・夕霧は、
中務の宮であろうが、
誰であろうが、
どこの姫君とも結婚の意志は、
なかった。
それどころか、
六条院では、
明石の姫君の入内準備で、
大さわぎなのに、
そんな中で夕霧一人、
物思いにふけることが多い。
考えるのは雲井雁のことばかり。
こういう苦しい恋ならば、
伯父(母の葵の上の兄君)の、
内大臣が、
かなり折れたという噂だから、
こっそりと忍んで通って、
既成事実を作ってしまう、
という手もあるのだった。
伯父も目をつぶって、
知らぬ顔を通してくれよう。
そうしていつのまにか、
夫婦として認められるように、
なるかもしれない。
しかし夕霧は篤実な性格だから、
そんなことは出来ない。
せっかく今まで待ったのだから、
やはり伯父から、
正式な交渉があっての、
結婚の方が、
お互いの名誉のためにも、
不体裁でなくていい、
とじっと辛抱している。
内大臣の焦燥も、
それに劣らない。
もし夕霧が中務の宮の婿に、
なったとしたら、
いそいで雲井雁の縁談を、
探さなければならぬが、
それには、
雲井雁と夕霧の恋愛沙汰は、
世上に知られすぎている。
婿になる青年も、
世の物笑いになるだろうし、
かつこちらも外聞が悪い。
どう考えても、
こちらが負けて夕霧を婿に、
迎えるしかない。
といって、
夕霧と内大臣は、
双方、ふくむ所のある仲で、
今、急にちやほやするのも、
格好の悪いことであった。
いい機会があればなあ、
と内大臣は考えていたが、
そのうち、三月二十日は、
亡き大宮のご命日。
大宮は、
夕霧、雲井雁の、
おばあちゃまであり、
内大臣の母君である。
一族、
極楽寺におまいりすることがあり、
そこで夕霧と会った。
内大臣は、
子息あまた引き連れて、
その中でも夕霧の中将は、
抜きんでた風采と挙措である。
りりしくて、
しかも猛からず、
落ち着いていて美しい貴公子。
御布施など、
六条院からも出された。
夕霧はやさしかった祖母宮の、
御供養なのでことに心を尽くした。
夕方、
みなが帰りかけるころであった。
花は散り乱れ、
夕がすみがおぼろに立ちこめ、
ものなつかしい春の夕べ、
内大臣は心そそられて、
思わず立ちつくしていた。
夕霧も春のあわれにさそわれたか、
空をながめてうっとりしていた。
内大臣はそれを見ると、
かつてないことだが、
心動かされ、
郷愁にも似た思いで、
夕霧に対する愛情が、
こみあげてきた。
思えば雲井雁事件の前は、
内大臣はこの甥をよく可愛がり、
甥もまた伯父になついていた。
早くに母を失った甥を、
内大臣は不憫に思い、
息子のように目をかけていた。
雲井雁とあやまちを起こしたから、
といって甥を憎むのは、
行き過ぎではなかったろうか?
亡き大宮がいわれたように、
雲井雁と結婚させるとしたら、
夕霧くらいよくできた、
婿はあるまい。
自分が、
雲井雁を主上か東宮に納れようと、
思ったばかりに、
ことは紛糾し、
反目と誤解が入り乱れてしまった。
内大臣は、
知らず知らず、
夕霧に歩み寄っていた。
「今日はご苦労だったね」
夕霧の袖を引いて話しかけた。
「なぜそう、
よそよそしくする。
今日の法会の縁を思うだけでも、
もっと親しくしてほしいものだ。
生い先も長くない年寄りの私に、
つれなくするとは、
恨めしいではないか」
「いや、べつに、私は」
青年はかたくなっていった。
「亡きおばあさまも、
伯父上を頼りにさせて頂くように、
とご遺言がありましたが・・・
どうも伯父上のご機嫌を、
損ねた様子で恐縮して、
ご遠慮申し上げておりました」
折から雨風烈しくなり、
人々は急いで散ってしまったが、
夕霧は、
伯父の言葉をしきりに考えた。
なぜ急に伯父は、
親しみをみせて寄ってきたのか、
何か意図があるのか。
もしや雲井雁を、
自分にゆるそうというのか。
いや、
まさかあの権高な伯父が。
青年はとつおい考えて、
寝もやらずその夜は明かした。
内大臣はあの法会の日以来、
意地も折れて、
夕霧と和解する、
よき折もがな、
と思い続けていた。
四月はじめであった。
庭先に藤の花が咲き乱れ、
例年より色濃く美しいと、
人々は賞美して、
管弦の遊びを催すことになった。
内大臣のもくろみは、
夕霧を招くことにある。
雲井雁と結婚してもよい、
いや、結婚して下され、
と正面切って話し合うような、
むきつけなことは出来ない。
花の宴にかこつけ、
何ごとも優雅に自然に、
なだらかに楽しく、
ことを運ばなければならぬ。
(次回へ)