むかし・あけぼの

田辺聖子さん訳の、
「むかし・あけぼの」
~小説枕草子~
(1986年初版)角川文庫

26、真木柱 ⑤

2024年01月07日 13時16分36秒 | 「新源氏物語」田辺聖子訳










・玉蔓と結婚した髭黒の大将は、
日を重ねるほどに、
いよいよ物狂おしく玉蔓に溺れていくが、
玉蔓の心は晴れない。

大将の強くなる執着を、
うっとうしくも気重く、
思うばかり。

この上、
大将の邸に引き取られたならば、
この重い心は、
よけい閉ざされるであろう。

玉蔓は、
人に会ったり、
話したりせねばならぬ、
公務の忙しさを感謝した。

大将はいやがるが、
宮中へ上がってしまうのもいいかも、
と彼女は思うようになっていた。

大将は離れていきそうな、
若い玉蔓の心をとらえるのに、
やっきになっている。

そうすればするほど、
若い心が離れていくのを、
いちずな大将は知らない。

あまたの求婚者の中でも、
兵部卿の宮の嘆きと恨みは深かった。

宮は、
失恋のいたみを長く、
お忘れにならなかった。

宮のお嘆きのようすが、
玉蔓の耳にも入った。

たしなみ深いお手紙、
みやびやかな口説、
そんなものを思いだすと、
玉蔓はわけもなく悲しくて、
涙ぐんだ。

あのやさしい恋の風趣は、
私の人生から遠いものに、
なってしまった。

しかし、玉蔓は、
宮よりも源氏への思慕が、
強くなっていた。

はじめて源氏を恋しく思った。

「あなたは疑っていられたが、
私は潔白だった。
こんどの玉蔓の結婚で、
よくわかっただろう?」

と源氏は紫の上にいった。

華やかにも盛大な、
結婚の宴が行われ、
髭黒の大将が、
意気揚々と通うさまをみれば、
紫の上ばかりでなく、
世間の人々もやっと、
玉蔓と源氏の仲についての、
疑いを晴らした。

しかし源氏の心は、
まだあやうい戸惑いの中にいる。

源氏は、
主上(冷泉帝、実子である)の、
仰せがあったということで、
形式的にも参内したほうがよい、
といった。

大将がその邸へ引き取ったら最後、
もはや玉蔓を外の風にも当てず、
包み込むに違いないからである。

大将ははなはだ不満であったが、

(よし、ここは折れて、
一日、参内させよう。
退出の折、
そのままわが邸に連れ帰ろう)

とひそかに決心し、
許した。

大将は、
若い時ならともかく、
中年の今となっては、
夜々、女の邸へ通うのは大儀であり、
不自由であるから、
一日も早く自邸に玉蔓を迎えたかった。

そうなると、
一途な性格だけに、
北の方の気持ちも省みず、
可愛がっていた子供たちも、
目に入らなくなった。

真面目なだけに気が利かず、
周囲を傷つけてしまうのであった。

大将の北の方とて、
決して軽い身分の女性ではなかった。

式部卿の宮の姫君、
おん父君がとりわけ、
いとしまれた長女の姫で、
世にも重んじられ、
若いころは美しかった。

(紫の上の異母姉になる)

ただ惜しいことに、
物の怪が執念深くとりついて、
この数年は常軌を逸した振る舞いがある。

大将は、
夫人の発作をいとおしく思いながら、
今は疲れ果てていた。

いつとはなく、
夫婦仲は離れていった。

しかし、
北の方を唯一人の妻として、
尊敬していた。

子供たちの母でもある北の方を、
大将は大切な人として遇していた。

まして大将も世間も、
疑っていたように、
源氏と玉鬘には何ごともなく、
玉蔓は処女だったことを知って、
大将はなお執着を増していた。

北の方も子供も、
捨てて省みないほど、
のぼせてしまったのも、
無理はないのである。

「なぜそんな邸に、
いつまでもいる?
新しい女が迎えられようという邸に、
いつまでもいることは、
世間体も悪い。
私が生きている限りは、
笑いものにはさせない。
帰ってきなさい」

と北の方の実父の父宮、式部卿の宮は、
そういわれるが、
それでも北の方は、
帰る気になれなかった。

夫に捨てられて、
実家で嘆き暮らすのも辛く、
ここにいるのも苦しく、
ますます思い乱れ、
半狂乱になって嘆いていた。






          


(次回へ)

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