・深夜忍んでくる風流な恋人たちは、
必ず暁のかわたれどきに、
身を紛らせて帰るものである。
そうして早々と、
後朝(きぬぎぬ)の文をよこすのが、
恋する男の習いである。
しかるに髭黒の大将は、
日が昇っても玉蔓から離れない。
公務もうち忘れて、
玉蔓の機嫌を取るのに必死である。
明るいところで見れば見るほど、
美しい姫君だった。
それにつけても大将は、
日ごろ信仰している石山寺の観世音と、
弁のおもとを並べて拝みたい気がする。
大将は玉蔓の手を取り、
言葉を尽くして誠意を披露するのであるが、
玉蔓は身を固くして深いため息をもらすのみ。
それでも口上手でない大将が、
ぼつぼつと懸命に語るのに、
さすがにつれないままでいられないと思って、
「ただ、思いがけないばかりで・・・
も少し気持ちの落ち着きますまで、
お許し下さい」
と絶え絶えにいって、
つっぷしてしまう。
大将はその美しい惑乱を見ると、
このまま帰ったら、
この幸福は煙のように消えてしまいはせぬか、
と危ぶまれる。
女房達は、
はらはらしながらなりゆきを見守るしかない。
「大将のおもてなしを鄭重にせよ。
構えて粗略なことがあってはならない」
と源氏は人々に命じた。
「三日夜(みかよ)の餅の用意は出来たか。
宴の準備は」
源氏は、
髭黒の大将を玉蔓の婿として認め、
鄭重に扱うことで、
自分もこの結婚に異存はない、
ということを世間に印象づけようとしている。
世間は意外ななりゆきに驚くであろうし、
出し抜かれた求婚者たちは悔しがるであろうが、
最も驚き、残念に思ったのは、
実は源氏である。
源氏は大将の強引なやりかたに、
強い不快の念を抱いている。
しかし、
実父の内大臣の内諾を得ている相手に、
しかも玉蔓の庇護者である自分が、
とやかくいうことは出来ない。
いずれは、
と思っていた大将であるが、
まるで鼻先から掌中の珠を盗まれたような、
やりかたをされてみると、
源氏は心中、ただならぬ思いである。
(自分は少し計算ちがいをしていた。
まさかあの男が、
そこまで思い切ったことをするとは・・・)
と源氏はどす黒い嫉妬や憤懣に心は煮えて、
いまいましく思っているが、
気ぶりにも出さず、
婚礼の式を華やかにとりおこなった。
それは、
玉蔓への心づくしである。
内大臣は、
このことを聞いて、
心から、よかった、と思った。
大将に愛されて気楽に暮らすほうが、
玉蔓の幸福であろうと、
彼は考えた。
それに源氏が盛大な婚礼の式を、
作法通りにとり行ってくれたと聞いて、
いまはしみじみ、
源氏の尽力に感謝していた。
源氏が玉蔓に、
下心を持っているのではないか、
というかねての疑いを、
内大臣はすっかり払拭した。
「あの姫も、
これでやっと落ち着いた。
私も肩の荷を下ろしたよ。
源氏の大臣には世話になった。
あの姫のことではあたまが上がらない」
内大臣は親らしく、
上機嫌でまわりに洩らしていたが、
源氏の心中は誰にもわからない。
大将は、
婿として認められた以上、
一日も早く自邸に、
引き取りたいと熱望しているが、
源氏の賛成を得られないので、
やきもきしていた。
源氏は玉蔓を通じて、
「急ぐことはない」
とけん制していた。
もとより玉蔓も、
大将邸へ引き取られたくなかった。
われから望んで結婚したのではないので、
六条院を離れて大将邸へ移るのは、
まだ決心がつかないのである。
「お邸には北の方がいらっしゃるのですもの。
快く迎えて頂けるはずはないし、
いますぐ移るのは軽率だと、
源氏の大臣もおっしゃっています」
と玉鬘に訴えられると、
大将も力ずくで拉っしてゆくことも出来ない。
それでも婿としての待遇は、
至れり尽くせりなので、
そのことに満足して、
大将は六条院へ通った。
十一月になった。
玉蔓の結婚はいつしか世上に洩れ、
人々の好奇心をそそり、
噂は主上のお耳にまで達した。
「そうか。
結婚したのか」
主上は残念に思し召された。
「しかし、
尚侍という公職に任じた以上、
その仕事をするのに差支えはない。
宮中に仕え、
公務をとるように」
と仰せられた。
十一月は神事の多い月で、
内侍所は多忙をきわめ、
尚侍たる玉蔓のもとへ、
女官たちが入れ替わり立ち代わり、
公務の連絡に来るので、
華やかに活気があった。
その中で髭黒の大将は、
日中も玉蔓の部屋でこもりきり、
いっこう帰ろうとしない。
玉蔓は、そのため不機嫌である。
いつも明るく、
快活だった玉蔓は、
この頃沈みがちになった。
(次回へ)