むかし・あけぼの

田辺聖子さん訳の、
「むかし・あけぼの」
~小説枕草子~
(1986年初版)角川文庫

29、藤裏葉 ①

2024年01月16日 08時47分09秒 | 「新源氏物語」田辺聖子訳










・夕霧は、
中務の宮であろうが、
誰であろうが、
どこの姫君とも結婚の意志は、
なかった。

それどころか、
六条院では、
明石の姫君の入内準備で、
大さわぎなのに、
そんな中で夕霧一人、
物思いにふけることが多い。

考えるのは雲井雁のことばかり。

こういう苦しい恋ならば、
伯父(母の葵の上の兄君)の、
内大臣が、
かなり折れたという噂だから、
こっそりと忍んで通って、
既成事実を作ってしまう、
という手もあるのだった。

伯父も目をつぶって、
知らぬ顔を通してくれよう。

そうしていつのまにか、
夫婦として認められるように、
なるかもしれない。

しかし夕霧は篤実な性格だから、
そんなことは出来ない。

せっかく今まで待ったのだから、
やはり伯父から、
正式な交渉があっての、
結婚の方が、
お互いの名誉のためにも、
不体裁でなくていい、
とじっと辛抱している。

内大臣の焦燥も、
それに劣らない。

もし夕霧が中務の宮の婿に、
なったとしたら、
いそいで雲井雁の縁談を、
探さなければならぬが、
それには、
雲井雁と夕霧の恋愛沙汰は、
世上に知られすぎている。

婿になる青年も、
世の物笑いになるだろうし、
かつこちらも外聞が悪い。

どう考えても、
こちらが負けて夕霧を婿に、
迎えるしかない。

といって、
夕霧と内大臣は、
双方、ふくむ所のある仲で、
今、急にちやほやするのも、
格好の悪いことであった。

いい機会があればなあ、
と内大臣は考えていたが、
そのうち、三月二十日は、
亡き大宮のご命日。

大宮は、
夕霧、雲井雁の、
おばあちゃまであり、
内大臣の母君である。

一族、
極楽寺におまいりすることがあり、
そこで夕霧と会った。

内大臣は、
子息あまた引き連れて、
その中でも夕霧の中将は、
抜きんでた風采と挙措である。

りりしくて、
しかも猛からず、
落ち着いていて美しい貴公子。

御布施など、
六条院からも出された。

夕霧はやさしかった祖母宮の、
御供養なのでことに心を尽くした。

夕方、
みなが帰りかけるころであった。

花は散り乱れ、
夕がすみがおぼろに立ちこめ、
ものなつかしい春の夕べ、
内大臣は心そそられて、
思わず立ちつくしていた。

夕霧も春のあわれにさそわれたか、
空をながめてうっとりしていた。

内大臣はそれを見ると、
かつてないことだが、
心動かされ、
郷愁にも似た思いで、
夕霧に対する愛情が、
こみあげてきた。

思えば雲井雁事件の前は、
内大臣はこの甥をよく可愛がり、
甥もまた伯父になついていた。

早くに母を失った甥を、
内大臣は不憫に思い、
息子のように目をかけていた。

雲井雁とあやまちを起こしたから、
といって甥を憎むのは、
行き過ぎではなかったろうか?

亡き大宮がいわれたように、
雲井雁と結婚させるとしたら、
夕霧くらいよくできた、
婿はあるまい。

自分が、
雲井雁を主上か東宮に納れようと、
思ったばかりに、
ことは紛糾し、
反目と誤解が入り乱れてしまった。

内大臣は、
知らず知らず、
夕霧に歩み寄っていた。

「今日はご苦労だったね」

夕霧の袖を引いて話しかけた。

「なぜそう、
よそよそしくする。
今日の法会の縁を思うだけでも、
もっと親しくしてほしいものだ。
生い先も長くない年寄りの私に、
つれなくするとは、
恨めしいではないか」

「いや、べつに、私は」

青年はかたくなっていった。

「亡きおばあさまも、
伯父上を頼りにさせて頂くように、
とご遺言がありましたが・・・
どうも伯父上のご機嫌を、
損ねた様子で恐縮して、
ご遠慮申し上げておりました」

折から雨風烈しくなり、
人々は急いで散ってしまったが、
夕霧は、
伯父の言葉をしきりに考えた。

なぜ急に伯父は、
親しみをみせて寄ってきたのか、
何か意図があるのか。

もしや雲井雁を、
自分にゆるそうというのか。

いや、
まさかあの権高な伯父が。

青年はとつおい考えて、
寝もやらずその夜は明かした。

内大臣はあの法会の日以来、
意地も折れて、
夕霧と和解する、
よき折もがな、
と思い続けていた。

四月はじめであった。

庭先に藤の花が咲き乱れ、
例年より色濃く美しいと、
人々は賞美して、
管弦の遊びを催すことになった。

内大臣のもくろみは、
夕霧を招くことにある。

雲井雁と結婚してもよい、
いや、結婚して下され、
と正面切って話し合うような、
むきつけなことは出来ない。

花の宴にかこつけ、
何ごとも優雅に自然に、
なだらかに楽しく、
ことを運ばなければならぬ。






          


(次回へ)

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