むかし・あけぼの

田辺聖子さん訳の、
「むかし・あけぼの」
~小説枕草子~
(1986年初版)角川文庫

17、薄雲 ⑤

2023年11月06日 09時22分36秒 | 「新源氏物語」田辺聖子訳










・藤壺の女院は、
この春から、ご病床にあった。

三月には、重態におちいられた。
帝は実母の藤壺女院のお見舞いに行幸される。

帝がおん父の桐壺院に別れられたのは、
おん年五歳のころだったから、
格別のご記憶もなかった。

しかし、このたびの母宮との別れを、
帝は堪えがたく悲しまれるので、
女院もお辛そうだった。

「今年はいよいよ、
命の終る年、というような予感が、
いたしておりました」

母宮は帝のお顔に、
じっと視線を当てられた。

そのお声もいまは力弱く、
帝はまぶたが熱くなられた。

帝は涙をこらえようと、
必死に唇をひき結ばれている。

母宮のおん年三十七になられる。
世の中でいう、厄年なのであった。

常からご病弱でいられたので、
目立たなかったのである。

帝はいそいで、加持祈祷をおさせになった。

源氏も動揺して心をいためていた。

行幸ともなれば時間に限りがあり、
帝は心を残してお帰りになった。

悲しいお別れだった。

昔、

(この東宮さえご無事ならば、
わが身はどうなっても)

と仏に祈念されたことがあったが、
東宮はめでたく帝位にのぼられ、
宮の悲願は叶えられた。

宮は苦しい胸のうちで、
それからそれへと思い続けられる。

皇女として生まれられ、
中宮に立たれ、
今上の国母となって、
女人としては並ぶものなき高い位に即かれた。

しかし、
充たされぬお心の苦しさを、
誰がいったい、知り参らせたであろうか。

桐壺帝が夢にも、
源氏との関係をご存じないのを、
宮はいたわしく思われた。

それだけが気がかりであるが、
すべてはみ仏のお心に任せなければ、
仕方ないのだ。

源氏の嘆きは深くひめやかだった。

この年ごろ、
わが手で断ち切った宮への恋を、
いま打ち明けずにこのまま、
やむのかと思うと、
源氏はいても立ってもいられなかった。

(生きているかぎりはおそばに)

と願ったのもむなしく、
ついにこの世では、
あの時を最後に恋は断ち切られた。

源氏は涙をのんで、
ご重態の宮のもとに車を走らせる。

宮のご病床に近い几帳のもとに、
源氏は寄った。

「ご容態は?」

と女房たちにたずねる。

そこに控えているのは、
日ごろ、宮が親しくお使いになる、
そして源氏も長年馴染みになっている、
人々ばかりである。

「ここ何ヶ月か、ご病気をおして、
仏さまのおつとめをお続けになって、
おられました。
そのお疲れが出たようでございます」

「柑子のようなものさえ、
お召しあがりになれません。
もしや再びお元気なお姿を、
見上げることはかなわぬのではあるまいか」

彼女たちは交々いっては、
泣くのであった。

宮は女房を取り次ぎとして、
源氏にお言葉をかけられる。

「故院のご遺言をお守りくださいまして、
主上のご後見役をよく勤めて頂きましたご厚意、
よくわかりまして嬉しく存じております。
このお礼の気持ちをお知らせしたいと思いながら、
・・・もはや、その折もなくなりました。
それが、残念でございます」

消え入るようなお声、
源氏は答えることもできず、
顔も上げられない。

その頬を涙がひまなく伝う。

わが恋はさておき、
これほどまでにすぐれた方が、
若くして逝かれるとは、
なんという惜しいことか、
人の寿命ばかりは思うに任せぬのが、
この世の習いとはいうものの、
源氏は限りなく悲しかった。

「無力な身ながら、
主上の御後見のことは、
心をこめて勤めておりますが、
太政大臣のご逝去で世はあわただしく、
私も衝撃を受けております。
そこへ、このようにお弱りになっていられては、
私は悲しみに心乱れるばかりでございます」

源氏の言葉は、
恨み奉るような口ぶりになってゆく。

自分を見捨てて彼岸へかけ去る人に、
一人生き残ることを強いた、
つれない人に。

源氏の言葉の終らぬうちに、
ともし火の消えるように、
宮は静かに亡くなってしまわれた。






          


(次回へ)

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