「姥ざかり」

田辺聖子著
昭和56年新潮社刊より

27、真木柱 ⑩

2024年01月12日 08時51分41秒 | 「新源氏物語」田辺聖子訳










・明るい月の光に、
若い帝のお姿は、
清らかに美しい。

源氏の大臣に、
よく似ていられる。

(この帝は冷泉帝、
源氏の大臣を父に、
源氏の継母・藤壺の宮を、
母とされる)

「結婚してしまったのだね」

とやさしくお恨みになる。

「なに。
主上が、玉蔓のもとへ、
お渡りになったというのか」

髭黒の大将はもう、
居ても立ってもいられない。

玉蔓も、
このままいると、
のっぴきならぬ立場に立たされる、
恐れがあって、
気がせかれた。

父の内大臣も、
退出の口実をうまく取り繕って、
主上においとまを頂くよう、
願い出てくれた。

「仕方がない。
退出してよい」

主上は残念そうにお許しになった。

もう、車も用意されて、
供人も退出をまちかねている。

大将はそわそわして、
うるさいほど玉蔓をせかす。

しかし、
主上はまだ玉蔓を、
お離しにならない。

「あなたを離したくないが、
それだけに、
大将の焦りも同情できる。
しかしこれからはどうやって、
便りをしよう。
あうことは難しかろうから」

「恐れ多いことを・・・」

玉蔓は主上の言葉を、
勿体なくも心苦しくも思った。

ちらとほの見ただけで、
拉っし去られるように、
消えてゆく玉蔓を、
主上は、
お忘れになることが出来ない。

大将の自邸に連れ帰るというと、
とても許可は出ないだろうと、
大将は思って、
玉蔓が退出するや否や、

「風邪をひきこんだようです。
自宅で養生したいと存じます。
別々では気がかりなので、
伴って帰りたいのです」

とおだやかに了解を求め、
連れ帰ってしまった。

父の内大臣も、
急なことだ、
自宅に迎えるとなれば、
いろいろ儀式もあるだろうに、
と世間体を気にしたが、
大将の気を悪くしてもはじまらぬ、
と思い承知した。

源氏も不本意ではあるが、
夫である男が、
自邸へ伴うというものを、
異をとなえるわけにもいかない。

玉蔓はまして、
流されゆく運命に、
さからうすべはなかった。

一人、悦に入っているのは、
大将だった。

邸はみごとに造営され、
新妻を迎える華やぎにみちて、
見違えるばかりである。

「思うままになった」

と大将は深い満足感を、
味わっている。

落ち着いてみると、
参内の夜、
主上が、
玉蔓の部屋を訪れられたのが、
気になった。

「まさか、
意外なことは、
なさらなかったろうね。
私の妻ということは、
ご存じなのだから・・・
あなたも少しは、
心動かされたのではないか。
主上はあのとおり、
たぐいまれな美男でいられるから」

大将は嫉妬している。

「ほんとうに何もなかったのか」

とくどくいうが、
玉蔓にはうとましく思える。

主上は、
最高の権力者であられながら、
玉蔓はすでに人のものと、
自制なさって、
やさしい物怨じのお言葉だけが、
あった。

そのときに行き交う心と心は、
主上と臣下のそれではなく、
縁なく終わった男と女の、
はかない詠嘆であった。

「どうだった、
手ぐらいはお取りになったのでは、
ないか?」

などと露骨に嫉妬を示されると、
玉蔓は、

(何て品のない人かしら・・・
繊細とはおよそ、縁の遠い人だわ)

と憂鬱になってしまう。

あるかなきかの慕情、
あわれさ、などを、
この実直なばかりの大将に、
どう説明したらよかろう。

しかし大将は、
恋妻に夢中なので、
嫉妬も猜疑もかくすことを、
知らない。






          


(次回へ)

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