むかし・あけぼの

田辺聖子さん訳の、
「むかし・あけぼの」
~小説枕草子~
(1986年初版)角川文庫

26、真木柱 ④

2024年01月06日 08時46分15秒 | 「新源氏物語」田辺聖子訳










・深夜忍んでくる風流な恋人たちは、
必ず暁のかわたれどきに、
身を紛らせて帰るものである。

そうして早々と、
後朝(きぬぎぬ)の文をよこすのが、
恋する男の習いである。

しかるに髭黒の大将は、
日が昇っても玉蔓から離れない。

公務もうち忘れて、
玉蔓の機嫌を取るのに必死である。

明るいところで見れば見るほど、
美しい姫君だった。

それにつけても大将は、
日ごろ信仰している石山寺の観世音と、
弁のおもとを並べて拝みたい気がする。

大将は玉蔓の手を取り、
言葉を尽くして誠意を披露するのであるが、
玉蔓は身を固くして深いため息をもらすのみ。

それでも口上手でない大将が、
ぼつぼつと懸命に語るのに、
さすがにつれないままでいられないと思って、

「ただ、思いがけないばかりで・・・
も少し気持ちの落ち着きますまで、
お許し下さい」

と絶え絶えにいって、
つっぷしてしまう。

大将はその美しい惑乱を見ると、
このまま帰ったら、
この幸福は煙のように消えてしまいはせぬか、
と危ぶまれる。

女房達は、
はらはらしながらなりゆきを見守るしかない。

「大将のおもてなしを鄭重にせよ。
構えて粗略なことがあってはならない」

と源氏は人々に命じた。

「三日夜(みかよ)の餅の用意は出来たか。
宴の準備は」

源氏は、
髭黒の大将を玉蔓の婿として認め、
鄭重に扱うことで、
自分もこの結婚に異存はない、
ということを世間に印象づけようとしている。

世間は意外ななりゆきに驚くであろうし、
出し抜かれた求婚者たちは悔しがるであろうが、
最も驚き、残念に思ったのは、
実は源氏である。

源氏は大将の強引なやりかたに、
強い不快の念を抱いている。

しかし、
実父の内大臣の内諾を得ている相手に、
しかも玉蔓の庇護者である自分が、
とやかくいうことは出来ない。

いずれは、
と思っていた大将であるが、
まるで鼻先から掌中の珠を盗まれたような、
やりかたをされてみると、
源氏は心中、ただならぬ思いである。

(自分は少し計算ちがいをしていた。
まさかあの男が、
そこまで思い切ったことをするとは・・・)

と源氏はどす黒い嫉妬や憤懣に心は煮えて、
いまいましく思っているが、
気ぶりにも出さず、
婚礼の式を華やかにとりおこなった。

それは、
玉蔓への心づくしである。

内大臣は、
このことを聞いて、
心から、よかった、と思った。

大将に愛されて気楽に暮らすほうが、
玉蔓の幸福であろうと、
彼は考えた。

それに源氏が盛大な婚礼の式を、
作法通りにとり行ってくれたと聞いて、
いまはしみじみ、
源氏の尽力に感謝していた。

源氏が玉蔓に、
下心を持っているのではないか、
というかねての疑いを、
内大臣はすっかり払拭した。

「あの姫も、
これでやっと落ち着いた。
私も肩の荷を下ろしたよ。
源氏の大臣には世話になった。
あの姫のことではあたまが上がらない」

内大臣は親らしく、
上機嫌でまわりに洩らしていたが、
源氏の心中は誰にもわからない。

大将は、
婿として認められた以上、
一日も早く自邸に、
引き取りたいと熱望しているが、
源氏の賛成を得られないので、
やきもきしていた。

源氏は玉蔓を通じて、

「急ぐことはない」

とけん制していた。

もとより玉蔓も、
大将邸へ引き取られたくなかった。

われから望んで結婚したのではないので、
六条院を離れて大将邸へ移るのは、
まだ決心がつかないのである。

「お邸には北の方がいらっしゃるのですもの。
快く迎えて頂けるはずはないし、
いますぐ移るのは軽率だと、
源氏の大臣もおっしゃっています」

と玉鬘に訴えられると、
大将も力ずくで拉っしてゆくことも出来ない。

それでも婿としての待遇は、
至れり尽くせりなので、
そのことに満足して、
大将は六条院へ通った。

十一月になった。

玉蔓の結婚はいつしか世上に洩れ、
人々の好奇心をそそり、
噂は主上のお耳にまで達した。

「そうか。
結婚したのか」

主上は残念に思し召された。

「しかし、
尚侍という公職に任じた以上、
その仕事をするのに差支えはない。
宮中に仕え、
公務をとるように」

と仰せられた。

十一月は神事の多い月で、
内侍所は多忙をきわめ、
尚侍たる玉蔓のもとへ、
女官たちが入れ替わり立ち代わり、
公務の連絡に来るので、
華やかに活気があった。

その中で髭黒の大将は、
日中も玉蔓の部屋でこもりきり、
いっこう帰ろうとしない。

玉蔓は、そのため不機嫌である。

いつも明るく、
快活だった玉蔓は、
この頃沈みがちになった。






          


(次回へ)

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