ペタンク爺さん

ペタンクで遊ぼうよ!で20年

釣り夜話から【自徐伝】へ

2015年01月26日 15時02分40秒 | 自叙伝

只今満80歳に到達しているが三歳以前の記憶は私の脳裏には残っていない、断片的だがそれ以後の記憶しか私の記憶箱には無いが、時折その記憶箱さえ思い出せない事も出始めた、回顧する事で脳の若さが蘇るかと80歳を期に初めることにする、小説でないので何の分野に入るのか自伝又は自叙伝が相応しいと思っているが、話が前後するのはご勘弁下さい。

北海道の何処かと言っても、室蘭か輪西のイタンキ浜の波打ち際を少し離れ出した父や母の背中をを追っかけている自分がいて、それを少し離れた空から見ていた自分がいた。

不思議な記憶が始まりだった、次に現れて来るのは幼稚園の鉄の門にしがみつき母の姿を追って泣き叫んでいる自分が、母は背中に赤子を背負って一度も後ろを振り向きもしないまま消えていた、当時親父は本職の大工職人でその現場のテコを背中に赤子を背負ってってのスタツフの一員だった、それゆえ朝に私を幼稚園に預け現場入りしていた、私の幼稚園通いも慣れ出すと帰り道父や母の現場に立ち寄り遠くから眺めていた、基礎作りの段階で杭打ちをやっていたが、昔は大勢の人達が杭打ちで縄を引き合い掛け声を掛けていた、子供心に染み付いていたが、1966年美輪明宏が「ヨイトマケ」をヒットさせた、ただ母の当時のイメージとのギヤップに戸惑ったが、歌の内容もはっきり分かり当時の母の心境その物であったと、この時は気がっく。

辛い時、悲しい時、負けそうな時、に「がんばろう!」と思う歌だと言うことが解る。

故郷を捨て、未開大地北海道に根付くため必死に働いていた父母の姿と重なり室蘭時代の幕開けのいっぺージのシーンが脳裏に焼きつけられている。