・教養ある貴族のたしなみとして、
内大臣は、
長男の頭の中将(柏木)を、
使者にたてた。
「いつぞやの花かげの対面は、
あわただしく、
名残り惜しく思われました。
今日、おひまがあれば、
お越し下さい」
という口上に添えて、
手紙がある。
<わが宿の藤の色濃きたそがれに
尋ねやは来ぬ
春の名残りを>
歌の通りに、
美事な藤の花房の一枝に、
文はつけてあった。
夕霧は胸がとどろいた。
この歌は、
(大君来ませ、婿にせん)
という意味ではないか。
(ゆるす。
雲井雁をゆるす。
そなたは今夜から、
わが家の婿君。
美々しくみやびやかに、
威を張って来られよ)
という意味ではないか。
夕霧はどきどきしながら、
とりあえず礼をいって歌を返した。
<なかなかに
折りや惑はん藤の花
たそがれ時のたどたどしくは>
(伯父上のお考えを、
それと推量して、
よろしいのでしょうか?
迷っています。
ほんとうに許して頂けるのか、
そうでないのか、
途方にくれています)
夕霧は頭の中将に、
手紙をことづけて帰した。
夕霧は父の源氏に、
内大臣の手紙を持っていって、
話した。
「どう思われます?」
「うむ。
何を考えていられるのだろう。
先方から折れて出られたとなれば、
これで亡き大宮への親不孝の罪も、
消えようというものだ。
大宮が仲介の労をとられよう、
としたのに、
内大臣は一向に、
お聞き入れなかったのだから」
源氏も、
こと内大臣に対しては、
傲岸な態度を崩さない。
「何にせよ、
わざわざの使者だ、
早く出かけたほうがよい」
源氏はいったが、
息子の衣装を見て、
「その直衣は色が濃すぎて、
安っぽくみえる。
そなたは参議で中将なのだから、
今日はも少しよいものを着て、
行くがいい」
源氏は自身の衣装の中から、
ことに立派な直衣に、
下がさねの美々しいものをそろえ、
夕霧の供の者に持たせた。
青年は自分の部屋で、
念入りに身づくろいした。
果たして、
今夜の宴で首尾よくいって、
雲井雁に再会できるかどうか?
手は緊張と期待で震えている。
夕霧はたそがれも過ぎたころ、
先方が待ちかねている中を、
内大臣邸に着いた。
主がわの公達、
頭の中将はじめ七、八人が、
うちつれて出迎える。
みな美しい貴公子たちだが、
夕霧はきわだってすぐれた、
風采にみえた。
月は昇ったが、
おぼろにあたりは霞んでいる。
盃がめぐり、
管弦の遊びがはじまった。
内大臣は、
しきりに夕霧に酒を強いた。
「いえ、私はもう・・・」
青年は困って辞退した。
「そういわずに、
いつまでも昔のことにこだわらず、
ひとつ、私の年齢に免じて、
許してほしいものだ」
「許すとはとんでもない。
私は、亡き母上(葵の上)や、
祖母君の代りと思って、
伯父上にお仕えしております。
行き違いがあったとすれば、
私の至らぬためです」
青年は心から伯父に詫びた。
内大臣も快さそうであった。
<春日さす藤のうら葉の
うらとけて
君し思はばわれも頼まん>
と古い歌を朗誦する。
互いに心とけたこの場に、
ふさわしいいい歌である。
内大臣の心は、
これではっきり、
夕霧にもわかった。
<紫にかごとはかけん藤の花
まつより過ぎてうれたけれども>
内大臣は口ずさんだ。
(慶きことが、
のびのびになりましたなあ。
待ちましたぞ、
今日の喜びの日を。
しかし結婚が延びたのも、
もとはといえば、
こちらのせい、
怨みますまい、あなたを)
そういう意味の歌である。
夕霧は盃を持ち、
形ばかり拝舞した。
この盃は、
花嫁の父から婿への盃。
夕霧も歌で返す。
<いくかへり
露けき春をすぐしきて
花のひもとく折にあふらん>
(やっとお許しが出ましたか。
この喜びにあうまで、
幾春、辛い思いを、
過ごしたことやら)
夕霧は頭の中将に、
盃をまわした。
頭の中将も、
親友と妹の結婚が嬉しい。
<たをやめの袖にまがへる藤の花
見る人からや色もまさらん>
(あなたという好配偶を得て、
妹も女の人生の花を
咲かせることでしょう)
頭の中将も、
歌で祝福した。
婿が来て家中大喜び、
皆はそれでいっそうくつろいで、
今は全く、夕霧と内大臣の、
長年の感情のもつれも解けた。
「少し御酒を頂戴しすぎました。
これでは家に帰れません。
泊めて頂けますまいか」
夕霧は頭の中将にいう。
「柏木よ、
お世話してさしあげよ。
年寄りは酔ってしまったから、
退がらせて頂くことにしよう」
内大臣は言い捨てて、
部屋へ入ってしまった。
とうとう父が折れて出たことで、
夕霧のように好もしい青年が、
妹婿になってくれることは、
嬉しかったので、
柏木は快く夕霧を、
雲井雁の初床に、
みちびいたのである。