むかし・あけぼの

田辺聖子さん訳の、
「むかし・あけぼの」
~小説枕草子~
(1986年初版)角川文庫

26、真木柱 ⑥

2024年01月08日 08時45分59秒 | 「新源氏物語」田辺聖子訳








・北の方の苦しみを、
さすがの髭黒の大将も、
少しは察することが出来た。

大将は重い気を引き立て、
北の方の部屋へ、
見舞いに行った。

北の方は、
病み呆けて枕から頭も上がらぬ、
あわれなさま。

もともと美しく、
かよわげな上品な人であったが、
いまは痩せおとろえ、
髪も抜け落ちて、
見る影もないありさま。

気鬱が続いて、
何をするのも物憂く、
身だしなみもせず、
室内も埃にまみれて、
見る目もいぶせきありさま。

輝くような,
六条院の美しい姫君とは、
くらべものにならないが、
しかし、
長年連れ添い、
子供まで生した仲の,
北の方に対して、
大将の心には、
憐憫の念と、
やるせないいとしさが湧いた。

「父君の宮が、
あなたをお引き取りになりたいと、
仰せられているそうだね。
・・・私は反対だよ。
ここにいて欲しいと思うのだが。
身分ある者は、
喧嘩別れなどして、
世間に取沙汰されるようなことは、
避けなければいけないと思う。
どうか今まで通り、
ここにいて下さい。
病気のあなたを、
私は今までずっと、
世話をし面倒を見て来ました。
末始終を添い遂げよう、
子供たちもいることだからと、
私は幾度もあなたに契った。
どんなことになっても、
あなたを見捨てるつもりはない。
私を信じて下さい」

「でも、
あなたのご本心は、
わたくしにいてほしくない、
と思われるのでしょう?」

「そんなことがあるものか。
あなたの病気が,
そう言わせると思う」

「六条院の噂は、
わたくしの耳にまで入っています。
わたくしなど死ねばよい、
と思っていられるのでは,
ありませんか」

「何をいう・・・
あなたのことを私は、
いつ忘れたことがあるか。
宮も、
噂を信じて,
私を信じて下さらないとは,
恨めしい。
あなたをお引き取りになろう、
というのは,
少し軽率ではあるまいか」

「わたくしのことは、
何とおっしゃっても,
かまいませんけれど、
お父さまの悪口は、
おっしゃらないで下さいまし」

北の方は正気でいる時なので、
そういってすすり泣いた。

大将は心を動かされて、
口重ながら懸命になぐさめた。

「たしかに私は、
六条院のひとも愛しているが、
しかしあなたに対する愛情は、
本当のものだ。
どうかここにいて、
私にあなたの看病を、
続けさせてほしいのだ」

「わたくしの病気は,
いつ治るものやら。
それにしても、
怨めしいのは源氏の大臣の北の方、
紫の上です。
あの方は他人ではなく、
わたくしの腹違いの妹にあたる方。
それなのに、
ご自分が親代わりになって、
玉蔓の姫とやらを、
あなたに取り持とうとされる・・・
わたくしたちにふくも所でも、
おありになるのでしょうか。
お父さまもそういってお恨みです」

「それこそ邪推だよ。
大臣の北の方は何もご存じない」

大将は一日中、
かんでふくめるように、
北の方に言い聞かせ、
なだめていた。

しかし、
日が暮れると、
大将は心も空に浮足だって、
何とかして玉蔓のところへ行こう、
と思うのだった。

そのうち、
雪が降ってきた。

こんな空模様をおして、
出かけるのは人目につく。

それに、
北の方がいつになくいじらしく、
しょんぼりと、
正気でいるのもあわれで、
大将は迷いながらそわそわした。

「あいにくの雪でございます。
でも夜が更けますから、
早くおいでなさいまし」

北の方はすすめた。
止めても無駄と思っているらしい。

「この雪ではどうも・・・
でも、やはり行こうか。
源氏の大臣も内大臣も,
心配なさるから、
当分の間は通わなければ、
悪く思って下さるな。
・・・
あなたが素直に、
病気もおさまっているのを見ると、
本当はあなたがいとしい、
やはり、一番好きなのは、
あなただよ」

これは大将の本心であった。

北の方は、
やおら起きて、
夫の身支度を手伝う。

火取りを取り寄せ、
大将の着物に香をたきしめた。

大将は、
大儀らしくよそおいながら、
心は玉蔓のもとに走っている。

衣装を美々しくつけると、
男盛りのりっぱな姿で、
中年貴族の貫禄と美しさに、
あふれていた。

北の方は悲しみをおしかくして、
いじらしげに、
脇息に伏していたが、
一瞬、起きあがり、
あっと言う間もなく、
大きな伏せ籠の下にあった、
火取りを引きよせ、
大将のうしろから、
ぱっとあびせた。

灰が真っ白に舞い立ち、
大将は呆然とし、
人々が驚きさわぐ中を、
北の方は金切り声をあげた。

発作が起こったのである。

「ほほほ・・・
いい気味だ。
その格好で六条院へ行くがよい。
玉蔓の姫君とやらが、
さぞ可愛がって下さいます」

北の方は声を限りに、
叫んでいた。






          


(次回へ)

この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 26、真木柱 ⑤ | トップ | 26、真木柱 ⑦ »
最新の画像もっと見る

「新源氏物語」田辺聖子訳」カテゴリの最新記事