・源氏は東宮に入内させる、
明石の姫君に持たせる調度は、
最高のものしか入れない。
内大臣は、
これらの入内準備を、
聞くにつけても淋しく、
取り残されたような心地を、
味わっていた。
わが家の姫君、
雲井雁も今は盛りに美しく、
非の打ち所のない姫君である。
もし、
夕霧との恋愛沙汰がなければ、
内大臣は負けずに、
東宮に入内させたであろう。
いまさらいっても、
せんないことと思いながら、
さすがに内大臣は、
萎れて月日を送っている姫君が、
あわれでもある。
相手の中将、夕霧が、
そ知らぬ顔でいるので、
内大臣は進退に窮している。
今さらこちらから、
折れて出るのも外聞悪く、
こんなことなら、あちらが、
雲井雁と結婚したがった時に、
許していればよかったと、
気弱くもなる。
夕霧は内大臣が、
気弱になっているというのを、
耳にするが、
何といっても、
つれない仕打ちで、
恋人の仲を裂かれた怨みを、
忘れることが出来ない。
六位の下っ端役人と、
乳母に侮られた屈辱も消えず、
せめて納言になってから、
雲井雁に求婚しようと、
決心していた。
しかし雲井雁への思慕は、
この真面目な青年の心に、
深く根をおろしていたので、
他の女人に思いをかけることは、
ついぞないのであった。
源氏は、
いつまでも長男の身が、
定まらないのを案じていた。
「雲井雁の姫君のことは、
どうしたのかね?
あきらめたのなら、
右大臣や中務の宮などから、
縁談が来ているから、
考えるとよい」
というのであるが、
夕霧はうつむいたままで、
答えなかった。
「意見をするのではない」
源氏はおだやかにいう。
「私自身も、
こんな問題については、
亡き父帝のご教訓に、
従えなかったのだから、
お前に、
意見しようというのではない。
いつまでも独身でいると、
誤解も招くし、
つまらぬ女と一緒になったりして、
外聞も悪く、
志も違うことになる。
女のことで身をあやまる例は、
昔から数多いのだ。
高望みをしても、
女のことは思うようには、
いかないものだ。
私は小さい時から、
御所で育ったので、
ちょっとした咎でもすぐ目立ち、
窮屈だった。
それで、
身をつつしんでいたつもりだが、
好き者と非難されて、
自由な暮らしは出来なかった。
お前は身軽だと思って、
羽をのばしてはいけないよ。
定まる妻を持たぬのは、
とかく浮名を立てられやすく、
また道ならぬことに深くなり、
終生、悔恨のたねになる。
相思相愛の男女が結婚し、
そのまま生涯、
変ることがなければ、
それが理想なのだがね・・・
中々、現実にはそれは難しい。
結婚して性格が合わぬのに気づき、
気に入らぬときでも、
少しは我慢して、
思いなおすようにするがよい。
女の親の気持ちも考えて、
それに免じて心を傷つけるような、
ことはするな。
もし親がなくて、
暮らしに困るような女でも、
その人柄にどこか一点、
可愛いところがあれば、
それを取得にして、
末永く面倒を見、
添い遂げてやるのがよい。
自分のためにも人のためにも、
よいように分別するのが、
男の女に対する、
思いやりというものだ」
源氏は諄々と説き聞かせるが、
夕霧の考えるのは、
雲井雁のことばかりだった。
夕霧と中務の宮の姫君の、
縁談が進んでいるという、
噂を聞いて、内大臣は、
心を傷めた。
雲井雁のところへ行って、
「こういう噂を聞いたが、
ほんとだとしたら夕霧もひどい。
尤も私が強情を張って、
源氏の大臣に色よい返事を、
しなかったから、
いまだに根に持っていられる。
今ここで私が折れたら、
人聞きも悪いしみっとも悪い。
かといって、
お前がかわいそうだし・・・」
内大臣は涙ぐんで、
娘をふびんがった。
雲井雁は、
しょんぼりしてうつむく。
はらりはらりと、
涙をこぼしているのを見ると、
内大臣は、
ここはどうあっても、
娘のために、
自分が折れて出なければ、
いけないだろうと思い乱れ、
ため息をついて起ちあがった。
雲井雁は一人になって考えた。
(きっとあの方は、
中務の宮さまの姫君と、
結婚なさるわ・・・
そしたらあたくしことなんか、
すぐお忘れになるわ)
と思うと悲しくて、
涙があとからあとから出てくる。
夕霧を恋しく思うくせに、
それを人に知られるのを、
雲井雁は恥じていた。
そこへ夕霧から手紙が来た。
この幼な馴染みの恋人たちは、
忍び忍びに恋文だけは、
いつも取り交わしていた。
「このごろどうしたの?
ちっとも手紙をくれないね。
やっぱり、あなたも世間並みに、
去るもの日々に疎し、
というところなのか。
私の方は、
去れば去るほどあなたが恋しい。
私が変人なのかもしれないね」
宛て名も署名もない、
秘めやかな恋文である。
だが、
まぎれもなく、
夕霧の手である。
雲井雁はすぐ返事を書いた。
「あなたこそ世間並みよ。
あたくしにだまって、
他の人と仲良くなさるなんて。
みんな聞きました。
あなたはそのかたと、
お幸せにお暮しなさいませ」
(何の意味だ?)
青年はその返事を受け取って、
小首をかしげていた。
彼は恋人を、
こうも拗ねさせた原因がわからず、
一生懸命考えた。
(了)