むかし・あけぼの

田辺聖子さん訳の、
「むかし・あけぼの」
~小説枕草子~
(1986年初版)角川文庫

17、薄雲 ⑥

2023年11月07日 13時01分26秒 | 「新源氏物語」田辺聖子訳










・源氏は深い悲愁に心を閉ざされている。

御葬送のときは、
世の中あげて泣いた。

みな、喪の色に黒く沈み、
さびしい春であった。

何を見ても源氏は味気なく、
心なぐさめるものがなかった。

源氏の袖も雲の色も、
そして心も薄墨色である。

帝の母宮、藤壺女院の四十九日も終わり、
ひとしきり静まってみると、
若い帝は心細くお思いになった。

すこしおやつれになって、
物思いがちな明け方のひととき、
加持祈祷の老僧相手に、
しみじみとお話などされる。

僧都はおん母の代から、
引き続き加持祈祷の僧としてお仕えしており、
亡き母宮も信頼され、
尊敬されていた。

帝も大切に扱われ、
世間でも重んじられている貴い聖であった。

年は七十ばかり、
来世のために勤行しようと、
山籠もりしていたのを、
母宮のご平癒祈願のため、
山から下りてきたのだった。

帝はこの老僧をお召しになり、
おそばにお置きになっている。

源氏も以前のように、
内裏にお仕えするようにすすめたので、
僧都は、

「主上の仰せも勿体のうございますし、
また亡き宮さまのお情けにお報いすることに、
なりましょうから」

と、お仕えすることになった。

静かな暁、
帝のおそばには誰もいず、
僧都一人であった。

僧都は、世の中のあれこれ、
お話し申し上げていたが、
かたちをあらためて、
いうのだった。

「実は、
まことに申し上げにくいことでございますが、
もし、主上がお知りになりませなんだら、
いよいよ罪が重くなるのではあるまいかと、
天の眼が恐ろしく存じられます。
主上はこのほどの天変地異、
大臣、母宮のご薨去、
とうち続く不祥事を何とご覧あそばしましょうか。
そのことにつき、
奏上しようかしまいか、
苦しんでおることがございます。
もし、申し上げずに命終りますれば、
その苦しみも何の役にも立たず、
かつは仏も、不正直者よ、
とお叱りになるであろうと存じられまして・・・」

と申し上げ、
躊躇して言葉が続かない。

主上は何事だろう、
といぶかしく思われた。

「何ごとだろうか。
幼少のころから、
へだてなくあなたを信頼していたのに、
あなたの方で私に言えぬかくしごとを、
持っていられるとはうらめしい」

と仰せになった。

「勿体ない仰せ、
仏が秘めよとお禁じになった、
真言密教の奥義をも、
主上にはご伝授しております。
まして、何のかくしごとがございましょう。
このことは過去未来の重大事でございます。
もし、これを申し上げずにおりましたら、
お崩れになりました時、
女院さま、更には源氏の大臣のため、
かえってよくない噂となって、
世間に洩れることもございましょう。
ただ仏天のお告げがあるによって、
この大事を奏上いたすのでございます」

主上はただならぬ予感に、
身をかたくして聞いておいでになる。

「主上をご懐胎になりましたときから、
故宮は深くお嘆きになることがございまして、
私にご祈祷をお命じになりました。
くわしい仔細は、
出家の私にはわからぬことでございます。
源氏の大臣が無実の罪で失脚されたとき、
故宮はいよいよ恐れられて、
重ねてご祈祷を仰せられました。
それは主上が御即位あそばすまで、
続けられたのでございます。
故宮はなにゆえ、
それほど恐れられたのでございましょう。
その深いわけは、こうでございます」

僧都は、くわしく物語った。

亡き帝の母宮と源氏と、
帝とのおそろしくもおどろくべき関係を。

主上はおん耳を疑われるお心地だった。

思いもかけぬ話に、
恐ろしくも悲しくも、
さまざまにお心みだれ、
凝然としていられ、
お言葉もなかった。






          


(次回へ)

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