むかし・あけぼの

田辺聖子さん訳の、
「むかし・あけぼの」
~小説枕草子~
(1986年初版)角川文庫

17、薄雲 ⑦

2023年11月08日 08時24分19秒 | 「新源氏物語」田辺聖子訳










・僧都は、おたずねもないのに、
こちらから秘密をお知らせしたことを、
ご不快に思し召すだろうかと恐縮して、
そっと退出しようとすると、
帝はお呼びとめになった。

「それを知らずにいたら、
来世までの罪の障りになったことだろう。
今まで隠していられたことが恨めしい。
このことは、
あなたのほかに知っている者がいるのだろうか」

と仰せられた。

「私と王命婦のほかは、
この秘密を知る者はございません。
それだけに、
私は恐ろしいのでございます。
このところ天変がしきりに起こって、
前兆を知らせ、
世の中がおだやかならぬのは、
このためなのでございます。
主上がご幼少で、
物ごとのご分別なき間は、
事なく済んだのでございますが、
ご成人になり、
道理をおわきまえ遊ばす時が参りますと、
天が咎めを示すのでございます。
このごろの天変の原因は、
すべて主上のおん親の御代から、
はじまっているのでございます。
それを主上は何の罪によって、
起こったともご存じなくいられますのが、
私にはおいたわしいのでございました・・・
そのため、
胸一つにおさめて決して明かすまいと、
思いました秘密を、
思い切って申し上げたのでございます・・・」

と泣く泣く申し上げているうち、
夜も明けたので、
僧都は退出した。

帝は隠された秘密をお聞きになって、
夢のように思われた。

帝は日が高くなってもご寝所から、
お出ましにならず、
それからそれへと思い悩んでいられた。

亡き桐壺院のためにも、
お心がとがめることではあり、
また源氏が実の父君でありながら、
臣下として仕えているのも、
悲しく勿体ないことに思われ、
お心の乱れは果てもなかった。

源氏は帝がお籠りになっていられる、
と聞いて、お体に障りでも、
と驚いて参内した。

帝は源氏をご覧になって、
万感がお胸にあふれ、
思わず落涙あそばされた。

源氏は、

(亡き母宮を忘れる間もなく、
恋しがっていられるのだろう)

といとおしくお見上げする。

こんな折なので、
源氏は二條院へも帰れず、
ずっと帝のそばについていた。

帝は、

「私の寿命も、
尽きようとしているのだろうか。
心ぼそく、気分も常とはちがう心地です。
世の中も天変やわるいことがうち続いて、
落ち着きません。
これは、わが身の不徳の致すところ、
と思います。
母宮ご在世ならば、
そのお嘆きを思って退位も憚られましたが、
亡き今は、位をゆずり、
心のどかに暮らしたいと思うのです」

「何を仰せられます。
ご譲位とは、
あるまじきことでございます」

源氏はおどろいて帝をおいさめする。

喪服を質素にお召しになっていられる帝の、
美しいお顔は、
源氏に生き写しといってよかった。

実は、帝も日ごろ、
鏡をご覧になるたび、

(源氏の大臣に似ているなあ)

と何気なく思っていられたのであるが、
僧都の話を聞かれてからは、
あらためて源氏をなつかしくながめられた。

もはや、わが身は、
父君にも母君にもおくれ奉ったもの、
とさびしく思っていられたのに、
まことの父は健在であった。

帝はうれしくもなつかしくも、
あわれにも、しみじみと、
源氏を慕わしくお思いになる。

幼い日から仕えてくれた人の愛情は、
思えば、まことの父の愛情であった。

帝はお胸にあふれる思いを、
どうかして源氏に伝えたい、
と思われるが、
やはり口に出しておっしゃることができない。

源氏が恥じ、
きまりわるく思うであろうし、
ついにはそのことにふれずに、
おしまいになった。

そして何とはない世間話を、
ふだんよりは格別に、
なつかしげに、
源氏に話されるのであった。






          


(次回へ)

この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 17、薄雲 ⑥ | トップ | 17、薄雲 ⑧ »
最新の画像もっと見る

「新源氏物語」田辺聖子訳」カテゴリの最新記事