
親父から魚釣りを直伝してもらったのは白老湖の鮒釣りから始まっている、小学生時代と思っている が釣って来た魚は背開きして焼き干しにして食べていた記憶が残っている、どんな魚でも粗末にすることは無かった、海釣りは室蘭港の白防波堤が圧倒的に多かった、魚種は多岐でカレー、あぶらこ、ガヤ、そい、どんこ、ハモ、時にはカスベ、サメ、小物ではチカ、サバ等一年中楽しめる釣り場で初心者からベテランの釣り師まで賑わった最大の漁場であつた、ここの釣場は親父のお伴しての夜釣りでハモ釣りでの思い出が強烈に残り今でもその時の映像が浮かんでくるほどだ。
戦後、姫鱒釣が始まったのは登別の倶多楽湖や洞爺湖だった、現在は支笏湖のチツプ釣りが支流になっているが、私が円山釣具店時代には6月1日の解禁日には必ず参加していた、当時は支笏湖線もなく恵庭市から丸駒温泉へ抜けるルートでポロピナイに出てボートを借りていた、釣り方はリール釣が定着したのもこの頃です。
親父と行った倶多楽湖のチツプ釣りは5月1日が解禁日で、矢張ボートを湖水に出し18尺ほどの継ぎ竿を使い浮き釣りで一人2本ほどとリール竿2本位で底釣りの両方で釣っていた、ここのチツプは環境で余り大きく育たず精々25cmほどだったが、美味しさには変わりが無かった、ここはチツプの他に対岸で採れる春椎茸がお土産になった。
洞爺湖のチツプ釣りは目立たないが、魚体も大きく岸から投げ竿の浮き釣りを確立させたのも親父達と思う、商売とは言へ良く研究したと思っている。
輪西から伊達、壮瞥、昭和新山を見ながら湖畔にそって、そして変電所のあるところが釣り場だった。
そうしたら亡くなった母にも甘えられるのにって思い出します。