「姥ざかり」

田辺聖子著
昭和56年新潮社刊より

22、撫子 ②

2023年12月22日 08時57分01秒 | 「新源氏物語」田辺聖子訳










・まだ玉蔓が、
世なれない無垢の処女であったら、
源氏は言い寄るのも哀れに思われて、
手折れないのだが、
結婚して男を知り、
人の情けも解するようになれば、
忍びあうのに無理はないかもしれぬ。

夫の目をかすめ、
世間の目をごまかして、
玉蔓への思いを、
遂げることが出来るかもしれぬ。

だがそうなったらまた、
それはそれでどんなに気が揉めるだろう。

源氏はその時の苦労が目に見える。

しかし、このまま結婚もさせず、
わが愛人にするでもなく、
永遠の乙女として、
とどめおくことも出来ぬ。

さりとて、
他の男の手に托すことも、
今はしたくない。

さしもの源氏も身動きとれぬ思いで、
考え込む。

「聞かれましたよ、
源氏の大臣に」

弁の少将(柏木の弟)は、
父の内大臣にいった。

「新しい御娘をさがしだされたようですな、と」

「源氏の大臣は、
この家のことだと、
ずいぶん早耳だな。
気になってならぬらしい」

内大臣は笑ったが、
源氏と張り合う気持ちは、
内大臣の方が強いのである。

そうして、近ごろ、
内大臣はくさくさしていた。

源氏が玉蔓の姫君を引き取った、
という噂に対抗するように、
こちらでも娘だと名乗り出た女を、
邸に引き取ったものの、

(娘は近江から来たので、
近江の君と呼ばれていた)

これが厄介なしろもので、
心中内大臣はいまいましく、
軽率なことと後悔していた。

弁の少将は、

「六条院に引き取られた姫君は、
難のない方のようです。
兵部卿の宮が熱心に求婚されているとか」

というと、内大臣は、

「それはあの方の御娘だというだけで、
評判がいいのだろう。
あの方もお気の毒に、
ご本妻(紫の上)との間にお子が出来なくて、
さぞ心細いだろう。
こんど新しく引き取られた姫君だって、
ご実子かどうかわかるものか。
あの方は、他人の子をわが子として、
育てるくらいのことはなさるだろう」

内大臣の言葉は源氏に向かうとき、
棘を含む。

それにつけても内大臣は、
大宮(実母)のところから、
引き取った雲井雁のことがくちおしかった。

源氏に負けず、
雲井雁を秘蔵の姫君として、
誰を婿にするのかと、
世間の関心を集めたかった。

それを、恋愛事件などひき起こして、
名を傷つけてしまった。

相手の夕霧と結婚させてしまうのがいちばんだが、
もっと夕霧の官位が昇らなければ、
許せない、と思っている。

それも源氏が口添えして懇望するなら、
しぶしぶながら許してやってもいい、
と思っているのだが、
先方ではどういう考えなのか、
落ち着き払って、
焦った様子は見せない。

内大臣は内心、
やきもきしていた。

内大臣は思い立って、
雲井雁のところへいってみた。

姫君は単衣を涼し気にひっかけて、
昼寝をしていた。

女房たちもみな、
昼寝をしていた。

内大臣は扇を鳴らした。

雲井雁は目覚めて、
父を見上げ頬を染めた。

「不用意なことをする」

つい小言が出る。

「女が油断してうたた寝とは、
なにごとです。
軽々しい。
人目がないといってだらしなくしているのは、
下品なことだと、
いつも教えているでしょう」

「ごめんなさい」

「私も以前はあなたをお后候補に、
と思っていたが、あてが外れてしまった。
しかし、何とか世間に後ろ指さされぬようにと、
よその娘の噂を聞くたびに、
思い乱れている。
口上手に言い寄ってくる人たちに、
誘惑されてはいけない。
わかっているね?」

内大臣は可愛くてならないので、
噛んでふくめるように言い聞かせる。

雲井雁は、
恥ずかしくて顔も上げられない。

昔は幼な心に深い考えもなく、
事件を引き起こし、
父に叱られてもきょとんとしていたが、
物思う年頃になってやっと自分のしたことや、
父の傷心がわかったのである。

大宮~三條のおばあちゃまからは、
会いに来ておくれというお手紙が始終来るが、
雲井雁は父の意向をおもんばかって、
おばあちゃまを訪れるのにも、
気兼ねしている。

内大臣は、
雲井雁よりも、
新しい娘の処置に頭を悩ませている。

引き取ったものの、
よくないから送り返すというのは、
いくら何でも非常識である。

かといって、
この邸に置けば、
あんな娘を大事にかしずくのかと、
思われるのも片腹いたい。

そうだ、弘徽殿女御(内大臣の長女の姫君)のもとに、
仕えさせよう。

むしろ人前に出して、
風変わりな個性を売り物にした方が、
もてあますよりはましだろう。






          


(次回へ)

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