・北の方の苦しみを、
さすがの髭黒の大将も、
少しは察することが出来た。
大将は重い気を引き立て、
北の方の部屋へ、
見舞いに行った。
北の方は、
病み呆けて枕から頭も上がらぬ、
あわれなさま。
もともと美しく、
かよわげな上品な人であったが、
いまは痩せおとろえ、
髪も抜け落ちて、
見る影もないありさま。
気鬱が続いて、
何をするのも物憂く、
身だしなみもせず、
室内も埃にまみれて、
見る目もいぶせきありさま。
輝くような,
六条院の美しい姫君とは、
くらべものにならないが、
しかし、
長年連れ添い、
子供まで生した仲の,
北の方に対して、
大将の心には、
憐憫の念と、
やるせないいとしさが湧いた。
「父君の宮が、
あなたをお引き取りになりたいと、
仰せられているそうだね。
・・・私は反対だよ。
ここにいて欲しいと思うのだが。
身分ある者は、
喧嘩別れなどして、
世間に取沙汰されるようなことは、
避けなければいけないと思う。
どうか今まで通り、
ここにいて下さい。
病気のあなたを、
私は今までずっと、
世話をし面倒を見て来ました。
末始終を添い遂げよう、
子供たちもいることだからと、
私は幾度もあなたに契った。
どんなことになっても、
あなたを見捨てるつもりはない。
私を信じて下さい」
「でも、
あなたのご本心は、
わたくしにいてほしくない、
と思われるのでしょう?」
「そんなことがあるものか。
あなたの病気が,
そう言わせると思う」
「六条院の噂は、
わたくしの耳にまで入っています。
わたくしなど死ねばよい、
と思っていられるのでは,
ありませんか」
「何をいう・・・
あなたのことを私は、
いつ忘れたことがあるか。
宮も、
噂を信じて,
私を信じて下さらないとは,
恨めしい。
あなたをお引き取りになろう、
というのは,
少し軽率ではあるまいか」
「わたくしのことは、
何とおっしゃっても,
かまいませんけれど、
お父さまの悪口は、
おっしゃらないで下さいまし」
北の方は正気でいる時なので、
そういってすすり泣いた。
大将は心を動かされて、
口重ながら懸命になぐさめた。
「たしかに私は、
六条院のひとも愛しているが、
しかしあなたに対する愛情は、
本当のものだ。
どうかここにいて、
私にあなたの看病を、
続けさせてほしいのだ」
「わたくしの病気は,
いつ治るものやら。
それにしても、
怨めしいのは源氏の大臣の北の方、
紫の上です。
あの方は他人ではなく、
わたくしの腹違いの妹にあたる方。
それなのに、
ご自分が親代わりになって、
玉蔓の姫とやらを、
あなたに取り持とうとされる・・・
わたくしたちにふくも所でも、
おありになるのでしょうか。
お父さまもそういってお恨みです」
「それこそ邪推だよ。
大臣の北の方は何もご存じない」
大将は一日中、
かんでふくめるように、
北の方に言い聞かせ、
なだめていた。
しかし、
日が暮れると、
大将は心も空に浮足だって、
何とかして玉蔓のところへ行こう、
と思うのだった。
そのうち、
雪が降ってきた。
こんな空模様をおして、
出かけるのは人目につく。
それに、
北の方がいつになくいじらしく、
しょんぼりと、
正気でいるのもあわれで、
大将は迷いながらそわそわした。
「あいにくの雪でございます。
でも夜が更けますから、
早くおいでなさいまし」
北の方はすすめた。
止めても無駄と思っているらしい。
「この雪ではどうも・・・
でも、やはり行こうか。
源氏の大臣も内大臣も,
心配なさるから、
当分の間は通わなければ、
悪く思って下さるな。
・・・
あなたが素直に、
病気もおさまっているのを見ると、
本当はあなたがいとしい、
やはり、一番好きなのは、
あなただよ」
これは大将の本心であった。
北の方は、
やおら起きて、
夫の身支度を手伝う。
火取りを取り寄せ、
大将の着物に香をたきしめた。
大将は、
大儀らしくよそおいながら、
心は玉蔓のもとに走っている。
衣装を美々しくつけると、
男盛りのりっぱな姿で、
中年貴族の貫禄と美しさに、
あふれていた。
北の方は悲しみをおしかくして、
いじらしげに、
脇息に伏していたが、
一瞬、起きあがり、
あっと言う間もなく、
大きな伏せ籠の下にあった、
火取りを引きよせ、
大将のうしろから、
ぱっとあびせた。
灰が真っ白に舞い立ち、
大将は呆然とし、
人々が驚きさわぐ中を、
北の方は金切り声をあげた。
発作が起こったのである。
「ほほほ・・・
いい気味だ。
その格好で六条院へ行くがよい。
玉蔓の姫君とやらが、
さぞ可愛がって下さいます」
北の方は声を限りに、
叫んでいた。
(次回へ)