・京の夏は暑い。
とくに堪えがたい暑さの日、
源氏は東の釣殿に出て涼んでいた。
釣殿は池の上に張りだした建物で、
水上を渡る風が涼しい。
息子の夕霧や親しい殿上人が側にいた。
桂川の鮎、
賀茂川の石伏などという魚を、
目の前で調理させていると、
例の内大臣の子息たちが、
夕霧を訪ねてやってきた。
源氏は喜んで迎えた。
座が弾んで、酒が出、氷水が取り寄せられる。
雲一つない快晴の空、
西日になる頃には油蝉の声も暑苦しい。
「暑いな、ちょっと失礼しよう」
源氏は横になった。
「こう暑くては、
音楽を聞く気にもならないし、
一日もてあます。
御所づとめの若い人は大変だろうね。
せめて私のうちだけでも気楽にして下さい。
何か面白い話はないかね」
源氏はいうが、
青年たちはかしこまっていた。
「そういえば、内大臣が、
よそに出来た姫を近ごろ引き取って、
大事にされているという噂を耳にしました。
ほんとですか?」
と弁の少将が源氏に聞いた。
弁の少将は内大臣の長男、柏木の弟である。
「くわしくは存じませんが、
世間でいいふらすことでもございません。
父が夢占いをさせましたのを伝え聞いた女が、
名乗り出たのでございます。
どうも世間に格好の噂話を提供したようで、
我々も弱っております」
「ほほう・・・
内大臣はたくさんお子がおありなのに、
まだ列に離れた子雁まで探されるとは欲が深い。
私こそ、子供が少ないので欲しいのだが、
名乗り出てくれる者もない。
しかしその姫君は、
内大臣のお子かもしれません。
お若いころはずいぶんお盛んだったから」
源氏は笑う。
源氏と内大臣は古い親友であるが、
一点性格の合わぬ所があるし、
また近来は、夕霧と雲井雁の仲を裂き、
夕霧に失恋の苦しみを味わわせたということで、
源氏は内大臣を快く思っていなかった。
夕風がたつにつれて、
釣殿は涼しくなってきた。
源氏は座を立った。
西の対へ行く源氏を、
青年貴公子たちはお供した。
西の対へ行って、
源氏は玉蔓にささやいた。
玉蔓がそっとのぞくと、
おぼろな夕暮れ、
直衣の色も見分けにくいが、
数人の公達が庭の撫子にみとれていた。
「少将や侍従たちを連れてきた。
いい若者ばかりだろう・・・
あの男たちはあなたにあこがれ、
ここへ来たくてたまらないのだが、
夕霧の中将が堅物だから、
連れて来ないのだよ。
この六条院もあなたのおかげで、
いまや世間の男どもの関心のまとになっている。
面白いことになりそうだ・・・」
前栽には撫子ばかり、
色美しいのを植え、
夕闇の中に咲き乱れていた。
青年たちはそこここにたたずんで、
花を見ている。
「みな好青年だ。
それそれ教養もあり、
人柄もいい若者たちだ。
ここにはいないが、
柏木中将は更に落ち着いて上品でいい青年だ。
どうかな?」
さかしい玉蔓は、
話題を転じて、
「夕霧さまのお美しいこと・・・」
「内大臣はなぜこの夕霧をお疎みになるのか、
私は心外です。
藤原一族の純な血統を誇りにしている方だから、
皇族の血が入ることを喜ばれぬのかもしれぬ」
夕霧と内大臣の娘、雲井雁の話は、
玉蔓ははじめて聞く話であった。
実父と源氏の間に、
そんな感情の行き違いがあるとは、
知らなかった。
(そういう間柄でいらっしゃるなら、
いよいよ、本当のお父さま(内大臣)に、
会えるのはいつのことか、
わからない・・・)
玉蔓は悲しく思った。
あまりにしげしげと玉蔓を訪ねては、
人目を引くであろうと、
源氏は気が咎め、
強いて控えている。
明けても暮れても玉蔓のことばかりに、
心は占められる。
なぜこうも、あの女のために心乱すのか、
いっそ思うがままに恋を貫いたら、
この苦しみはないだろうに。
しかしそうすれば、
世の非難や嘲笑をまぬかれない。
自分はよいとして、
彼女に気の毒である。
どんなに玉蔓を愛しても、
源氏としては紫の上ほど愛することは出来ないのを、
自分で知っている。
源氏のたくさんの愛人の一人とされるよりは、
むしろ、平凡な身分の低い納言あたりの男の、
ただ一人の妻として愛される方が、
女としてどんなに幸せかしれない。
あれこれ思うと、
源氏は玉蔓がかわいそうで、
強引に自分の愛人にしてしまうことは、
出来なかった。
(いっそ、兵部卿の宮か、
髭黒の大将にかたづけてしまおうか・・・
そうすれば、このもてます執着も、
断ち切れるかもしれない)
そう思いつつ、
玉蔓を見るとその決断も鈍ってしまう。
(次回へ)
・写真は昨秋出かけた、
姫路市内の須濱神社です。