ペタンク爺さん

ペタンクで遊ぼうよ!で20年

下町風景の山鼻温泉

2012年12月31日 18時24分57秒 | ペタンク爺さんの一日
札幌市内の現在の銭湯入浴料金は420円だ、時たま訪ねている銭湯は、札幌市内で最も歴史のある地域で、昔ながらの商店街が残る「山鼻東屯田通り」・・・から路地に少し入った場所にあります。
以前は温泉を利用していない銭湯でしたが、平成2年に温泉を掘り当ててからは、温泉銭湯となっている。
この辺りは大歓楽街ススキノにほど近く、必然的に入れ墨者も多く今日も入浴者の中に高齢の入れ墨を入れた人も居た。
私の小学生時代の銭湯には三っの物が有ったが、全く同じものが山鼻温泉屯田湯には現存している、衣服を入れる丸い籠、台量り、それに牛乳だ、いまだにその風情が残っているのがうれしい、と思うのは、もう昭和の初めに生まれた人だけかもと思う。
もう二年にもなるが、夏に東京の八王子に住む次男坊の所で数日泊まった直ぐ近くに山鼻温泉屯田湯よりまだ古そうな銭湯に入っている、時たまロケにも使われていると聞いた。

今日も何時もの夕食時間は5時で、この後年越しそばは食べれないと豊平の更科そばにローテンションを狂わして昼飯にもりそばを食べに行く、写真の通り卵やおにぎりまで付いてくる蕎麦で、シニアには少し多すぎると何時も感じているが、完食はしている。
蕎麦のチャレンジメニューのポスターを発見し、写真に収める。

昼ごはん後、豊平の東光に立ち寄り魚屋の一心で年越しの寿司を買う、このパターンはもうお決まりになっている、銭湯開店まで時間があるので向かいのビバホームに立ち寄る、思わず残り少ない財布の中から大金1980円を出して組み立ての木製そりを買ってしまった、イベント等で車の入れないルートに利用できる、との判断で即決だった。
それにしても、国産でないが之だけの製品をこの値段でと驚きに値する。

山鼻屯田湯
チャレンジメニュー
もりそば
木製折り畳み橇1980円



380円の恵庭温泉ラ・フォーレ

2012年12月30日 18時05分16秒 | ペタンク爺さんの一日
数日前から、年末年始は日帰り温泉三昧をぼんやり考えていた、と云っても500円、600円でもう高いという感覚になり銭湯並みで入れる日帰り温泉が私のお目当てだった、一番大衆化していて近代的な施設を持っている「北のたまゆら」が姉妹店を各地域に持っていて、入浴料金も銭湯並みで顧客の獲得数は札幌一番と思う、元旦の朝風呂もあり一般庶民には嬉しい温泉だ。
近頃少し足が遠のいている、施設は全く銭湯で料金も銭湯料金なのだが温泉が出ている山鼻屯田温泉、レトロナ感覚で昭和の良き時代を感じさせる銭湯温泉だ、ただ山鼻温泉もたまゆらも一度出たら再料金を払わなければならない感じ、上がってから休憩場所がない。

その他に、のんびりと銭湯利用金で丸一日昼寝しながら温泉に出入りできる温泉がある、少し離れた隣の町の恵庭で、通いだしてからこう20年は経過しいてると思う、最初は600円だったが一年くらい前から料金が下がり銭湯並みの380円で入浴出来、畳の休憩室も完備している、今日は11時の開店時間に合わせて札幌を出た、生憎みぞれ混じりのべた雪が何時の間にやら雨に変わっていた、途中正月食品を買うお客でごった返している魚半に立ち寄り手巻き寿司を買ってゆく、恵庭にはデパートが無いのでここがその役目をしている。

温泉ラ・フォーレは比較的空いていた、お客さん同士の話している内容で家族連れや地元の人たちが殆んどのように思えた。
この温泉は、露天風呂だけが温泉で少しぬるめの為長い時間入ることになるのんびり入るには、此処の温泉に限る。
帰りは3時に出てくるが、北広島の三井アウトレット付近で渋滞に巻き込まれ恵庭から自宅までたっぷり1時間かかる。

玄関前で
魚半で

橇作り幼児の部は画竜点睛で

2012年12月29日 17時34分52秒 | 橇爺(そりじい)モード
2月17日に開催される「第7回とよひらおもしろスノーパーク」の橇部会を受け持つことになり、朝10時から始まり午後2時までの4時間の間に、子供たちを集めて橇作りの指導、出来上がった橇で試走と橇遊び後半の最後の1時間くらいで出来ればソリクロスまで発展できないかと思考を続けている、イベントの最後に橇競技を持ってくることで盛り上がることが想像できる、開催日まで打ち合わせもあるので学生さんたちのアイデアも採用しながら、この真冬のイベントをビックなイベントに育てて行ければ夢を膨らましている。

橇作りの会場はメーン会場に橇部会のテント設営も決まった、先日の話し合いの中で子供たちに直接製作指導するのは大学生が10名で、交代制で指導するが指導する人数は限られて来るので、その辺を受け付け順で締切、あとは製作するパンフレットを渡すだけにと、この辺まで話が進んだ、短時間で作らせるために材料組み立てるだけのキットを用意する、それでも橇製作は小学生以上の能力がないと難しいと云うことになり、完成品30個くらい用意するということになりそれを私が引き受けた、今日から本格的に作り始めることにしたが、作業場が現在は完全に居間に入り込んでいるので、畳が傷むと云うことで作業場にジョイスントマットを敷く、当日は幼稚園児も主役になっている、そこを考え此処は老人が出番でないかと、シニア大学創造学園の同期に呼びかけ手伝ってもらうことを考えている。

私の担当の橇完成品を、最後の一か所の仕事を残したそりにして龍の目を書いてもらうように、幼児に最後の仕上げをしてもらい完成させるでは、幼児も喜ぶのではないかとお節介爺さんの浅はかな知恵です。
このコーナーには、我が家の簡単組立テントの出番も廻ってくると思っている。
このスタッフには、お婆さんもいるのだが、何せ寒い野外活動なので、今から何ともご返事できないのが現実か。

サンルーム今年最後の20℃か?

2012年12月28日 18時16分24秒 | ダンスモード
今日は、朝早くからお天気が良かった、本当に久しぶりに感じられた太陽熱が隙間だらけのサンルームに照りつけガラス戸を通して居間まで伝わって来ていた、寒暖計を見るとほぼ20℃を指していた、何時ものことだが1月も半ば頃をを過ぎると太陽の見える位置が少し高くなってきているのが判ってくる、太陽が近づいているように感じるのも此の頃からだ、今年の冬将軍の本陣も旗本を伴って12月から到着し、その上居座っている感じだった、そんな気象条件にも関わらず、ビニール一枚のベランダ仮温室、今日の外の外気温は最高でマイナス2度その中にあって20度を保っているベランダは3月末頃から4月に入るまで壊さないので置くので、小さい狭いながら我が家の宝物だ。

早々と、サカタのタネ屋さんからカタログやらメールで情報が流されてくる、カタログやネットを見てからの買い物は小正月が過ぎたあたりからと考えている、お正月ののんびりした時間に買い物リストを用意しようと思っている。
待ち遠しい春に向けて、あれこれと思いめぐらすのもお近頃の正月の過ごし方、こうひとつ日帰り温泉の空いている所を狙って出かけるのも我が家のお正月になっている。

もう一つ、初日の出を見に藻岩山にと考えているが、31日の大晦日が大雪らしい太陽が出ないのと降りは新雪の中を橇滑走も視野に入っているが、天候が思わしくないのでこの計画は計画倒れになる公算が大きい。

2012サヨナラパーテーが北沢ダンススクールで開催された、全く自信がないがスクール仲間の末席にいる、自分を押し出すように参加する、先日のクリスマスパーテーより少しは良い所があったと自分なりに評価している、私の今年のラストダンスはスクールの若い先生とブルースを踊って締めくくった。
楽しい、イメージを壊さないで帰路に着く。・・・・・来年はもう少し上手になろうと・・・・

私の趣味の世界は、ペタンク、山菜キノコ採り、橇、ダンスと四種になっている、どうもカーリングが割り込む隙がないようにも思える。

北沢ダンススクールのスタッフ




若い世代とのワークショップ

2012年12月27日 18時22分45秒 | 橇爺(そりじい)モード
先日のおもしろスノーパークのワークショップ討議から、私の加わる橇部会て二校の大学生から10名と関係者それに区の担当者と児童会館の館長も加わり会が始まった、会場は幼児から子供達が会館の中を飛び回っている一室が会議場になっていて、仕切りもないので時々子供も首を突っ込んでくる慌ただしい所だった。

私はの担当の部分と、学生さんにやってもらう部分の仕事の分担と資材は区が用意することに決め、いよいよ学生さんたちの前で自作の橇キット取り出し組み立てて見せた、イベントの当日は私が直接子供たちに橇作りを指導する訳でなく、間接的に学生さん達に組み立てを教え、当日は子供に組み立ての指導してもらうと云う段取りで、札幌大学、学園大学の各5名が子供たちに教えて行くとにする。
学生さんたちは、別イベントもやっているので交替で橇製作にかかる時間はそれぞれ1時間、10台くらいづつ作らせるのが限界かととも思えるが、なにせ第1回目なので皆目見当が付かない、そこで完成品の橇30台を私が作ることにした、当日までひと月以上あるので多分出来ていると思う。

昨年度の人の集まり具合を予想すると、橇作りの申し込みは制限しなければならないと結論付け、それに応募できなかった子供達には橇の作りかたのパンフレットを全員に配る、原画は札幌大学が引き受ける。

イベントの後半の1時間は、橇大会を(橇クロス)を私が提唱する、次回までに各意見もいれまとめることにする。
打ち合わせが終わり、待ち構えたいた様に橇すべり橇すべりと騒ぎ出す、館長は防寒具を着ている子供達だけを連れて近くの公園に、札幌の公園には月山がありそこが会場だった。

学生も参加しているので、橇と子供たちの扱いも実践できて有意義だったと思っている、短いが動画を撮りYouTubeにアップする。平岸児童会館の子供達と橇遊び  此処から動画へ     

橇遊びに夢中


橇文化のプレゼンテーション

2012年12月26日 15時11分03秒 | 橇爺(そりじい)モード
2013年度から加わることになった、豊平区主催のスノーパークで【目的】開催目的は冬期間の野外での健康体力作り、地域住民の交流促進まちづくり活動活性化、月寒公園利活用促進になっている。
昨年までで6回を重ねているが、新しい趣向を考えてのタイミングで私の橇も加わるが、提唱する橇文化の発信元はたった一人で活動している橇爺さんの遠藤で、組織となると頭脳の頭だけて動いている物体、これに手足が付かないとこの物体は動き出さない、そんなチャンスを秘めての動きが始まっていた。

明日午後から、平岸児童会館で橇部会らしい会が開催される、会館の子供達と関係者、大学から札幌大学、学園大学の学生が集まってくるはずだ、先日の全体会議にも橇の現物を持ち込んでいた、今回は実際に使う子供達も仲間なので、私のこれまでの橇オールと子供たちに作ってもらう簡単橇の完成品とキットを用意して行くつもり。
目の前で、キットを組み立てを予想し工具材料も持ち込むつもりだ。

それに、パソコンではないがプレゼンテーションを印刷し用意する、これで橇に初めて遭遇することも達にも少しは分って貰えないかと思っている、兎に角どんな会になるのか皆目見当が付かないので出来る準備を終えている。

児童会館から比較的近い所に、小山があったのを記憶していた、HTBテレビ局の横に公園で周りはすっかりマンション群に囲まれていた、公園も住宅地になっているのかと現場視察に行く、幹線道路からは死角になるのか公園があるのか不思議な空間が残っていて、嬉しい事に公園は昔のままだった、久しぶりに見る公園にこの平岸高台公園は橇コースとしては月寒公園よりランクが上で、ジュニア橇コースとしては素晴らしい雪山になると視察結果だった。
実際に、滑るのを想像しながら帰路に着く。

明日が楽しみだ。

リュージュ
ボブスレー
スケルトン
橇文化
平岸高台公園





年の瀬も迫る

2012年12月25日 19時26分17秒 | ペタンク爺さんの一日
今年もとうとう街中に出ていく要件が出来、車を動かした市内へは国道36号線で豊平橋を通過して入って行くルートが一番利用されていると思う、この道路のすぐ裏に添ってに二条線があるが豊平川を渡る直接の橋はないので豊平橋か一条橋に廻らなければならない、36号線と近い事もあり少し道に詳しい人はこのルートに廻ってくる、お蔭でこちらも国道並に詰まってくる、滅多に街の方には向かわないが暮れ近くになってからも出かけることがあったが、兎に角今年の12月は雪が多い車の渋滞はどうしようもない状態だった、先日大通り東4丁目のサクマ紙専門店に行ってきた時に、東北通り延長線上の一号線を利用した、道路は狭いが一本道で豊平川堤防にぶつかる、そこを右折し一条橋から大通りに出るルートを走ったみて、記録的な速さで往復で来ていた。

この、秘密ルートではないが今日10時30分過ぎに大通り四丁目方面に向かっていた、左折し三越の駐車場へ入るつもりでいたが待っている車は一台も居なかった、直ぐ車を入れ要件を済ます、久しぶりにデパ地下巡りもしたが大した買い物をするわけでもない、昼近くになり姪っ子夫婦が出している飲茶「はるのそら」にあんかけ焼そばを食べに出かける、東急ハンズの隣のビルで店を出している話をかけると開店し五ヶ月経ったと云っていた、ランチ時間なので満席とは行かないが居る間だけでもお客さんの出入りが続いていた、一品料理の代表のあんかけそばだったが、矢張り専門プロの料理は最高に美味しかった。
難を云えば、シニアには量が多くて大変だったので、同行の妹と話し次回から一人前とって二人で食べて、少し足りない所は好きな飲茶を一品とって食べる方法にしないかいと、相談の末決まる。
何時になるか、次回を楽しみにしている。

男の料理編
おせちに挑戦する、田作り一品目と黒豆を作る・・・・出来栄えは、自己満足だけ。
数の子は難しいので味付きを少々。
今度は酢の物に挑戦するつもり。

多分、おせちは最初で最後かも。

あんかけ焼きそば
三越前の年の瀬風景
男の料理おせちに挑戦

初めてのクリスマスダンスパーテー

2012年12月24日 18時06分21秒 | ダンスモード
ダンスの世界に首を突っ込んで1年は過ぎた、今年はとうとうクリスマスパーテーに参加してしまった、サークル等でステップだけ身に付けても、それに同じレベルの同期の仲間間でのパテーではお相手の力量レベルがお互いに判っているので、気安く誘ってダンスの初心のイロハで楽しむことも出来る、もう何年も前から始めていたお相手は、物凄く個人差があり、人の優しいさが分ってくる、それゆえ踊りを申し込む相手は私の好みで決まってくる。
サークル仲間でも、今の所限られた人たちになっているようだ。

自信持って、女性をリードする力が備わっていないので当たり前と云えばその通りと云うことになる。
午前中は、サークル(スワン)のパーテーがあった、2時間完全に踊れない種目を含め踊りの輪の中に仲間入し、そしてラストダンスは優しい友達と踊れて嬉しかった。

午後からは、北沢ダンス教室のパーテーが14時から開かれた、私もこの教室の生徒さん、まだまだデビュー出来るようなレベルではないが、くそ度胸をつけるにはと参加していたが、シニアのサークルとは違いベテランや質の高い生徒たちと思った、レッスンなどで踊れる種目も全く初めての人との本番では、練習の成果は一向に出てこなかった、正常な普通の心境では踊れないことが一番難問題だった、余裕がないので少しの躓きで踊りが台無しになる。

それゆえ、ますます自信を無くしている自分を情けないと思う、完全に覚えきったブルースの曲が掛かると教室の若い女の先生が4~5回先生の方から誘ってくれた、最近になりようやく無意識でも踊れるようになったのは、ブルースの他マンボだけだ。
今の所、頭で考えなくても踊れるようになたいのがルンバで、続いてワルツ、タンゴと欲張っている。

先生の模範演技



札幌の積雪量60センチを超える

2012年12月23日 17時50分41秒 | ペタンク爺さんの一日
今年の暮れほど降雪に悩まされている札幌市民、久しぶりの大雪雪害に悩まされていると思う、当団地も例外でなく玄関や駐車場の除雪した雪の置き場だが、大雪を予想していたように裏の公園の雪置き場を考えていたようだった、秋遅くなって広場のベンチ2台と遊具が撤去されていたので除雪車の回転場所が広くなっていたお蔭で、公園の奥の方から雪の積み上げをしているので、多分春まで現在のスペースで間に合うと予想している。
公園の真ん中に歩道が付いていて、真冬でも除雪し道を開けている、このルートを通り抜けて裏の銭湯月見湯へ行くのに車道を避けて歩ける、結構利用者がいるので除雪は欠かせない。
今の所頻繁に除雪車が動いているので、現在は子供の遊び場所として利用出来ない禁止場所になっているが、雪が安定し雪山に積み上げられなくなったら、子供の橇滑り坂をオープンしようと思っている。
市営団地でも、これほどの広さの専用公園を持っている所は数少ないと思う、いずれクロスカントリースキーのコースもオープンも考えている、使い勝手の良い団地です。

先日、テレビでプロが使う冷凍食品の解凍方法の伝授され、実験材料としてスパーで最も安い冷凍の鶏の足を2本買ってきてあった、昨夜早速鶏足2本をカップ4杯を沸騰させ、同じ量の水をカップ4杯を混ぜると50度のお湯が出来上がっていた、鶏足を入れ解凍すると生肉状態に戻っていた、全く生肉そのものだった、今日は焼き肉の垂に2時間ほど漬けてから久しぶりのダッチオーブンの出番となった。

火元は小さなコンロを使っての焼が始まり、時間は40分ほどで焼きあがった匂いがベランダのサンルームの部屋を満たしていた。
匂いもさることながら、早速試食してみる・・・・・最高。
今日の料理は一人前180円程度だった、安い、安い。
・・・・・それに旨かった。

今年中に、もう一回くらいダッチオーブン料理をと考えている。

歩道も整備
ダッチオーブン料理完成
鶏足旨かった



さっぽろから橇文化の発信

2012年12月22日 20時49分14秒 | ペタンク爺さんの一日
古くて新しいスポーツと位置づけ、北国の札幌から橇の未来に向けて冬の遊びと競技性のあるスポーツとして現在オリンピック種目になっている、ボブスレー、リュージュ、スケルトンの三種目があるが、どれも簡単に一般の人が経験することは出来ない、そんな橇ではオリンピック種目と云ってもほんの一部の人が関わっているだけで、一般的な橇の普及には繋がることは無い。
ワールドカップまで発展している競技の野球は戦前から、サッカーもプロのJリーグが作られ隆盛を迎えている、野球は小学生、中学、高校と幼児教育から始まっている、サッカーなどは幼稚園児から始り、矢張り高校卒業と同時にプロとしての活躍の場も出来ている。
世界の普及スポーツは断然サッカーで、人気は世界一と思う、そうアメリカの野球を越えていると思っている、サッカーボール一個さえあればどんな貧しい国でも強い選手が現われてくる、そんな遊びを通してそのスポーツは発展し行く。

さて、北国でないと出来ない雪の中の遊びがあるがスキーより古い歴史がある橇が、一向に生かされていない子供の中に橇遊びがあるが、既成のプラスチック橇はおもちゃ感覚で操作性が非常に悪く、ゲレンデなどでは危険な乗り物になっている、チューブ橇の場合はコースをあらかじめ作りマイナスチ斜度まで用意しないと危険だ。
どちらも、橇に乗せてもらっているので乗り手がコントロールする所まで出来ない。

現在手掛けている手作り橇は、本体は発砲スチロールかスタイロホームを使っている、非常に軽いのが特徴で形も自由に作れる、それを今回は厚紙で滑走面を覆いその上からビニールて巻き込む、橇に紐を取り付けるのにべニアも利用し一緒に巻き込み、最後はお尻の部分はスポンジ板をひく、今日完成した橇はスケルトンタイプで、この橇の乗り方は子供のころ乗っていた男乗りの方法を指導して行くことにしている。
この乗り方は、橇を左右コントロールが出来る乗り方で、この乗り方を知っている人も少ないと思っている。

もう一台、同じ橇台を使ってボブスレーをイメージした橇で二人乗りにし後ろの人の安定に横に紐の輪を付ける。
27日に学生と子供たちに見せる意味もあり、すぐ組み立てられるキットにして持参することにしている。

これで、リュージュ、スケルトン、ボブスレーの遊びの橇が完成する。

二人乗りボブスレータイプ
三種目の橇も



軒先を貸して母屋を取られ

2012年12月21日 21時47分10秒 | 橇爺(そりじい)モード
そろそろ少しは暇が出てくると思っていたが、昨夜の深夜の布団の中で橇の改造のアイデアが2件浮かんできた、こんなことを予想し枕元の壁にメモ帳と筆記用具、それに真っ暗な布団の中でも物書き出来るルーペ(電池付き)を同じメモ帳の隣の壁に掛けてあり、それを利用しての筆記記録していた、過去の記憶の中で夜中の思い付きは朝起きると忘れていることが多く、ますます余す時間が短くなっているこの頃、アイデアなどは特に書き留めることにしている。

アイデアを形にしようと、早速店のオープンを待って出かけて行く、橇の材料は矢張りホーマックで薄いプラスチックを見つけ買ってくる、ついでに平岡の卸売りスパーと清田区のJAに立ち寄る、特にJAは一般スパーとは少し違った商品やら、販売方法も独特な方法でやっている、昔の個人商店の対面販売形式も残していて、ノスタルジアも感じて捨てがたい小売業と思っている。

昼近くになり、行きつけのうどん屋に立ち寄ったが昼時なのに閑散としていた、何時もなら行列も出るくらいなのにと思い、釜揚げうどん280円にして天かすとネギのきざみを載せだし汁をかけると立派なうどん一丁、兎に角うどんが旨いので常店にしている。

材料が揃い橇工房を開く、二年前橇工房はひっそりと狭い玄関の一部を利用しオープンしている、昨年から余り新しく橇製作が少なくなっていた、せいぜい修理と手直しだけで終わっていたので工房の不便さも気にならなかった、去年からベランダを利用してサンルームを作っていたので今年は、そのサンルームに工房を移した。
所が12月から、本格的な真冬状態が続いていて、太陽が出てこないサンルームは表の気温とさほど変わらない、今日はとうとう橇工房を母屋に移し作業を済ませる。
現在の橇はフラットなので、どうしても横滑りをしてしまう、スキーの溝の役割を滑走面に細いプラスチック板を貼ることで同じ役割が可能と結論づける。
簡単なテストをしてみると、私の考えは間違っていないことが判る、取りあえず5台のテスト橇を完成させる、近々冬休みが始まった子供達や、大学生にも試乗テストに参加してもらえるチャンスがあり期待している。

今夜は、札幌大学公開講座の最終日で桑原真人学長発行の修了証を頂く。帰りの夜道は真っ暗だった。

半分だけ改良
ベランダで出番を待つ
280円のうどん
終了証








社交ダンスのお浚い会

2012年12月20日 17時54分43秒 | ダンスモード
豊平区民センターを会場とした社交ダンスサークル「ボラーレ」に正式に入会したのが11月に入ってから、週一回で回数にして10回に満たないレッスンでの、今年最後の練習日が特別企画で会員全員のお浚いをやることになり、ダンスのお相手は女性は男の先生と男性は女の先生が勤める会だった、先週までダンス種目を各自登録してあり、私は一番簡単と思われたルンバを申し込んであった。

当サークルに入会する前は、現在白石区のサークル「スワン」に籍を置いて1年を過ぎてたが一向に覚えられないでいる自分に、一週間一回程度ではこの劣化している脳細胞は処理能力が低下している、それでは週2回のレッスンで覚える速度は倍と行かないまでも可也ハイスピードになるのかとの判断も、結局は掛け持ちになったが、思わぬ落とし穴が待っていたダンスのスの字も判らないで首を突っ込んでいるので、サークルごと同じダンス種目でも先生により組合わせが自由に変えられていたことが、後になり判る。

一度足を入れたこともあり、もうやけくそ半分何とかなるさと開き直りをする、塞翁が馬の諺をここでも実践となる。
正直、お浚いが始まり5番目に私の番が回ってきたが、先日までのレッスンにはまがりなりにも踊れていた、ただレッスンが終わり一晩寝て起きるともう忘れている自分に、半分愛想をつかしていた、しかしこのサークルでのレッスンは10回ほど、覚えられなくて当たり前と思っていた、一年かけてほぼ完璧に踊れるようになったダンス種目に「ブルース」があるが、最近のダンスパーテーでは殆んど曲が流れてこない、今一番覚えたいのがルンバだが、矢張り「スワン」と「ボラーレ」ではステップも違い頭の中で絡み合ってゴチャゴチャしてくる、なとかどちらのステップでもいいから完全に身に付くようにと自分自身を叱咤している。

今日は、二次会があり早く皆さんに溶け込めるようにとパーテー会場に参加する、途中から私の踊れるブルースもかかり踊りの輪に加わった、ようやくダンスパーテーに参加する。

お浚い会
お浚い会のパーテー

大雪が続くさっぽろ

2012年12月19日 20時51分40秒 | ペタンク爺さんの一日
現在居住している札幌市市営団地は、まもなく60歳を目の前にしての頃だった、山鼻地域から移り住むことになったタイミングも息子たちの独立を促した様に思う、この年息子二人は所帯を持っている、それから数えて今年は21年を過ぎていた、冬になり毎年の除雪費用が自治会の年会費の大きな支出を占めている、数年前までは建設会社と年契約で雪が数センチ降ると除雪に入ってもらうと云う約束なのだが、私達だけの団地ばかりでなく掛け持ちで受けているので、少し大雪が降ると朝出勤時に除雪が出来ていなくて大変な時もしばしばあった、それに2月頃から駐車場の端に山積みしてある雪の排雪をしないと雪の置き場が無くなってくる、トラックで雪捨てを頼むと別料金になり量の大小で料金も変わっていた、これが自治会としては頭の痛い所でもあった。

それにしても、当団地に移り住んでから12月にこれほどの雪の多さは過去に無い、昨年から除雪機をリースで置くようになって、最大の利点がはっきり表れた、12月に入り除雪車の出動は一週間に3~4回は動いていると思う、最も威力を発揮しているのが玄関や表側の駐車場の雪を集め裏の公園に上手に山積みしていること、これにより表側は綺麗に除雪が行き届き今までになく車の出入りも完璧に出来ている。

それにしても、オペレーターは若い自治会会長が自ら買って出ている、今日も朝早くから午後3時近くまで頑張って綺麗にしてくれていた。
今日の最後の仕上げは、公園の真ん中の歩道の除雪まで完璧に仕上げる、有り難い事だ。
裏の公園の風景も一変する、少し雪が落ち着いたら子供の橇滑りのコースでも作り上げるかな?と雪遊びのことも視野に。

団地裏の公園
小型除雪機も稼働
公園内歩道も除雪

2012ペタンク納会

2012年12月18日 18時40分39秒 | ペタンク・練習
2012年のペタンクも今日が最終日になった、1987年に巡り合ったpetanqueその頃は日本のペタンク界の夜明け時だった、村瀬氏、北林氏それに山崎氏が日本ペタンク協会の礎を築き上げていた時代だった、その頃厚生省がねんりんピックを立ち上げ始まったばかりでもある、協会はねんりんピックに目をつけ競技種目になって行った、お蔭でペタンクは急発展して行くことになるが、良い事ばかりはなくこれによりペタンクはシニアのスポーツとしてレッテルを貼られたと思う、ジュニア世代や学生には今だマイナーなスポーツで、「ペタンク」と云う球技があり世界選手権まで開催されているのを知る人はごく稀だと思う。

古いフランス映画の中にペタンクが出てくる場面があるが、殆んどの人は見過ごしていると思う、今からでも遅くないがせめて国体の競技種目になるだけで若い世代にもペタンクが広がってゆくと確信している。
そんな政治力を持った救世主が現われるのを首を長くして待っているが、私の目の黒いうちは不可能かと半分あきらめている。

今日も朝から雪が降り続き、我が団地の除雪車が朝早くからフル稼働していた、今年の最後のペタンク練習会がツインキャップであり、昼飯を早めに済ませ出かける、気温が高く湿雪で道路の雪を車のタイヤで踏み固めるのでテカテカな道路状態で、運転は一気に超慎重運転になる、こんな日は目的地までの所要時間を倍を見て動かないと到着しない。
降りしきる雪の中、ペタンク仲間は最終練習会に大勢集まってきた、年明けのペタンク日程はまだ発表されない、1月も三回ほどの投球練習を予定に入れている。

今日は遅くまで投げていた、帰りは帰宅時間と重なったり降り続く雪の為道路は大渋滞で自宅には1時間を優に越えていた。

2012最後の練習会

園芸士仕事納めは剪定

2012年12月17日 16時56分09秒 | ペタンク爺さんの一日
2012年の葡萄の収穫はあまり良くなかった、作り方が悪かったのか気候が葡萄に向いていなかったのか、本当のところ判らなかった。
農業の物作りの難しさは、早くても一年は掛かってしまう毎年毎年同じような気候では推移しない、沢山の経験を積んて少しづつ脳波が蓄積されてくる、一年や二年の短期間での経験だけではプロにには及びもつかない、失敗しても生活に影響が生じない趣味でやっている園芸士は気楽だ、もう相当前のことになるが葡萄の剪定の講習会に出たことがある、10月に作業をしようとしたら早すぎると云われた、葡萄農家が雪のある時期にやっているのをテレビで見ていてなるほどと納得したことを覚えている、我が家のたった1本の葡萄の木だが、年明けにでもと思っていたが、善は急げではないが今日雪の晴れ間をみて剪定した、とうとう園芸士の仕事納めとなった。

長く感じた民主党政権が崩壊した、想定外などと云う言葉など何処にも存在しない出来事だった、100パーセントとは言わないが今回の結果は殆んどの人が予想の範囲以内と思う、結果から行くと浮動票の受け皿がなく、投票率が戦後最悪と云われるのも納得してしまう、解散が満期まで伸びていたら第三勢力の占める割合がかなり増えていたと思う、

悪童の破れか振れの伝家の宝刀が空を切ったと見えてならない。

社交ダンスを始めて、1年は過ぎた昨年は夢にも思えなかったダンスパーテーが年末年始にかけて4~5回も巡ってくる、Shall we danceとは映画の中の出来事だったが、いつお迎えが来てもおかしくない歳になり気恥しさはあるが、気持ちだけは少年の心がまだ残っているのが嬉しい。

剪定後
剪定した跡