名で、石山の山の中にあるパークゴルフ場に、急遽出かける。
全コース27ホールで、コース料は600円、コースの中のサクランボの木が赤い実をつけていた、一つ二つ摘まんで食べた、イチゴも赤くなりだし売店で販売していた、お客さんは私達の他、一組いたがもう帰り支度をしていた。

何とも、勝手な爺さんで、何時も妹は振り回されている。帰宅は4時になり夕食は途中で仕入れた弁当になる。簡単で主婦には好評と思っている。

車の中だけで10時間

2010年06月27日 19時04分56秒 | ペタンク・日常
北見オホーックペタンク大会、過去に一度だけ参加したことがあり、それも7.8年前の事で、大会会場の場所も私の記憶のかには、ぼんやりと浮かんでくるだけで、北見に到着しても皆目、思い出せず判らなかった、相棒の藤井氏もこの大会は初参加なのに、要項も手にしていない、ネットで調べて北見の河川公園とだけしか判らない、私は相棒がてっきり調べ上げて出かけているもんだと思っていて、のんびりと彼が会場を探し回るのに、車の助士席に座って構えていた。
それにしても、相棒がまだ現役で土曜日の夜遅くまで仕事をしてから、今日の午前2時に迎にと言うことになっていて、2時に出発して北見に7時近くに到着していた、それからペタンク会場探しに小一時間かかってしまった、最後は知人に電話し大会主催の会長の携帯番号を教えてもらい、それから誘導してもらい、現場到着時間は8時近くになっていた。
大会出場を決めたらは、自分で困らないよう調べ上げておくのが当たり前だったと、自分の落ち度を痛感させられた。反省しきり。
それにしても、矢張り北見は熱かった、コートは砂混ざりでブレーキがかかり、なれるとやりやすいコートと思ったが、相棒は始めてのコート、私も慣れるのに少し時間がほしかった、第1試合は力が一番あるチームだったが、8点まで取っていながら最後は不運にもピュットが移動し、それでもチャンスがあったが、何せ相棒がコートの癖を見逃してしまい悪球となり、相手に余裕を持たさせた事で敗因に繋がってしまった。
それからも、調子に乗れず予選1勝2敗で決勝に進めなかった。
後でゆっくり、敗戦の分析をしなければと・・・・昼食を執った後、札幌に向って帰路に着く、札幌到着午後6時は過ぎていた。
昨日から、一睡もしないで10時間にも及ぶ車移動は、運転はしないにせよ76歳の爺さんには可也きつかった、出来ればもう少し余裕のあるペタンク大会参加を節に願っている。
行き帰り、石北峠付近でえぞ鹿の交通事故の現場に遭遇、生々しい死体、内臓露出、4件の事故現場がありました、これでは夏休みで車が頻繁に往来する季節になる、何匹の犠牲なのか、はたまた間引きなのか、尊い命をと思うと心が痛む。ペタンク爺さん

今年の最高気温か

2010年06月26日 15時11分30秒 | ペタンク・練習
昨日からの、気象庁の予報では、札幌でも31度になると報じられていた、土曜練習会が五区公園で昼から予定していたが、この暑さでは出てくる人が居ないと思っていた、それに朝早くから公園内にテントが張られていて、何かイベントが始められると土曜日だけ無断使用している公園なので、中止しなければと、テントを管理している団体に問い合わせをした、所が何処かの企業の労組が今日札幌ドームで始まる野球の団体見物の一時集合場所に使用します、午後1時頃には終ってテントも撤収していますとの関係者の話だった。
早々と、本間さんから親戚で不幸があり欠席と連絡が入った、はやり今日は誰も来ないと思った、それでも妹と二人シングルのハンデー戦を繰り広げる、この春大々的に公園の周りの木々が剪定をされてしまっているので、何時もなら夏の昼下がりは木陰で出来たペタンク練習も、すっかり梢を落とされた木の少しばかりの木陰で1時間ほど練習をこなす、明日北見で開催されるペタンク大会に、我がグループから1チームだけ参加するので、少しでと始めている所もある。
相棒は、まだ現役の中堅どころで近頃めっきり力を付けてきている藤井氏で、土曜は夜遅くまで仕事で睡眠時間無しで午前2時には私の所に迎に来る、私もこの辺の年齢時代は良く一晩くらて寝ないで遊んで歩いたと、昔を回顧している。

練習は、熱かったので早々に切り上げ、プランタンに花の種を蒔いていたのが、結構大きく成長してきたので、花壇の空いている所に移植をやった。
ベランダに置いてある、ファッションフルーツ多分東京から送ってもらったものと思うが、今年で5年くらい経っていて、何時も2、3個の花目が付くが今年に限り10個を超える花芽が付いている、全部実が付くとは思っていないが、沢山実が付いてほしいと願っている。

俄か新聞記者

2010年06月25日 15時46分08秒 | ペタンク・日常
創造学園の専攻科もあと数回で、一学期が終わり夏休みに入る、二学期は9月なので一月以上のお休み、その夏休み前にして7月20日に創造学園新聞の第三号を発刊する手はずにしている、今回は新聞部主体の記事まとめにして、課外活動やクラブ活動の取材に廻って記事を纏めようとしている、22日の小樽文学散歩に続いて、学友が二人お世話になっているフォークダンスクラブの、今日は新聞取材となった、予め代表初めダンスの先生から取材許可を取っていた、今日は夜中の3時からワールドカップのサッカーで日本が勝ちあがり、日本中が熱気を帯びていた、気温も札幌では29度まで上がるとテレビは云う。熱かった。

午後1時少し前、公民館の体育館に到着する、公民館の関係者にもご挨拶に立ち寄る、まだ始まるのに時間があったが、三々五々若々しいユニホームを着た、昔のお嬢さん達が集まってきていた、クラブの会長やダンスの先生には、電話だけだったので初めての対面となり、ご挨拶をする、会が始まる前に急遽、私のことが紹介され、皆さんの前で簡単なお話とご挨拶をした。
丁度、13時から始まり途中休憩が入ると言えど、15時まで、10曲近い音楽にあわせ踊りまくったと私の目には映りました、平均70歳と言っていました、最高齢者は87歳の女性で、創造学園には今から20年も前に卒業した方と聞きました、さすが今は椅子に座ってみんなの踊りを見る楽しみだけに通い続けているそうです。

しきりと、私に勧誘をなさっていましたが、矢張りペタンクが優先する、爺さんです。

都会の中でお百姓さん

2010年06月24日 13時01分41秒 | ペタンク・日常
竹内キサさん、名前から想像しても高齢とイメージは拭えない、平成のみよには間違ってもこんな名前を付けないと思う、時代背景に名前の付け方は変化してゆく。
そんなキサさん、亡妻の従兄弟の連れ添いで、元々親達は滝川辺りで百姓をしていたと聞いている、ほとんど親同士で決めたのか、竹内家の長男の嫁になっている、夫は戦争で満州辺りに行き鉄砲の弾の下を潜り抜けてきたと、時には話していた。
現在86歳で、まだ週一回老人大学のサークル教室で習字の指導を続けている、この爺さん全く百姓は大嫌い、親が他界すると田畑を売って早々と札幌に出てきた人だ、私の円山時代だったので40歳頃からの付き合いになっている。
長男の嫁さんだったので、連れ添いのキサさんは大変な苦労をしてきたと思う、決して恵まれた生活環境とは云えないと思うが、根っからの明るさと頑張りやさん、一時は呉服のマネキンをやっていた、和服の似合う秋田美人系で、言葉がその訛りで話すので、判ってしまうが黙っていたら京美人に見えてきていた。
じっとしている事が出来ないキサさん、家の周りは花で一杯、その上足りない所はプランタンを使い狭い所で野菜などを植えている、結構野菜等は自家製を食していると思う。
私も、花つくりをしているが、そのノウハは此処から仕入れさせてもらっている。
兎に角、土作りから始まり無駄の無い作業手順に舌を巻くしかない、そんな都会のお百姓さんのキサさんです。
もう一つ、元気の秘訣は週一回のフォークダンスの会の中心にもなっている人です。

最初で最後の富士登山か?

2010年06月23日 15時56分34秒 | ペタンク・日常
数年前からぼんやり考えていた富士山の登山、聞くと一生に一度登れば良く、二度と登らないとも一部では云われている。
はや、人生の半ばをとうに過ぎ去り、殆んど北海道人に成りきっている自分、この土地に骨を埋める運命は、もはや変わる事は無いと思う。ただ日本人であれば一度は富士登山と思いをする人が大勢いると思う、私もその1人に漸くなった、死期が近づいたと簡単に言えるものではないが、体力、気力の衰えの感じは、60歳台とは、全く違ってきている、どちらかと言うともう、80歳に近づきつつあり、トレーニングを積んだからと言って来年になれば体力が回復するとは、絶対無いと思っている。
それではと、この春早いうちから、気持だけは高めてきたが、山菜取りで古傷の膝靭帯を少し痛めてしまい、早々とフレーキがかかった。それでも、気力だけはと奮い立たせ、とうとう富士登山決行を決めてしまった。大きな決断だった。

この、富士登山は私一人ではとても実現する事は無かったと思う、東京の八王子にいる次男坊夫婦がサポート役に付いてくれる、それに同伴に小学生5年と2年生が一緒に登る、その昔夏休みに始めての親子三人での、旭岳スキー合宿、山頂裏の熊岳テント場まで、早朝山頂ロープウエー駅を出場し到着は夕方になっていたと思う、それからテント設営し、一週間のスキーキャンプ、若かった、腰のヘルニア手術後の強行軍だった。
それから何年も、夏休みはスキー合宿が続けられてゆきました。

今日、ネットで東京行きの航空券の手配が付いた、出発は8月2日で帰りは8月7日と決めた、帰りは夏休みと北海道観光や里帰りと重なり、安い航空券の入手は困難を極めた、結局ADOの道民割引を利用する事にした。まずは、やれやれ。
早速、登山準備にかかる、気が早い、今の所何も買い足すものは無いと思っている。
靴は、三十年以上の休眠から目を覚まし、息を吹き返している。

なんたるいちば

2010年06月22日 18時47分17秒 | ペタンク・日常
今日、学園の視察研修「小樽文学散歩」のカリキュラムがあった、朝9時公民館の前からバス二台に分乗して出発した、数日前から今日のお天気は約束されていた、そのせいか参加してきた人たちは、子供が遠足にでも行くような、華やいだ雰囲気をかもし出していた、個人では小樽くらいは誰でも行っていると思うが、大勢の学友達と尋ねる文学散歩、全く違った感覚で見て廻ることと思っていました。
この企画は、何年も続けて行われていると聞き、変更されないと云うことは好評の証と思った。

最初に尋ねたところは、塩谷のゴロタの丘「伊藤整詩碑」、昼食後、小樽文学館で学芸員よりオリエンテーションがあり、おまけに、向かいの日本銀行に立ち寄り、金庫を見たり一億円を持たせてもらったりした、次に旭展望台に登り「小林多喜二文学碑」と小樽市内を展望する、天狗山にはスキーで何回も登ったが此方は初めて登ったところでした、そのあと、小樽公園内の「石川啄木歌碑」に、最後は公会堂の能舞台を見学、ここでもこの建物全体の以来等のお話や、大正天皇の泊まった部屋などを見て廻りました。
個人で来ても、なかなかこのように効率よく見て廻ることは出来ない、これは団体行動のよい所とつくづく思いました。

さて、昼食と自由時間の二時間を利用し、駐車場からタクシーに乗り換え旧なんたるいちばに向った、と言っても妹1人をつれての単独行動で、その昔、魚釣りに向う国道筋のなんたる市場は、魚の餌の秋刀魚やイカを仕入れる大事な所で、序に食料も仕入れていた所でした、昔は大変流行った市場だったが、海岸方面に大きなショッピング街が出来たので、そちらに新なんたるいちばが誕生した、私は、旧なんたるいちばのファンだった、たまに来ても必ず立ち寄っていた、空き店舗が目立つときも有ったが、今日立ち寄ってびっくりした、空き店舗無し、昔の盛況を少し取り戻していたのです、嬉しかった、多少なりと干し宗八と揚げたての天ぷらかまぼこを仕入れ、其処から新なんたるいちばに歩いて移動する。
其処では何も買わず、隣のウイングベイ小樽の鮨処「魚一心」で鮨を注文したが暑さの為食欲がぜんぜん無かったのが気にかかった、帰札は午後5時になっていて、夕食は近くのそばやで済ませる。

小さな句会

2010年06月21日 15時27分29秒 | ペタンク・日常
今日6月の句会日だった、小さな小さな句会で、創造学園の正式なサークル活動として認められていて、もう10年は超えている団体です。
会員は今の所、先生を含めても全部で9名ほど、その内に病欠等で出席者は、更に減る、今日も結局5名だけの句会となった、先生は80歳を超えている女性で、20年も前に夫がやっていた句会の後を引き継いで、会を運営し今日まで至っている。
先生自ら月750円の会費を納めている、お話では、60歳から俳句を始めて20年経ちました。皆さんと同じで日々勉強と仰っている可愛い先生です。

月寒にある、公民館を利用しているので二階の階段の踊り場に、各サークルの小さなポスターが貼られているが、私が関係している、句会のポスターと、この度新しくサークルの仲間入りしたペタンククラブ「Ecole de Creatve」のポスターも仲良く張り出されている、これを見ただけで、そう簡単にはクラブ員は増えないが、兎も角微かでも宣伝になっていればと期待をしている。

今日選句された一句
夕闇や 太鼓の音で 浴衣着る

60歳からの手習い

2010年06月20日 13時22分56秒 | ペタンク・試合
ねんりんピックのペタンク大会は、60歳にならないと参加資格は与えられない、私が60歳で参加したときで第7回大会となっていた、それから今日まで数えると24回大会が石川県なのかと思う、60歳から出られるといっても、その前に有る程度下地がないと、そう簡単に県の代表にはなれない、私が今関係している老人大学の友達だけで、札幌代表を狙っている、ほとんど今年から始まったペタンク歴では、今いる札幌のシニア組みには勝てない、それぞれペタンク命と云う兵もいて、容易な業では勝てないと思う、ただ女子が入ったトリプルスなので、チームワークの良いチームが出来上がると、勝ちあがる可能性が大になってくる、そんな思いを胸に、真新しいチームが、初チャレンジした、今年は兎も角来シーズンの肥やしになれば、と言う思いが一番強かった、寄せだけのチーム同士では先行する最初の二球でほぼ勝敗の8割かた決まると云っても過言ではない、それでも練習のつもりで、二人の相棒に1ゲームごと先行をさせて緊張感を味あわせた、何といってもキャリアの差は、致し方なく、相手チームと競る所まで行けなかった、3試合目は私が先行し、ボールの置き方を身をもって教えていった、そんな手の内を全て晒しての試合では、それに相棒の二人が私が投げ切った後の始末も出来ないので、勝利に繋がるゲーム運びは出来なかった。
それでも、技術は伴わなくても試合中の心のコントロール、イメージを大事にし精神状態をいかにベストに置いておくかが、どんなスポーツにも相通じると指導した。
今日から始めよう、一年間を飽きずにペタンク練習を目標に掲げようと。
そして、来年の熊本大会にはと。・・・・・・・
写真は、第7回ねんりんピック四国香川大会の準決勝戦。

16年ぶりのねんりんピック

2010年06月19日 18時50分31秒 | ペタンク・練習
厚生省が主催する、全国健康福祉祭ねんりんピックに参加してから、もう16年も経過しているのに驚く、そんなに年月が過ぎている、相棒の女房も他界している、60歳は若かったとつくづく思いを新たにしている、その女房の初めてで最後になった写真入の新聞記事がある、今回ねんりんピック札幌予選に参加する事になり、急遽引っ張り出してみた、本当に元気だったあの頃を思い出している。
札幌代表になり全国ねんりんピック四国香川大会は、当初から札幌チームは優勝候補と噂されていた、練習も積んでいたので自信もあった、ベスト四まで勝ち上がり、準決勝も途中までリードしていた、魔が差したのか勝ちをむさぼったのか、男達は欲張った、勝利の女神が逃げてゆくのが見えた、ビュットが移動し相手のボールの方に、そして大量点を失ってしまった、それからは勝運は相手チームに移ってしまった。
その時の失敗した出来事は、事あるごとに女房に引っ張り出され往生していた事を思い出す。なんとも、苦い思い出となってしまった。

今回は、全国大会の会場は石川県とのことで、当初から出るつもりが無かったが、事の成り行きで参加する事になり、急遽1人が出られなくなり友人の本間氏に代役を頼み、今日の練習会となった、相棒は二人とも私より可也若いがキャリア不足は致し方なし、今年は兎も角来年の熊本大会を目標に、明日は楽しんでこようと思っている。


桃源郷もどき

2010年06月18日 15時56分47秒 | ペタンク・日常


二週間ほど前に、我が終の棲家と決めている団地裏で、春のレクリエーションで恒例の野外パーテーを開催した、今年から参加200円を徴収とした所、参加者が少し減ってしまった、これなら来年は又無料にしようよと言う話まで出た、焼肉、焼き魚、焼きそば、スイカにツイーストまで用意され、それに生ビールが出るパーテーで、何時も藤が満開の下で行われていたが今年は、咲き始めたばかり、自治会ではテント、机、椅子を自前で持っていて、テントなどは一年に一度の出番なのです。
この日は、少し寒かった、それから二週間ほど経った公園(団地内専用)は、名前は判らないが芝生の中に赤い花がびっしり咲き出していて、我が世の春か桃源郷モドキをかもし出している、この所漸く気温が上昇してきて、それぞれの花壇の花が一斉に咲き出してきた、それぞれの花の命は短くても、代わりに次の花が咲く、秋まで花で彩られる、みんなの広場です。

冬は、自前のクロスカントリースキーのコースに変わります。

40年にも近づく代物

2010年06月17日 14時47分46秒 | ペタンク・日常
愛車の部類に入るのか?、購入時期は40歳頃と微かに記憶にとどめている、当時住んでいた円山地域に先進的な店の小野自転車さんがあり、此処から買ったと思っている、値段は当時でも高く7万円だったかと此方も記憶は定かでない、種類はMTB自転車でギア比率は1対1で、普通の自転車のようにスイスイと走れる代物ではない、オートバイのトライアル用の練習機種として生まれたのかと思っている、私もこの後ヤマハのトライアル250を持つことになる、そんな歴史のある我が家の自転車、とうとう手放すことなくいまだに、壊れないで現役で鎮座ましましている、今年は山菜採りに自転車は使用しなかったので、今日今年初めてのサイクリングとなる、一冬自転車小屋に放置されていたので、タイヤーがペシャンコ、空気を入れてみたら別段空気も抜けず、早速現役復帰となる、手始めに町内会当然の八紘学園の校舎の敷地に出かける、今日は直販所も週一回の定休日、ひっそり、こうてい疫問題が此処まで影響していて、牛舎近くは立ち入り禁止になっていた、又、7月から始まるアヤメ園の売店コーナー作りが始まっていた。
昨日は雨の1日、今日も朝から曇り空、静けさが漂う八紘学園でした。

一句 :杜若 雨に打たれて 花光る

雨の中の札幌まつり

2010年06月16日 17時14分43秒 | ペタンク・日常
五月の三吉神社の祭りが雨が降らなかった、これは北海道神宮祭(札幌まつり)は雨になると昔から言い伝えられていた、祭りの最終日に神輿が街に出てくる、主だった所を廻って南1条4丁目に一時休憩する、此処で式典が行われ賽銭箱も用意される、円山まで行かなくてもお参りできる年に一回の出来事です、四丁目に来る時間に合わせ出かける、早めに出て昼食はお決まりの海老天四丁目支店で天丼(650円)を食べる、ここの所この値段は変わらないで頑張っている。
時間三時に合わせ、近くの店をぶらつく、時間が迫り表に出ると矢張り雨が降り出していた、地元4プラ商店街と狸小路商店街の神輿が、わが意を得たりと元気に神輿を担ぎ練り歩き、いやがうえにも祭りを盛り上げていた、此処だけは雨は関係ないようだった、帰り際丸井今井まで道路を歩き、札幌全市の山車が集まってくる様を横目に地下鉄で帰路につく。

中島の夜店廻りは、今年は雨のため中止した。
無論、今年も北海道神宮には参拝に訪れなかった、お祭りと神社は関係ないのかと。
反省しきり。