「姥ざかり」

田辺聖子著
昭和56年新潮社刊より

29、藤裏葉 ②

2024年01月17日 08時56分26秒 | 「新源氏物語」田辺聖子訳










・教養ある貴族のたしなみとして、
内大臣は、
長男の頭の中将(柏木)を、
使者にたてた。

「いつぞやの花かげの対面は、
あわただしく、
名残り惜しく思われました。
今日、おひまがあれば、
お越し下さい」

という口上に添えて、
手紙がある。

<わが宿の藤の色濃きたそがれに
尋ねやは来ぬ 
春の名残りを>

歌の通りに、
美事な藤の花房の一枝に、
文はつけてあった。

夕霧は胸がとどろいた。

この歌は、
(大君来ませ、婿にせん)

という意味ではないか。

(ゆるす。
雲井雁をゆるす。
そなたは今夜から、
わが家の婿君。
美々しくみやびやかに、
威を張って来られよ)

という意味ではないか。

夕霧はどきどきしながら、
とりあえず礼をいって歌を返した。

<なかなかに
折りや惑はん藤の花
たそがれ時のたどたどしくは>

(伯父上のお考えを、
それと推量して、
よろしいのでしょうか?
迷っています。
ほんとうに許して頂けるのか、
そうでないのか、
途方にくれています)

夕霧は頭の中将に、
手紙をことづけて帰した。

夕霧は父の源氏に、
内大臣の手紙を持っていって、
話した。

「どう思われます?」

「うむ。
何を考えていられるのだろう。
先方から折れて出られたとなれば、
これで亡き大宮への親不孝の罪も、
消えようというものだ。
大宮が仲介の労をとられよう、
としたのに、
内大臣は一向に、
お聞き入れなかったのだから」

源氏も、
こと内大臣に対しては、
傲岸な態度を崩さない。

「何にせよ、
わざわざの使者だ、
早く出かけたほうがよい」

源氏はいったが、
息子の衣装を見て、

「その直衣は色が濃すぎて、
安っぽくみえる。
そなたは参議で中将なのだから、
今日はも少しよいものを着て、
行くがいい」

源氏は自身の衣装の中から、
ことに立派な直衣に、
下がさねの美々しいものをそろえ、
夕霧の供の者に持たせた。

青年は自分の部屋で、
念入りに身づくろいした。

果たして、
今夜の宴で首尾よくいって、
雲井雁に再会できるかどうか?
手は緊張と期待で震えている。

夕霧はたそがれも過ぎたころ、
先方が待ちかねている中を、
内大臣邸に着いた。

主がわの公達、
頭の中将はじめ七、八人が、
うちつれて出迎える。

みな美しい貴公子たちだが、
夕霧はきわだってすぐれた、
風采にみえた。

月は昇ったが、
おぼろにあたりは霞んでいる。

盃がめぐり、
管弦の遊びがはじまった。

内大臣は、
しきりに夕霧に酒を強いた。

「いえ、私はもう・・・」

青年は困って辞退した。

「そういわずに、
いつまでも昔のことにこだわらず、
ひとつ、私の年齢に免じて、
許してほしいものだ」

「許すとはとんでもない。
私は、亡き母上(葵の上)や、
祖母君の代りと思って、
伯父上にお仕えしております。
行き違いがあったとすれば、
私の至らぬためです」

青年は心から伯父に詫びた。

内大臣も快さそうであった。

<春日さす藤のうら葉の
うらとけて 
君し思はばわれも頼まん>

と古い歌を朗誦する。

互いに心とけたこの場に、
ふさわしいいい歌である。

内大臣の心は、
これではっきり、
夕霧にもわかった。

<紫にかごとはかけん藤の花
まつより過ぎてうれたけれども>

内大臣は口ずさんだ。

(慶きことが、
のびのびになりましたなあ。
待ちましたぞ、
今日の喜びの日を。
しかし結婚が延びたのも、
もとはといえば、
こちらのせい、
怨みますまい、あなたを)

そういう意味の歌である。

夕霧は盃を持ち、
形ばかり拝舞した。

この盃は、
花嫁の父から婿への盃。

夕霧も歌で返す。

<いくかへり
露けき春をすぐしきて
花のひもとく折にあふらん>

(やっとお許しが出ましたか。
この喜びにあうまで、
幾春、辛い思いを、
過ごしたことやら)

夕霧は頭の中将に、
盃をまわした。

頭の中将も、
親友と妹の結婚が嬉しい。

<たをやめの袖にまがへる藤の花
見る人からや色もまさらん>

(あなたという好配偶を得て、
妹も女の人生の花を
咲かせることでしょう)

頭の中将も、
歌で祝福した。

婿が来て家中大喜び、
皆はそれでいっそうくつろいで、
今は全く、夕霧と内大臣の、
長年の感情のもつれも解けた。

「少し御酒を頂戴しすぎました。
これでは家に帰れません。
泊めて頂けますまいか」

夕霧は頭の中将にいう。

「柏木よ、
お世話してさしあげよ。
年寄りは酔ってしまったから、
退がらせて頂くことにしよう」

内大臣は言い捨てて、
部屋へ入ってしまった。

とうとう父が折れて出たことで、
夕霧のように好もしい青年が、
妹婿になってくれることは、
嬉しかったので、
柏木は快く夕霧を、
雲井雁の初床に、
みちびいたのである。






          






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