むかし・あけぼの

田辺聖子さん訳の、
「むかし・あけぼの」
~小説枕草子~
(1986年初版)角川文庫

27、真木柱 ⑪

2024年01月13日 09時00分10秒 | 「新源氏物語」田辺聖子訳










・髭黒の大将の、
もとの北の方は、
いよいよ痴呆のようになって、
暮らしていた。

大将は北の方への、
見舞いも欠かさず、
ゆき届いた世話もし、
生活上の面倒はみていた。

手もとに引き取った、
男の子たちを可愛がり、
子供たちは母の邸へも行くので、
北の方も大将とすっかり、
縁を切ってしまうことは、
出来なかった。

大将は娘に会いたくて、
たまらないのであるが、
北の方も父宮も、
どうしても会わせない。

姫君の方は、
父に会いたがっていた。

少女は、
祖父母や母が、
大好きな父を悪くいうのを、
悲しい思いで聞いていた。

わずかに弟たちが、
父の噂をするのを楽しみに、
聞いているのだった。

弟たちはまた、
玉蔓の噂ももたらした。

「とてもお綺麗な方なんだ」

「ぼくたちのことも、
可愛がって、
やさしくして下さる」

姫君はそれを聞いて、
うらやましかった。

「いいわねえ・・・
男の子は、あっち、こっちの邸を、
行き来できるんですもの。
わたくしも、どうして、
男に生まれなかったのかしら。
それで、お父さまは、
どうしていらして?」

「始終、お姉さまのことを、
ぼくたちにおっしゃってるよ。
時々、お姉さまのお手紙を見て、
泣いていらっしゃるよ。
ぼく、見たんだ」

無邪気な幼い弟の言葉に、
姫君は涙を落とすのである。

玉蔓の子供が生まれたのは、
十一月だった。

可愛い男の子であった。

大将がどんなに狂喜したか、
また、誕生後のいろんな儀式が、
どれほど美々しく盛大であったか。

実父の内大臣も、
ふかく満足している。

玉蔓は、
内大臣がかしずく、
長女の姫の女御にも劣らず、
美しくたしなみある姫君であった。

大将の妻となり、
男の子をもうけた以上は、
もはや押しも押されぬ、
貴婦人である。

内大臣は、
玉蔓のおのずと開けゆく運命に、
満足している。

長男の頭の中将・柏木は、
いささかちがう。

以前、
何も知らず懸想していたころの、
甘いあこがれは今も残っている。

美しい姉の玉蔓が、
髭黒の妻になるより、
宮中へ入って主上の寵愛を、
受けていたほうがよかったのに、
と密かに思う。

(主上はまだ男御子が、
おありでない。
こんな美しい皇子を、
もうけられたら、
どんなにわが家の面目であろうに)

などと考えた。

玉蔓は、
尚侍としての公務も、
在宅のまま執ることになった。

参内することは、
もうないであろう。

玉蔓が、
今やどんな人にも誉められ、
尊敬され、愛されてゆくのに比べ、
いよいよ、
困りものになってゆくのは、
内大臣の拾った子の一人、
近江の君である。

近江の君は尚侍に、
なりたがっていたが、
このごろは少し色気づいて、
公達を見るとそわそわして、
大臣ももてあまし気味である。

姉の女御は、

(いまにみっともないことを、
しでかすのでは・・・?)

とはらはらしていらっしゃる。

父大臣は、

「ひと中に出ぬように」

と近江の君を制止するのだが、
近江の君は平気で出てくる。

姉女御の御殿に、
殿上人の、それもことに立派な、
貴公子たちが参上して、
音楽を楽しんだ。

風情ある秋の夕べ、
宰相の中将・夕霧も立ち寄った。

いつもは生真面目な夕霧が、
いつになく打ち解け、
冗談などをいいかけているのを、
人々は珍しがった。

夕霧の様子は、
なみの青年たちより、
すぐれて見える。

そこへ近江の君が、
女房たちを押しのけて、
出て来た。

(まあ、困ったわ)

女房達は当惑して、
小声で、

「どうなさいますの?」

と引き止めるのに、

「かめしまへん。
ほっといておくれやす」

とにらんで御簾の側に坐り込む。

人々は、
何を言いだすかと、
冷や汗が出ているのに、
近江の君は、

「あのお人が、
夕霧の中将さんどすか、
こっち向いてえ~っ」

と叫びたてた。

人々は耳をふさぎたい思い。

近江の君は頓着なく、

「まだ独身で、
いてはりますねんとなあ。
北の方がお決まりやないなら、
うちに決めとくれやす。
ふらふらと一人の方ばっかり、
思うてはるそうやけど、
うちもあの方の姉妹の一人、
どないどすか、
北の方にしてえ~っ」

驚いたのは夕霧である。
彼の方が真っ赤になってしまった。

この内大臣の長女の女御の御殿は、
上品で趣味のいい人ばかり、
こんなつつしみない、
無作法なことを、
いう人はいないはずなのに、
と考えているうち、
夕霧は、

(噂に聞く近江の君とは、
この人だな・・・)

とわかった。

全くもって、
珍しいほどの品行方正な貴公子の、
夕霧にむきつけに、
言い寄ったものである。

たちまち、
語り草になった。






          


(了)

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