むかし・あけぼの

田辺聖子さん訳の、
「むかし・あけぼの」
~小説枕草子~
(1986年初版)角川文庫

28、梅枝 ②

2024年01月15日 08時55分20秒 | 「新源氏物語」田辺聖子訳










・源氏は東宮に入内させる、
明石の姫君に持たせる調度は、
最高のものしか入れない。

内大臣は、
これらの入内準備を、
聞くにつけても淋しく、
取り残されたような心地を、
味わっていた。

わが家の姫君、
雲井雁も今は盛りに美しく、
非の打ち所のない姫君である。

もし、
夕霧との恋愛沙汰がなければ、
内大臣は負けずに、
東宮に入内させたであろう。

いまさらいっても、
せんないことと思いながら、
さすがに内大臣は、
萎れて月日を送っている姫君が、
あわれでもある。

相手の中将、夕霧が、
そ知らぬ顔でいるので、
内大臣は進退に窮している。

今さらこちらから、
折れて出るのも外聞悪く、
こんなことなら、あちらが、
雲井雁と結婚したがった時に、
許していればよかったと、
気弱くもなる。

夕霧は内大臣が、
気弱になっているというのを、
耳にするが、
何といっても、
つれない仕打ちで、
恋人の仲を裂かれた怨みを、
忘れることが出来ない。

六位の下っ端役人と、
乳母に侮られた屈辱も消えず、
せめて納言になってから、
雲井雁に求婚しようと、
決心していた。

しかし雲井雁への思慕は、
この真面目な青年の心に、
深く根をおろしていたので、
他の女人に思いをかけることは、
ついぞないのであった。

源氏は、
いつまでも長男の身が、
定まらないのを案じていた。

「雲井雁の姫君のことは、
どうしたのかね?
あきらめたのなら、
右大臣や中務の宮などから、
縁談が来ているから、
考えるとよい」

というのであるが、
夕霧はうつむいたままで、
答えなかった。

「意見をするのではない」

源氏はおだやかにいう。

「私自身も、
こんな問題については、
亡き父帝のご教訓に、
従えなかったのだから、
お前に、
意見しようというのではない。
いつまでも独身でいると、
誤解も招くし、
つまらぬ女と一緒になったりして、
外聞も悪く、
志も違うことになる。
女のことで身をあやまる例は、
昔から数多いのだ。
高望みをしても、
女のことは思うようには、
いかないものだ。
私は小さい時から、
御所で育ったので、
ちょっとした咎でもすぐ目立ち、
窮屈だった。
それで、
身をつつしんでいたつもりだが、
好き者と非難されて、
自由な暮らしは出来なかった。
お前は身軽だと思って、
羽をのばしてはいけないよ。
定まる妻を持たぬのは、
とかく浮名を立てられやすく、
また道ならぬことに深くなり、
終生、悔恨のたねになる。
相思相愛の男女が結婚し、
そのまま生涯、
変ることがなければ、
それが理想なのだがね・・・
中々、現実にはそれは難しい。
結婚して性格が合わぬのに気づき、
気に入らぬときでも、
少しは我慢して、
思いなおすようにするがよい。
女の親の気持ちも考えて、
それに免じて心を傷つけるような、
ことはするな。
もし親がなくて、
暮らしに困るような女でも、
その人柄にどこか一点、
可愛いところがあれば、
それを取得にして、
末永く面倒を見、
添い遂げてやるのがよい。
自分のためにも人のためにも、
よいように分別するのが、
男の女に対する、
思いやりというものだ」

源氏は諄々と説き聞かせるが、
夕霧の考えるのは、
雲井雁のことばかりだった。

夕霧と中務の宮の姫君の、
縁談が進んでいるという、
噂を聞いて、内大臣は、
心を傷めた。

雲井雁のところへ行って、

「こういう噂を聞いたが、
ほんとだとしたら夕霧もひどい。
尤も私が強情を張って、
源氏の大臣に色よい返事を、
しなかったから、
いまだに根に持っていられる。
今ここで私が折れたら、
人聞きも悪いしみっとも悪い。
かといって、
お前がかわいそうだし・・・」

内大臣は涙ぐんで、
娘をふびんがった。

雲井雁は、
しょんぼりしてうつむく。

はらりはらりと、
涙をこぼしているのを見ると、
内大臣は、
ここはどうあっても、
娘のために、
自分が折れて出なければ、
いけないだろうと思い乱れ、
ため息をついて起ちあがった。

雲井雁は一人になって考えた。

(きっとあの方は、
中務の宮さまの姫君と、
結婚なさるわ・・・
そしたらあたくしことなんか、
すぐお忘れになるわ)

と思うと悲しくて、
涙があとからあとから出てくる。

夕霧を恋しく思うくせに、
それを人に知られるのを、
雲井雁は恥じていた。

そこへ夕霧から手紙が来た。

この幼な馴染みの恋人たちは、
忍び忍びに恋文だけは、
いつも取り交わしていた。

「このごろどうしたの?
ちっとも手紙をくれないね。
やっぱり、あなたも世間並みに、
去るもの日々に疎し、
というところなのか。
私の方は、
去れば去るほどあなたが恋しい。
私が変人なのかもしれないね」

宛て名も署名もない、
秘めやかな恋文である。

だが、
まぎれもなく、
夕霧の手である。

雲井雁はすぐ返事を書いた。

「あなたこそ世間並みよ。
あたくしにだまって、
他の人と仲良くなさるなんて。
みんな聞きました。
あなたはそのかたと、
お幸せにお暮しなさいませ」

(何の意味だ?)

青年はその返事を受け取って、
小首をかしげていた。

彼は恋人を、
こうも拗ねさせた原因がわからず、
一生懸命考えた。






          


(了)

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