・まだ玉蔓が、
世なれない無垢の処女であったら、
源氏は言い寄るのも哀れに思われて、
手折れないのだが、
結婚して男を知り、
人の情けも解するようになれば、
忍びあうのに無理はないかもしれぬ。
夫の目をかすめ、
世間の目をごまかして、
玉蔓への思いを、
遂げることが出来るかもしれぬ。
だがそうなったらまた、
それはそれでどんなに気が揉めるだろう。
源氏はその時の苦労が目に見える。
しかし、このまま結婚もさせず、
わが愛人にするでもなく、
永遠の乙女として、
とどめおくことも出来ぬ。
さりとて、
他の男の手に托すことも、
今はしたくない。
さしもの源氏も身動きとれぬ思いで、
考え込む。
「聞かれましたよ、
源氏の大臣に」
弁の少将(柏木の弟)は、
父の内大臣にいった。
「新しい御娘をさがしだされたようですな、と」
「源氏の大臣は、
この家のことだと、
ずいぶん早耳だな。
気になってならぬらしい」
内大臣は笑ったが、
源氏と張り合う気持ちは、
内大臣の方が強いのである。
そうして、近ごろ、
内大臣はくさくさしていた。
源氏が玉蔓の姫君を引き取った、
という噂に対抗するように、
こちらでも娘だと名乗り出た女を、
邸に引き取ったものの、
(娘は近江から来たので、
近江の君と呼ばれていた)
これが厄介なしろもので、
心中内大臣はいまいましく、
軽率なことと後悔していた。
弁の少将は、
「六条院に引き取られた姫君は、
難のない方のようです。
兵部卿の宮が熱心に求婚されているとか」
というと、内大臣は、
「それはあの方の御娘だというだけで、
評判がいいのだろう。
あの方もお気の毒に、
ご本妻(紫の上)との間にお子が出来なくて、
さぞ心細いだろう。
こんど新しく引き取られた姫君だって、
ご実子かどうかわかるものか。
あの方は、他人の子をわが子として、
育てるくらいのことはなさるだろう」
内大臣の言葉は源氏に向かうとき、
棘を含む。
それにつけても内大臣は、
大宮(実母)のところから、
引き取った雲井雁のことがくちおしかった。
源氏に負けず、
雲井雁を秘蔵の姫君として、
誰を婿にするのかと、
世間の関心を集めたかった。
それを、恋愛事件などひき起こして、
名を傷つけてしまった。
相手の夕霧と結婚させてしまうのがいちばんだが、
もっと夕霧の官位が昇らなければ、
許せない、と思っている。
それも源氏が口添えして懇望するなら、
しぶしぶながら許してやってもいい、
と思っているのだが、
先方ではどういう考えなのか、
落ち着き払って、
焦った様子は見せない。
内大臣は内心、
やきもきしていた。
内大臣は思い立って、
雲井雁のところへいってみた。
姫君は単衣を涼し気にひっかけて、
昼寝をしていた。
女房たちもみな、
昼寝をしていた。
内大臣は扇を鳴らした。
雲井雁は目覚めて、
父を見上げ頬を染めた。
「不用意なことをする」
つい小言が出る。
「女が油断してうたた寝とは、
なにごとです。
軽々しい。
人目がないといってだらしなくしているのは、
下品なことだと、
いつも教えているでしょう」
「ごめんなさい」
「私も以前はあなたをお后候補に、
と思っていたが、あてが外れてしまった。
しかし、何とか世間に後ろ指さされぬようにと、
よその娘の噂を聞くたびに、
思い乱れている。
口上手に言い寄ってくる人たちに、
誘惑されてはいけない。
わかっているね?」
内大臣は可愛くてならないので、
噛んでふくめるように言い聞かせる。
雲井雁は、
恥ずかしくて顔も上げられない。
昔は幼な心に深い考えもなく、
事件を引き起こし、
父に叱られてもきょとんとしていたが、
物思う年頃になってやっと自分のしたことや、
父の傷心がわかったのである。
大宮~三條のおばあちゃまからは、
会いに来ておくれというお手紙が始終来るが、
雲井雁は父の意向をおもんばかって、
おばあちゃまを訪れるのにも、
気兼ねしている。
内大臣は、
雲井雁よりも、
新しい娘の処置に頭を悩ませている。
引き取ったものの、
よくないから送り返すというのは、
いくら何でも非常識である。
かといって、
この邸に置けば、
あんな娘を大事にかしずくのかと、
思われるのも片腹いたい。
そうだ、弘徽殿女御(内大臣の長女の姫君)のもとに、
仕えさせよう。
むしろ人前に出して、
風変わりな個性を売り物にした方が、
もてあますよりはましだろう。
(次回へ)