
子供の頃の日常に、非生産的な職業の中に絵描き(画伯)が存在していたが余程素質がないと職業として成り立たないと子供心に焼き付いていた、学校の先生の中に絵を専攻していた人も何人か知っているが絵だけでは生活出来ず学校の教師をしていたと思う、小説家もしかりデビューするまでは、伏線として大変な苦労があると想像出来た、少年時代漫画のらくろは少年逹の憧れと漫画が夢でもあった、漫画帳は欠かせぬ物でランドセルの中に欠かせぬ存在でもあった、紙と鉛筆一本で夢の世界に足を入れる事が出来漫画家は夢の職業にでもあった。
しかし高校生頃になると現実的な考えが先行し、選択肢として帯広の畜産大学を受験しょうと思ったが国立でレベルが高く、勉強嫌いな私には挑戦する前から頓挫していた、結局諦めて商業の道に進む事にして室蘭商業高校に進み、南樽の繊維問屋の丁稚奉公からスタートした。
いよいよ人生の終盤の黄昏季に入り奇しくも思い出した、早速妹にスケツチブックとエンピツB3とB5の一本づつ買ってもら、久しぶりに一気に悪童頃まで遡る楽しみが又ひとつ増える。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます