・藤壺の女院は、
この春から、ご病床にあった。
三月には、重態におちいられた。
帝は実母の藤壺女院のお見舞いに行幸される。
帝がおん父の桐壺院に別れられたのは、
おん年五歳のころだったから、
格別のご記憶もなかった。
しかし、このたびの母宮との別れを、
帝は堪えがたく悲しまれるので、
女院もお辛そうだった。
「今年はいよいよ、
命の終る年、というような予感が、
いたしておりました」
母宮は帝のお顔に、
じっと視線を当てられた。
そのお声もいまは力弱く、
帝はまぶたが熱くなられた。
帝は涙をこらえようと、
必死に唇をひき結ばれている。
母宮のおん年三十七になられる。
世の中でいう、厄年なのであった。
常からご病弱でいられたので、
目立たなかったのである。
帝はいそいで、加持祈祷をおさせになった。
源氏も動揺して心をいためていた。
行幸ともなれば時間に限りがあり、
帝は心を残してお帰りになった。
悲しいお別れだった。
昔、
(この東宮さえご無事ならば、
わが身はどうなっても)
と仏に祈念されたことがあったが、
東宮はめでたく帝位にのぼられ、
宮の悲願は叶えられた。
宮は苦しい胸のうちで、
それからそれへと思い続けられる。
皇女として生まれられ、
中宮に立たれ、
今上の国母となって、
女人としては並ぶものなき高い位に即かれた。
しかし、
充たされぬお心の苦しさを、
誰がいったい、知り参らせたであろうか。
桐壺帝が夢にも、
源氏との関係をご存じないのを、
宮はいたわしく思われた。
それだけが気がかりであるが、
すべてはみ仏のお心に任せなければ、
仕方ないのだ。
源氏の嘆きは深くひめやかだった。
この年ごろ、
わが手で断ち切った宮への恋を、
いま打ち明けずにこのまま、
やむのかと思うと、
源氏はいても立ってもいられなかった。
(生きているかぎりはおそばに)
と願ったのもむなしく、
ついにこの世では、
あの時を最後に恋は断ち切られた。
源氏は涙をのんで、
ご重態の宮のもとに車を走らせる。
宮のご病床に近い几帳のもとに、
源氏は寄った。
「ご容態は?」
と女房たちにたずねる。
そこに控えているのは、
日ごろ、宮が親しくお使いになる、
そして源氏も長年馴染みになっている、
人々ばかりである。
「ここ何ヶ月か、ご病気をおして、
仏さまのおつとめをお続けになって、
おられました。
そのお疲れが出たようでございます」
「柑子のようなものさえ、
お召しあがりになれません。
もしや再びお元気なお姿を、
見上げることはかなわぬのではあるまいか」
彼女たちは交々いっては、
泣くのであった。
宮は女房を取り次ぎとして、
源氏にお言葉をかけられる。
「故院のご遺言をお守りくださいまして、
主上のご後見役をよく勤めて頂きましたご厚意、
よくわかりまして嬉しく存じております。
このお礼の気持ちをお知らせしたいと思いながら、
・・・もはや、その折もなくなりました。
それが、残念でございます」
消え入るようなお声、
源氏は答えることもできず、
顔も上げられない。
その頬を涙がひまなく伝う。
わが恋はさておき、
これほどまでにすぐれた方が、
若くして逝かれるとは、
なんという惜しいことか、
人の寿命ばかりは思うに任せぬのが、
この世の習いとはいうものの、
源氏は限りなく悲しかった。
「無力な身ながら、
主上の御後見のことは、
心をこめて勤めておりますが、
太政大臣のご逝去で世はあわただしく、
私も衝撃を受けております。
そこへ、このようにお弱りになっていられては、
私は悲しみに心乱れるばかりでございます」
源氏の言葉は、
恨み奉るような口ぶりになってゆく。
自分を見捨てて彼岸へかけ去る人に、
一人生き残ることを強いた、
つれない人に。
源氏の言葉の終らぬうちに、
ともし火の消えるように、
宮は静かに亡くなってしまわれた。
(次回へ)