・柏木衛門督の病は、
治らないまま年も明けた。
父母の嘆きを見ると、
柏木は親に先立つ不孝の罪を、
ひしひしと感じる。
内心は、
もはや命は捨ててもよい、
とさえ思うのであるが・・・
幼いころから、
自尊心あつく、
人に負けるまいと、
理想を高く持っていた。
しかし、
女三の宮を望んで得られず、
あれから自信をなくした。
世の中がすっかり味気なくなり、
一時は出家も考えたが、
親たちの嘆きにためらいつつ、
そのうち恐ろしい罪に迷いこんだ。
人の妻になった人を、
忘れられず、
世の掟を越えて愛してしまった。
しかも夫の源氏は、
世の第一の実力者であり、
私的にも長年、
自分の面倒を見てくれ、
愛してくれた人。
そういう人を、
裏切ってしまった。
何の面目あって、
源氏に二度と顔を合わせられよう、
知られてしまった上は。
だが、
そういう袋小路に追い込んだのは、
自分自身なのだ。
これもみな、
自分の宿命かもしれない。
いや、
何よりも、
あの佳き人が、
自分の死をあわれと思い、
ひとしずくの涙をこぼして、
くれるかもしれない。
向こう見ずな恋の火に、
身を焼いて失った命も、
それでむくわれよう。
もしこの上、
永らえていれば、
きっとあのひととの浮名が、
いまわしく世に流れよう。
生きての浮名は、
あのひとも自分をも、
汚してしまう。
死はすべてを、
浄化するであろう。
それに自分に憎しみを持って、
いられる源氏の院も、
死ねば許して下さるであろう。
柏木は、
そんなことを思い続けて、
人に言えない涙を流していた。
人のいない間に、
柏木は宮に手紙を書いた。
「いまは限りの命と、
風の便りにお耳にも、
入っていましょうに、
どんな具合かと、
おたずねも下さらないのは、
ご尤もと思いながら、
辛うございます」
手は病気で力も出ず、
ふるえて思うことも、
充分書けない。
「私の命終わる日、
なきがらは燃えても、
あなたを思う心は、
いつまでも燃えません。
永遠に、
くすぶり続けることでしょう。
あわれとだけでも、
ひとことを。
そのお言葉を私は、
一人赴く死の闇の道の、
光として逝きます」
柏木はそれを、
小侍従に渡した。
彼女も古く馴染んだ、
柏木の重病に涙ぐみ、
受け取らずにはいられない。
「どうぞこのご返事だけは、
これだけは。
あのかたの最後のお文で、
ございます」
小侍従は必死に申し上げる。
宮はお返事を、
お書きにならない。
「この前のことで、
手紙は懲りたの」
柏木とのことを、
源氏に知られて以来、
源氏の冷たさ、厳しさが、
おわかりになるのだった。
小侍従はそんな宮を、
言葉を尽くして説得したので、
宮はしぶしぶお書きになった。
小侍従はそれを、
宵闇にまぎれ、
人目を忍んで柏木の邸へ行った。
(次回へ)