
山と云っても里山なのだが、もうそろそろ早春賦の気配が感じられてくる季節の変わり目なのだが、今年の冬将軍はどっかりと居座り動き出す気配がない、今朝も朝のうちは太陽が顔をだしていた、予報ではこの週末は大荒れの情報をだしていたが、朝の空模様に之なら暫く出向いていなかった藻岩山ルートに橇滑走をと、急遽藻岩行きを決め段取りをした、11時からロープウエーが動き出すので、12時前には乗車出来るようにと昼飯も食べづ出発準備を整える、いよいよ動き出し始める頃から天候が一変してきた、空が雲に覆われ横殴りの雪が降りだして来た、天候には敏感になっているので、この雪だけならいいが、吹雪模様になってしまったので、これではロープウエーが運転中止になると判断し、車をスタートさせたが町内を一回りして出発点へ戻る。
その後、様子を見ていても増々吹雪模様が激しくなって来ていた、今度はそんな中我が家の朝に欠かせぬ特製トマトピューレを作る原料のトマトを買出しに、産地は熊本で安売りの店でも1個100円には付いている。
連日悪天候が続いているが、春を告げるニシンの大量が続いている、漁師は少しぐらいの時化の海でも命がけで漁に出ているのか、今日も魚売り場には1匹100円くらいの値段で売られていた、ニシンも好いが生ではと一夜干しのニシンの開きを買ってくる、頭を入れると40センチ近くあった、片身だけだったが少し余し気味だった。
昭和20年の終戦の年は、室蘭の日本製鉄の城下町の小学5年生でこの年の3月に、工場の大空襲を予想し中学生の姉を先頭に子供達だけ4名、親戚のある留萌の先の増毛に疎開していた、この年の春の増毛町はニシンの大豊漁でごった返していた、戦時中で貨車は廻ってこず、もっぱら採れた魚をミガキニシンにしていた、街の空き地には馬車で運んだニシンが山と積まれていて、町の人たちもミガキニシン作りに駆り出されていた。
春のニシン時期になると、この時の映像が思い出されてくる家の前の海は群来で真っ白だった。
囲炉裏端でニシン一匹串刺しにして焼き、ご飯の代わりに馬鈴薯芋が常食だったことも思い出す。
熊本産とまと
その後、様子を見ていても増々吹雪模様が激しくなって来ていた、今度はそんな中我が家の朝に欠かせぬ特製トマトピューレを作る原料のトマトを買出しに、産地は熊本で安売りの店でも1個100円には付いている。
連日悪天候が続いているが、春を告げるニシンの大量が続いている、漁師は少しぐらいの時化の海でも命がけで漁に出ているのか、今日も魚売り場には1匹100円くらいの値段で売られていた、ニシンも好いが生ではと一夜干しのニシンの開きを買ってくる、頭を入れると40センチ近くあった、片身だけだったが少し余し気味だった。
昭和20年の終戦の年は、室蘭の日本製鉄の城下町の小学5年生でこの年の3月に、工場の大空襲を予想し中学生の姉を先頭に子供達だけ4名、親戚のある留萌の先の増毛に疎開していた、この年の春の増毛町はニシンの大豊漁でごった返していた、戦時中で貨車は廻ってこず、もっぱら採れた魚をミガキニシンにしていた、街の空き地には馬車で運んだニシンが山と積まれていて、町の人たちもミガキニシン作りに駆り出されていた。
春のニシン時期になると、この時の映像が思い出されてくる家の前の海は群来で真っ白だった。
囲炉裏端でニシン一匹串刺しにして焼き、ご飯の代わりに馬鈴薯芋が常食だったことも思い出す。

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