むかし・あけぼの

田辺聖子さん訳の、
「むかし・あけぼの」
~小説枕草子~
(1986年初版)角川文庫

23、撫子 ①

2023年12月21日 09時21分37秒 | 「新源氏物語」田辺聖子訳










・京の夏は暑い。

とくに堪えがたい暑さの日、
源氏は東の釣殿に出て涼んでいた。

釣殿は池の上に張りだした建物で、
水上を渡る風が涼しい。

息子の夕霧や親しい殿上人が側にいた。

桂川の鮎、
賀茂川の石伏などという魚を、
目の前で調理させていると、
例の内大臣の子息たちが、
夕霧を訪ねてやってきた。

源氏は喜んで迎えた。

座が弾んで、酒が出、氷水が取り寄せられる。

雲一つない快晴の空、
西日になる頃には油蝉の声も暑苦しい。

「暑いな、ちょっと失礼しよう」

源氏は横になった。

「こう暑くては、
音楽を聞く気にもならないし、
一日もてあます。
御所づとめの若い人は大変だろうね。
せめて私のうちだけでも気楽にして下さい。
何か面白い話はないかね」

源氏はいうが、
青年たちはかしこまっていた。

「そういえば、内大臣が、
よそに出来た姫を近ごろ引き取って、
大事にされているという噂を耳にしました。
ほんとですか?」

と弁の少将が源氏に聞いた。

弁の少将は内大臣の長男、柏木の弟である。

「くわしくは存じませんが、
世間でいいふらすことでもございません。
父が夢占いをさせましたのを伝え聞いた女が、
名乗り出たのでございます。
どうも世間に格好の噂話を提供したようで、
我々も弱っております」

「ほほう・・・
内大臣はたくさんお子がおありなのに、
まだ列に離れた子雁まで探されるとは欲が深い。
私こそ、子供が少ないので欲しいのだが、
名乗り出てくれる者もない。
しかしその姫君は、
内大臣のお子かもしれません。
お若いころはずいぶんお盛んだったから」

源氏は笑う。

源氏と内大臣は古い親友であるが、
一点性格の合わぬ所があるし、
また近来は、夕霧と雲井雁の仲を裂き、
夕霧に失恋の苦しみを味わわせたということで、
源氏は内大臣を快く思っていなかった。

夕風がたつにつれて、
釣殿は涼しくなってきた。

源氏は座を立った。

西の対へ行く源氏を、
青年貴公子たちはお供した。

西の対へ行って、
源氏は玉蔓にささやいた。

玉蔓がそっとのぞくと、
おぼろな夕暮れ、
直衣の色も見分けにくいが、
数人の公達が庭の撫子にみとれていた。

「少将や侍従たちを連れてきた。
いい若者ばかりだろう・・・
あの男たちはあなたにあこがれ、
ここへ来たくてたまらないのだが、
夕霧の中将が堅物だから、
連れて来ないのだよ。
この六条院もあなたのおかげで、
いまや世間の男どもの関心のまとになっている。
面白いことになりそうだ・・・」

前栽には撫子ばかり、
色美しいのを植え、
夕闇の中に咲き乱れていた。

青年たちはそこここにたたずんで、
花を見ている。

「みな好青年だ。
それそれ教養もあり、
人柄もいい若者たちだ。
ここにはいないが、
柏木中将は更に落ち着いて上品でいい青年だ。
どうかな?」

さかしい玉蔓は、
話題を転じて、

「夕霧さまのお美しいこと・・・」

「内大臣はなぜこの夕霧をお疎みになるのか、
私は心外です。
藤原一族の純な血統を誇りにしている方だから、
皇族の血が入ることを喜ばれぬのかもしれぬ」

夕霧と内大臣の娘、雲井雁の話は、
玉蔓ははじめて聞く話であった。

実父と源氏の間に、
そんな感情の行き違いがあるとは、
知らなかった。

(そういう間柄でいらっしゃるなら、
いよいよ、本当のお父さま(内大臣)に、
会えるのはいつのことか、
わからない・・・)

玉蔓は悲しく思った。

あまりにしげしげと玉蔓を訪ねては、
人目を引くであろうと、
源氏は気が咎め、
強いて控えている。

明けても暮れても玉蔓のことばかりに、
心は占められる。

なぜこうも、あの女のために心乱すのか、
いっそ思うがままに恋を貫いたら、
この苦しみはないだろうに。

しかしそうすれば、
世の非難や嘲笑をまぬかれない。

自分はよいとして、
彼女に気の毒である。

どんなに玉蔓を愛しても、
源氏としては紫の上ほど愛することは出来ないのを、
自分で知っている。

源氏のたくさんの愛人の一人とされるよりは、
むしろ、平凡な身分の低い納言あたりの男の、
ただ一人の妻として愛される方が、
女としてどんなに幸せかしれない。

あれこれ思うと、
源氏は玉蔓がかわいそうで、
強引に自分の愛人にしてしまうことは、
出来なかった。

(いっそ、兵部卿の宮か、
髭黒の大将にかたづけてしまおうか・・・
そうすれば、このもてます執着も、
断ち切れるかもしれない)

そう思いつつ、
玉蔓を見るとその決断も鈍ってしまう。






          


(次回へ)

・写真は昨秋出かけた、
姫路市内の須濱神社です。

この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 22、蛍 ④ | トップ | 22、撫子 ② »
最新の画像もっと見る

「新源氏物語」田辺聖子訳」カテゴリの最新記事