「姥ざかり」

田辺聖子著
昭和56年新潮社刊より

13、蓬生 ④

2023年10月20日 08時47分05秒 | 「新源氏物語」田辺聖子訳










・冬がきた。

末摘花は、いよいよ困窮し果てて、
より所もなく、寒くひもじい日々を、
過ごしていた。

一方、そんなことは露知らぬ源氏は、
故父院の供養のため、
盛大な御八構を催していた。

僧なども、
学識すぐれ修行を積んだ、
徳の高い僧ばかりを選んでいたので、
末摘花の兄君の禅師も入っていた。

禅師は、その帰りに妹邸へ立ち寄った。

ふだんなら「やあ、どうだね」
と帰るのであるが、
今日は珍しく、昂奮のおももちで話す。

「源氏の権大納言殿の御八構へ参ったのだが、
その尊くてありがたいことといったら、
なかった。
生きながら浄土を見るように結構であった」

そう夢中でしゃべって、
そのまま帰ってしまった。

さすがに末摘花は、
兄君をぼんやり見送って、
さまざま思いにふけった。

この兄妹は、
世間普通の兄妹のようでなく、
うちとけて世間話をする、
という習慣はなかった。

それにしても、
兄君は末摘花と源氏の仲を、
知らないこともなかろうに、
妹の末摘花が源氏に捨てられて、
困窮しているのには気づきもしないさまで、
言いたいことだけしゃべって、
去るのであった。

兄君も兄君だが、
こんなに困って落ちぶれた私を、
思いだしても下さらぬ、
と末摘花は淋しかった。

(やはり、あの方との、
縁は切れたのだろうか・・・
いつかは風の便りにも、
私の哀れな様子を伝え聞かれて、
きっと訪ねて下さると信じていた。
荒れ果てた家を手放しもせず、
道具類を散らしもせず、
昔のままに守って、
お待ちしていたのだけれど・・・)

そう思いながらも、
末摘花の心のおくそこには、
源氏がしみじみ聞かせた愛の言葉、
情の深い約束が強く焼き付けられていた。

世なれぬ、おぼこな心のまま、
年古りた末摘花は、
叔母君のいうように、
あれが男のそらごとの口説とは、
思えないのであった。

叔母君が突然やってきたのは、
それからしばらくたった日。

今日はどうしても筑紫へ誘おうという、
下心があるので、末摘花に贈る衣装などを、
新調して携え、意気揚々とやってきた。

案内も乞わず、
無遠慮に車を乗り入れたが、
門を開けるや、
あまりに物凄く荒れた邸のさまに、
みなびっくりする。

末摘花は、

(あるじの許しもないのに無作法な)

と思ったが、
侍従が古ぼけてすすけた几帳を出して、
応対する。

侍従は年来の苦労で、
やつれ、衰えているが、
やはりどこか風情のある姿で、
こういうと悪いが、
末摘花と取り換えたいような、
綺麗な若い女であった。

叔母は几帳を隔てて、
末摘花に話しかける。

「筑紫へ出発しようと思いながら、
あなたのことが気がかりで・・・
でも、お誘いしてもお聞き入れがないので、
今日は、侍従の迎えに参りました。
侍従を連れてゆくのは、
お許し頂けるでしょうね。
それにしてもこんなにまで哀れなご様子で」

叔母君は同情したようにいうが、
実は夫の栄転が得意な様子。

叔母君はさまざな語るが、
皮肉やあてこすりがまじって、
末摘花は気を許して答えられない。

「お誘い下さって、
ほんとにありがたいのですけれど、
人並みでないわたくしが、
よそへ行って何が出来ましょう。
ここでこのまま朽ち果てたいと思います」

叔母君は語気を強めて、

「あなたもまだ若いのに、
こんな気味わるいところで、
朽ち果てることはありません。
源氏の君が、ここをつくろって、
面倒見て下さるとでもいうのなら、
ですが、
あの方は、ただ今は、紫の上に首ったけで、
他の女性には目もくれないありさまで、
いらっしゃるそうです。
昔はあちこち通われる所が多かったけれど、
そんな方々とも、
手を切っておしまいになった。
まして、こんなみすぼらしい藪原で、
暮らしている人を、
いくら操を立てて待っていたといっても、
尋ねて下さることなんか、
万に一もないと思います」

末摘花は、
ほんとに叔母君のいう通りかもしれないと、
涙を拭く。

それでも叔母に従って、
田舎へ下るとは言わなかった。

日が暮れるので、
叔母君は侍従を急かした。

末摘花は、侍従までが、
自分を見捨ててゆくのかと思うと、
恨めしくも悲しくもあったが、
さりとて、どうやってとどめよう。

声を放って泣くのがせいいっぱいだった。






          


(次回へ)

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